希望の革命

The Robots:Kraftwerk

 

希望とは、人間の実存に対する揺るぎのない信頼であり、まだ行動に現れてはいない、能動性を備えた心の構えである

 

活動という概念は、産業社会に暮らす現代人に広くゆきわたっている<幻想>であり、私たちの文化の全てが、せかせかせわしなくただ動き回っているという、仕事に伴う忙しさの表現である。

 

私たちはシステムの歯車であり、社会があまりにも<活動的>なので、たいていの人は何もしないことに苦痛を感じる始末だ。あらゆるレジャーでさえ、別の人間の仕事になっている。私たちは仕事をしていないときでさえ、ドライブをしたり、ゴルフをしたり、くだらぬおしゃべりをしたりして<活動的>に過ごす。私たちが本当に恐れているのは、<何もすることがない時間>である

 

厄介なことに、私たちは非常に忙しいにもかかわらず、極端に受動的であるという事実に気が付いていない。私たちは常に外部からの刺激を必要としている。それは、お喋りだったり、映画だったり、旅行だったり、わくわくするような消費の興奮だったりする。

 

私たちには、背中を押し、スイッチを入れ、そそのかし、誘惑してくれるような刺激が必要なのだ。私たちはいつでも走り回り、決して立ち止まらない私たちは常に<やらされる>ばかりで、決して自分からしようとしない

 

現代人は、自分を大いに活動的だと思っているが、本当は自己を直視した時に生じる不安から逃れるために、何かしていなければならないという強迫観念に駆り立てられているのである

⇨ エーリッヒ・フロム「希望の革命」紀伊國屋書店より

 

だが、やっとひまができたときには、もう欲望は消えていたり、さもなければ、おもしろくもない仕事で疲れていたりする。こうしてパパラギはいつでも、明日しようと思う。時間があるのは今日だのに

 

ひまなんて、とてもあったためしがないと言い張るパパラギたちがいる。この連中は、まるでアイツウ(悪霊)に憑りつかれた人のように、首のないまま走り回り、行く先々どこにでも、災いと大混乱を起こす。憑りつかれたこの状態は恐ろしい。呪い師にもなおすことができず、たくさんの人びとに伝染し、人びとを悲惨に落としてしまう恐ろしい病気。⇨ 岡崎照男訳「パパラギ」立風書房より

新しい人間

アヴエ・マリア:マーティン・ハーケンス(日本語字幕付き)

 

新しい社会の機能は、新しい<人間>の出現を促進することである

エーリッヒ・フロム「生きるということ」紀伊國屋書店より

(1)過不足なく在ること(個性を能動的に発揮して至福を追求する生き方)を志向し、持つ形態(財産や知識、社会的地位や権力の所有)を進んで放棄する意思を持つ。

 

(2)安心感、自己同一性の感覚、自信は自分の在る姿であり、結びつき、関心、愛、世界との連帯への欲求であり、世界を持ち、所有、支配し、なおかつ所有物の奴隷になろうとする欲求ではない。

 

(3)自分以外のいかなる人間も物も、人生に意味を与えることはない。このように独立し、物に執着しないことが、思いやりと分かち合いに専心する最も十全な(過不足のない)能動性の条件となる。

 

(4)自分が今あるところに、過不足なく存在できること。

 

(5)貯蓄し搾取する喜びではなく、与え分かち合うことから来る喜びの尊重。

 

(6)生命そのものへの愛と尊敬、物質や力ではなく、生命とその成長に関するすべてが神聖であるという認識を持つこと。

 

(7)貪欲憎しみ幻想を、出来る限り減らす努力をする。

 

(8)偶像を崇拝することなく、偶像や幻想を必要としない状態を志向する。

 

(9)愛の能力と、批判的だが感傷的でない判断力を、同時に発達させる。

 

(10)ナルシシズムを捨て、人間に特有な限界を受け入れる

 

(11)自己及び同胞の十全の成長を、至高の目的とする。

 

(12)この目的の達成には、修養と現実の尊重が必要だということを自覚できること。

⇨ 次の記事へ続く

新しい人間 -2

ユー・レイズ・ミー・アップ :マーティン・ハーケンス

 

吾、唯、足るを、知る⇨ 私は過不足のない実存である。自分の能動性と限界を知っているので、自我に煩わされることはない。(禅語)

 

エーリッヒ・フロム「生きるということ」紀伊國屋書店より

(13)いかなる成長も現実の構造で起こらなければ、健全でないと知っていること。さらに、生の属性(バイオフィラス)としての成長と、死せるものの属性(ネクロフィラス)の秩序との区別が出来ること。

