戦いの理由:ハロルド・エイブラハムス

「炎のランナー」(英)Chariots of Fire、1981年公開、監督ヒュー・ハドソン(第54回アカデミー作品賞)、1924年パリオリンピックの実話に基づく作品。

 

目を閉じると、あのころの友の姿が浮かんでくる

胸には希望が、かかとには翼が生えていた

 

ハロルド・エイブラハムス(100m走・優勝、4×100mリレー・2位)

エイブラハムスは、1899年ロンドン郊外のベッドフォードに、ロシア・ポーランド系ユダヤ人移民の父と、ウェールズ系の母の間に生まれる。若いころから陸上の選手であり、1920年のアントワープオリンピックに出場するも、100mと200mは準々決勝で敗退、走幅跳は20位、4×100mリレーでは4位だった。

 

エイブラハムスは競技に勝つことでユダヤ人に対する偏見を払拭し、自分がイギリス人だということを認めさせようとする。

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この苦しみ、絶望、怒り、屈辱感、『気のせいだ』と自分に言い聞かせる。だが、また同じ視線、同じ言葉、よそよそしい態度。私の父はリトアニア出身のユダヤ人だが、いまだに外国人扱いされてる。父を尊敬している、国を愛する人だ。自分の息子はイギリス人にできると信じた、そして僕は国で最高の大学に入った。だが、父は忘れていた。ここはキリスト教とアングロサクソンの国、権力も彼らが握っている、嫉妬と悪意で防衛しながら

 

エイブラハムスにとってのオリンピックは勝利こそすべてであり、負けはアイデンティティの崩壊をもたらすかも知れないという危険な賭けとなった。そのため彼は、アマチュアリズムに反するという理由で当時一般的でなかった外国人のプロコーチ、ムサビーニを雇い入れ、背水の陣で臨む。

 

最初に会った日を覚えてるか?同じタクシーだった。君を見て僕は優越感さえ覚えたものさ、だが間違ってた。オーブリー、君は僕の理想の人間だ。勇敢で、情け深く、親切で、満ち足りてる、それが君だ、うらやましい。僕は常に何かを追い求めるだけだ。怖いんだ。サムと僕は厳しい練習を繰り返した、毎日だ、雨や風の中を走る姿は滑稽だったろう、夢中だった。何のために?僕は(アントワープオリンピックで)200mでは完敗、100の準決勝でも負けた、なのにまた走る

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目を上げてコースを見る、たった10秒に自分の存在を懸けるんだ。結果は?負ける怖さは知ってる。だが、今は勝つ自信がない

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彼は、世間を見返してやろうと必死だ、今はそれしか頭にない。僕は誰よりも早くとは望まない。だが、彼は違う、ハロルドは勝って名声を得たいんだ。僕は単純に楽しむ、プレッシャーなど関係ない。だが、彼には生死にかかわることなんだ

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酒がこぼれたら教えてくれ。⇒ アンドリュー・リンゼイ卿(映画の冒頭、ハロルド・エイブラハムス追悼の礼拝でスピーチする人物。1928年のアムステルダム五輪金メダリストのデヴィッド・バーリー卿がモデル)。

内なる力:エリック・リデル

そのとき、エリックの頭が後ろに倒れた。力が湧き出る時に見せる、エリック独特のフォームだ。走りながら、流れ込む空気を吸い込むように口を開け、振り絞るように両腕を振り、ますますペースを上げていった

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エリック・リデル(1924年パリオリンピック、400m・優勝、200m・三位)

1902年、スコットランド宣教師の息子として、中国の天津で誕生。1920年エディンバラ大学に進学し、陸上選手として活躍するかたわら、ラグビーのスコットランド代表として国際大会に出場。

 

1924年のパリオリンピックで、100mの英国代表に選出されるが、敬虔なクリスチャンであるエリックは、日曜日(安息日)に行われる100mの予選を拒否する。

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三年間、僕は走ることに専念した、この日のためにね。ラグビーもやめ仕事も犠牲にした、大切な人を傷つけもした。僕は信じてきた、神のために勝つのだと、なのにすべてが水の泡だ。でも走れない、神の教えに従う

 

しかし、困惑する大会委員に対しリンゼイが知恵を絞る。

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いい解決策を、提案したいのです。別の日に走るんです、400mに。予選は木曜、僕はメダルを取ったので、彼に出場を譲ります

 

急遽400mに出場することになったリデルに対し、人々は期待も警戒もしなかった。一部の選手を除いて・・・・・。bandicam547

今日は3回目の試合だ、きっとバテる。彼の後ろについていればいい。300m過ぎたら追い抜け」。

リデルに注意しろ、彼は力を秘めている。コーチにはわからない」。

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見よ、国々は水桶の一滴、秤の上の塵のごとし。主のみ前には国々は無に等しい。国々は主にとって空しく虚ろに思われる。主は君主を無に等しくし、地上の裁き人たちを虚ろにする。あなたは知らなかったか聞かなかったか、主はとこしえの神であり、地の果てまでの創造者

弱ることも疲れることもない。弱ったものには活力を、勢いのないものには力を与えてくださる。しかし主を待つものは、新たなる力を得て、昇ることができる。鷲の羽を張って、走っても疲れることはなく、歩いても弱ることはない

 

では、その力の源は何か? 内なる力だ。神は僕を宣教師に創られた。だが、速さも与えた。走るとき、僕は神の喜びを感じる

不屈のジャーナリズム:大統領の陰謀

このときだけは、これまで耐えてきた他の危機とは違い、生きる理由も守るべき大義も見いだせなかった。⇨ リチャード・ニクソン

 

