PROUT: JAPAN繁栄への回帰-1

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

私はこれまで『プラウト』という理論を紹介してきたが、日本の歴史をひも解いてみて驚いた。1950年から1975年にかけての日本は、まさにプラウト的な経済政策をとっていたのである。」

 

PROUTとは?

PROUTとはプログレッシブ・ユーテライゼーション・セオリー(P rogressive Utilization Theory「進歩的で漸進的な社会・経済理論」)の略語でラビ・バトラの師であるP・R・サーカーによって提唱された。

 

プラウトの志向するものは、オルタナティブな経済制度の模索である。具体的には、貿易収支の均衡・不平等格差の縮小・均衡財政・自国の競争力保護・終身雇用・環境保護・銀行規制などはプラウトが支持する政策の一部。日本は1950年から1975年までは、このような政策をとり経済大国への道を歩んでいた。当時の税引き後実質平均賃金の上昇は200%以上で、生活水準は跳ね上がったのである

 

失われたプラウト

しかし1975年以降は、主にアメリカの経済学者たちの影響下で、プラウト的な経済政策はないがしろにされた。それ以来、20年間にわたって生産性が76%上昇したにもかかわらず税引き後の実質賃金が一定であったため、生活水準が低迷することになる

 

均衡財政は赤字財政に転じ、貿易均衡は貿易黒字に変わり、レベルの高い競争から産業独占・一企業集中へと変わっていった。所得の格差は拡大し、銀行への規制は撤廃された

実質賃金の低迷: JAPAN繁栄への回帰-2

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

実質賃金指数 1950年~1973年

実質賃金指数や税引き後の賃金は生活水準を表している。特に税引き後の賃金は消費に直接結びつくために、より的確に表す。そして実質賃金指数は、生産性と比較することが重要である。

 

一人当たりのGDPはインフレの影響を調整した後で、1950年から1973年までの23年間で437%分の増となっている(38万円から204万円)同じ期間の税引き前の実質賃金は307%分の増となっている(19.5から79.4)。したがって307÷437=0.703となり、実質賃金の上昇分は70.3%となる。プラウト経済における生産性の上昇に対する理想的な賃金体系では、その生産性上昇分の70%が労働者に対して向けられ、30%分が不動産や資本に向けられるべきと考えるので、1950年から1973年までの日本は、プラウト的には理想的な賃金体系だったつまり勤勉さや仕事の効率性が高賃金として比較的報われていたので、労働の搾取は行われてはいなかったといえる

 

1973年以降の実質賃金

1973年以降の実質賃金は1973年59.5から1993年には61.3となっている。税引き後の実質賃金が多少上がっているが税負担の上昇で帳消しになり、1975年以来足踏み状態になっている。国民一人当たりのGDPに76%もの上昇があったのに、このようなことが起きていたのである

 

実質賃金指数と一人当たり実質GDP (1973~1993、1990年がベース)

年度 実質賃金 租税負担(%) 税引後賃金 一人当たりGDP
(単位:百万円)
1973   79.4   25.0   59.5   2.04
1975   80.2   25.8   59.5   2.07
1980   85.5   31.3   58.7   2.46
1985   89.8   34.6   58.7   2.85
1990 100.0   39.6   60.4   3.49
1993   99.8   38.6   61.3   3.59

出所:日本銀行「平成6年版経済統計年報」ほか

「JAPAN繁栄への回帰」p217ー表3

 

生産性の伸びによる恩恵はどこに行ってしまったのだろうか?税引き後の実質賃金などの伸びが少ないので、この生産性の伸びは労働力にではなく、政府や他の資源である資本や不動産の所有者に行ってしまったに違いない。

 

そこで租税負担率を見てみると、同じ期間に25.0から38.6へと54%の上昇分があったことが分かる。つまり、生産性の向上の半分以上が政府に行き、実質賃金が足踏み状態ということは、残りの上昇分46%のほとんどが高い利潤と賃貸料という形をとって、資本と不動産にいってしまったのである。たしかに商業用・住宅用の賃貸料は1973年以来、消費者物価指数より速いスピードで上昇しているのである。

第一次成長期: JAPAN繁栄への回帰-3

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

■1950年~1975年実質賃金指数と一人当たり実質GDP

(1990年=100)

年度 実質賃金 租税負担(%) 税引後賃金 一人当たりGDP
(百万円)
1950 19.5 該当なし 該当なし 0.38*
1955 26.4 20 21.1 0.52
1960 33.1 20 26.5 0.77
1965 39.8 22.7 30.8 1.12
1970 58.6 24.3 44.4 1.77
1973 79.4 25.0 59.5 2.04
1975 80.2 25.8 59.5 2.07

出所:日本銀行「平成6年版経済統計年報」ほか

*1950年の数値は著者が計算したもの

「JAPAN繁栄への回帰」p183、表1

 

第一次成長期・1950年~1975年(プラウト期)

プラウト的政策期には、税引き後の実質賃金指数は1955年に21.1だったものが、1973年には59.5へと上昇している。これを見ても分かるように当時のの経済成長は例外的な強さを示していた