 

(14)耐え難い環境からの逃避のための想像力ではなく、現実的可能性の予測と耐え難い環境を除く手段としての想像力を持つ。

 

(15)他人を欺かず、他人からも欺かれないこと。無邪気ではあるが、単純ではないこと。

 

(16)自分の知る自己だけでなく、自分の知らない自己をも知る努力をすること。

 

(17)人間は全ての生命と一体であり、その前提から、自然を征服し、搾取し、破壊するという目標を捨てる。自然を理解し、自然と調和することに努める。

 

(18)気ままではなく、自己実現としての自由。貪欲としてではなく、いつ何時でも成長と衰退、生と死の選択を迫られる、微妙な選択の上に保たれる構造としての自由を尊重する。

 

(19)悪と破壊は、成長の失敗の必然的結果であることを知ること。

 

(20)これら全ての資質の完成に至った人は、少数に過ぎないということを知っているが、目的に到達しようとする野心は持たない。そのような目的達成の野心であっても、野心は持つ形態であり、貪欲であることを知っているからである。

 

(21)どこまで到達できるかは考えず、成長する過程に幸福を見出す  こと。出来る限りのことをして、充実して生きることは、自分に何が出来て何が出来ないか、という疑念を与えないほどの満足感をもたらすからである。

 

福利と救済に関する多くの書物が出版され、中には有用なものもあるが、他の多くは、不安から逃れたい人々の望みに迎合する新しい市場を開拓するものであって、その欺瞞性によって有害なものになっている。⇨ エーリッヒ・フロム

限界を認める能力

人それぞれ嫌いな言葉がある。

ダン中尉は「障害者」という言葉。

ぼくは「馬鹿」という言葉だ

 

ぼくらみんなに運命があるのか、

それとも風に乗って、たださまよってっているのか。

たぶん両方だろう、両方が同時に起こってるんだ

 

 

「ぼくは、偉大であり、デーモニッシュでもある美という小道であえて冒険を試みながら<人類>を軽蔑している人に敬意を表します。

 

しかし、彼らを羨ましいとは思いません。というのも、もし何かに文学的な人間を詩人にする力があるとすれば、その何かは、

 

人間らしいものに対する、生きている平凡なものに対する、ぼくの故郷が育んでくれた愛にほかならないからです。あらゆる温かさは、そしてあらゆる親切心も、あらゆるユーモアも、この愛から出てくるのです。

 

実際ぼくにとってこの愛は、『たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私たちには騒がしいドラ、やかましいシンバル』と記されている、その愛そのものなのです」。

⇨ トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」

 

(ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ「神話の力」より)

➽ トーマス・マンは、「作家は真理に対して忠実でなければならない」と言っています。だが、それは一種の殺し屋になることを意味します。なぜなら、ある人を忠実に描く唯一の方法は、その人の欠点を並べ立てることだからです

 

完璧な人間なんて面白くありません。俗世間から離れてしまったブッダみたいなものです。生身の生活のいろいろな欠点こそ愛すべきものです。ですから、作家が真実の言葉という矢を放つとき、人は傷つきます。でもその矢は愛情を持って放たれるのです

 

「それにしても、欠点があるからこそ人間を愛せるとおっしゃるのはなぜでしょう」。

 

➽ 子どもたちが可愛いのは、しょっちゅう転ぶから、それに小さな体に似合わない大きな頭を持ってるからではありませんか?それに、人々が飼っているおかしな小型犬、あれだって、とても不完全だからこそ可愛いんでしょう

 

「完璧な人間なんて、もしいても、退屈な人間だろうと」?

 

➽ そうなるほかないでしょう。人間らしくありませんから。人間のヘソのような中心的要素、つまり、

人間性があってこそ、人間は、超自然的ではなく、不死不滅でもない人間らしい存在になれるのです。それが愛すべき点です。だから、

一部の人たちはどうしても神を愛せない。神は完全無欠だからです。畏怖を感じることはあっても、それをほんとうの愛とは呼べないでしょう。十字架にかけられたキリストですよ、愛の対象になるのは

 

「というと」?

 

➽ 苦難です。苦難は不完全さではないでしょうか。

 

「人間が苦しみ、戦い、生きてゆく物語・・・・・」。

 

➽ ・・・・・そして、若者がさまざまな経験をかいくぐって、ようやく自己についての知識に到達する物語

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