 

この時代の税引き後の実質賃金は18年で182%もの上昇分が作り出された。一方、国全体の生産性は、0.52から2.04となり292%の上昇分が生まれた。この生産性の上昇分の全体を100とすると、182÷292=0.62となり、62%分が税引き後の実質賃金の上昇分に当てられたことになる。つまり生産性上昇分のうち62%が労働者に還元されたということである

 

一方、租税負担率を見ると、25%の上昇分しか生んでいない。ということは生産性上昇分の(全体量100のうち)25%が政府へ、労働者に還元された62%を引いた分の13%が資本と不動産に投入されたことになる。

 

この時代に所得の格差が小さくなった理由は、大企業と中小企業の賃金格差が狭まったことと、1960年代後半以降の政府の社会福祉への支出増があったためである

「家に持って帰れる」給料: JAPAN繁栄への回帰-4

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

■第二次成長期(1973年以降の伝統的経済政策期

第二次成長期に生産性は76%の上昇分があったが、税引き後の実質賃金指数はほぼ横ばいだった。賃金指数は1980年わずかに下がった後、1993年まではゆっくりとだが上昇した。この賃金の停滞によって賃金格差が広がり、結果的に不平等格差が生まれる。累進課税制度の抑制の下にあっても、その格差は広がっていった。

 

実質賃金指数と一人当たり実質GDP (1973~1993、1990年がベース)

年度 実質賃金 租税負担(%) 税引後賃金 一人当たりGDP
(単位:百万円)
1973   79.4   25.0   59.5   2.04
1975   80.2   25.8   59.5   2.07
1980   85.5   31.3   58.7   2.46
1985   89.8   34.6   58.7   2.85
1990 100.0   39.6   60.4   3.49
1993   99.8   38.6   61.3   3.59

 

特に1975年から1985年の間、税引き後の実質賃金が下降していったが企業の利益は急増していった。それに加え、税制によって高い減価償却費が認められたため、実際に報告されている利益よりも内部留保資金としての伸びはもっとあったはずである。

 

1970年代から企業の吸収合併が頻繁に行われるようになり、1950~1960年にかけて減少した産業独占の割合が強まってゆく。そして各産業における独占率はアメリカのレベルにゆっくり近づいていった。(市場はハイレベルの競争から大企業による寡占状態へと移行

 

その一方で、このような変化は企業間の競争力に深刻な影響は与えなかった。つまり、独占がもたらす弊害が起きなかったのである。なぜならば、組合の力が弱まり、従来ならば組合が能力に合わせて勝ち取っていた賃金が獲得できなくなっていたからである。日本の企業はすでに国内ではなく海外との競争に入っていたことから、組合は価格低下とそれに伴う賃金の低下には抵抗できなかった

 

これが、生産性が上昇したにもかかわらず税引き後の賃金が下落していった主な理由である。当然ながら企業内における民主主義経済もすたれていった

 

ここまで見てくれば、私たちは「家に持って帰れる」給料を問題にする限り、日本の経済は1975年以降停滞していると結論付けることが出来るだろう

 

*日本経済は安定成長期終焉後である1991年から約20年以上にわたり低迷することになる。(失われた20年)

分散多様化の恩恵: JAPAN繁栄への回帰-5

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

産業分野の分散多様化

経済は第一次(農業・林業・漁業・鉱業)・第二次(建設業・製造業)・第三次(公共事業・交通機関・報道機関を含む、その他のサービス業)の三つの産業分野に分散多様化することが望ましい。

 

理想的には、労働者人口全体の40%が第二次産業に、10%が第一次産業、残りの50%がサービス業に就く。そして最低限度として、建設業と製造業の労働人口が全体の3分の1を下回らないことが、分散多様化のためには必要である。

 

リスクを分散する

とはいえ、日本や韓国、ドイツのような国では原材料が不足している。またサウジアラビア・クウェート・UAEなどの国では肥沃な土地がほとんどない。こうした国は第一次産業分野の需要を充分に満たすことが出来ない。このような場合、輸出とそれに関する業務が第一次産業の必要量に見合うことで、分散多様化されていると見なすことが出来る

 

逆に、ひとつの分野に特化し外国との貿易に依存する国の場合、経済は不均衡の状態にある。こうした国はほとんどの玉子を一つのカゴに入れ、外からの衝撃に弱い状態にあり、不況や恐慌に陥りやすい状態である。つまり労働生産性が向上したにもかかわらず、実質賃金は一定もしくは低下しかねないということである

 

1970年まで、ほとんどの国の経済は分散多様化されていた。しかし、その後カナダとオーストラリアは鉱業と農業、アメリカは農業とサービス業、そして日本は製造業に特化していった。製造業に特化した日本は他の先進国よりも急速に成長することになる。そして、1973年以降、アメリカとオーストラリアの実質賃金は低下し、日本は税引前の実質賃金はわずかに上昇し、税引後は低下したのである

 

この議論の教訓は、たとえ国が付加価値の高い製品を重要視しても、特定の産業に特化が起きると、労働者は損をするということである

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