大統領の陰謀は「All the President’s Men-ニクソンを追い詰めた300日」(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン共著)をワーナーが映画化(監督アラン・J・パクラ)1976年に上映された。

 

1972年6月17日、ワシントン・ウォータゲートビル侵入事件

ウォーターゲートビルの警備員フランクは、ドアのラッチが逃走経路確保のため工作されていることに気づく。テープが張られたことによりラッチが受け穴に落ちないようになっていたのだ。フランクは市警に通報し、民主党委員会本部に侵入した5人が逮捕された。

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取材の始まり

新米記者ボブ・ウッドワードは社会部長のハワード・ローゼンフェルドから侵入事件の法廷取材を命じられる。容疑者の所持金が多額であったことや、所持品の中に無線機やカメラが含まれていたからだ。取材により、共和党関係の弁護士が傍聴に来ていたこと、容疑者の一人マッコードがCIAの元警備員だったことが判明する。

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盗聴疑惑を追う

容疑者の残したメモから、ハワード・ハントという人物が浮かぶ。ハントに電話するが不在で、チャールズ・コルソンのオフィスにいるかもしれないという。コルソンのオフィスに電話すると、コルソンは不在だが、ハントは作家でマレン社にいるかもしれないという。(コルソンは大統領特別顧問)

 

ディープ・スロートの間接話法「選挙資金を追え」

ウッドワードは政府内部の情報提供者ディープ・スロート(仮名)から「政府捜査機関と情報機関は政府に牛耳られており、君たちは監視下にある」と警告される。ディープ・スロートが示唆した通り関係者の口は重く、取材は困難を極めたが、同僚のカール・バーンスタインと共に、干し草の山から針をひろうように粘り強く証拠を検証、選挙資金の一部が盗聴事件の実行犯に渡っていたことを突き止める。

 

さらにニクソンの強力なライバルだったマスキー上院議員(中道派)に対し、民主党党首選挙において「マスキーがカナダ人を侮蔑した」という内容の怪文書でマスキーの信用を失墜させた選挙妨害にも、ニクソンの選挙資金が使われていたという証言を得る。妨害がどれほどの影響をもたらしたかは不明だが、結果としてベトナム反戦を明確に打ち出していたジョージ・マクガバンと現職のニクソンが大統領選挙を戦うことになった。

 

四面楚歌

少ない証言をもとに記事は発表され、政府は無責任な記事と一笑に付し、世間の反応も薄かった。

 

言論の自由は尊重するが、ポストのような卑しいジャーナリズムは別だ。今朝、掲載された記事は不正確で事実に反している。それはわたしのみならず、記事の根拠となった大陪審で証言した人物も、そう述べている、そのような証言はしていないと」。

 

「当てこすりや第三者の伝聞、根拠のない非難や匿名の取材源、こけおどしの見出しで、ホワイトハウスを事件と結びつけようとした。そうした非難は、事実無根だとポスト紙は知っている。ポスト紙はまさに偽善の塊だ。その有名な二枚舌は誰の目にも明らかだ」。

 

遂にディープ・スロートが秘密を暴露

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ホールドマン(首席補佐官)の仕業だ、金も何もかも彼が仕切った。彼には容易に近づけない、手を講じないと。不正工作はミッチェル(再選委員長・元司法長官)が始めた。実に大勢が関係している。この国の全情報機関がかかわっている。FBI、CIA、司法省・・・途方もない。隠ぺい工作は違法なスパイ活動を守るのが主目的だった。みんな、つながってる。ノートを出せ、もっとある

 

大団円

一時は完全に劣勢だったワシントンポストだが、記事を発表したことにより少しづつ流れが変わり始め、次第に事件の全容が明らかに。

 

1973年1月11日:ハント(CIA局員)共謀と不法侵入の罪状を認める。

1973年8月17日:マグルーダー(再選委員会・総務部長)不法侵入ほう助を認める。

1973年11月5日:セグレッティ(弁護士)民主党党首選挙妨害に関与、6か月の禁固刑。

1974年2月26日:カームバック(ニクソンの私設弁護士)不正資金調達を認める。

1974年4月6日:チェーピン(大統領秘書)偽証で有罪。

1974年4月12日:ポーター(大統領再選委員)FBIへの偽証で30日投獄。

1974年5月17日:クラインディーンスト(司法長官)罪状を認める。

1974年6月4日:コルソン(ニクソン大統領特別顧問)司法妨害を認める。

1975年3月13日:スタンズ(再選委員会・財務委員長)不正献金受領を認める。

1975年1月2日:ミッチェル(再選委員長、元司法長官)ホールドマン(大統領首席補佐官)ら有罪。

1974年8月6日:録音テープによりニクソンの隠ぺいが発覚。

1974年8月9日:ニクソン大統領辞任。ジェラルド・フォード38代大統領に就任。

 

最新の世論捜査では、ウォーターゲートを国民の半数が知らない。疲れただろう、家に帰るがいい。風呂に入って15分休んだら、また仕事だ。君たちが招いた苦境だからな。だが、我々が守るべきは憲法修正第一条、「報道の自由」この国の未来だ。たったそれだけだが、今度しくじったら許さんぞ。⇨ ベン・ブラッドリー(ワシントンポスト編集主幹)

ワシントンポストとニューヨーク・タイムズは、71年、ベトナム戦争に関する国防総省の極秘文書も暴露している。ニクソン政権は両紙を告訴し、記事の差し止めを求めたが敗訴(76年最高裁決定)、政府印刷局は全12巻を公刊した。ペンタゴン・ペーパーズの暴露と最高裁の判決は、当時のベトナム反戦運動を励まし、三権分立への信頼も失わせなかった。

2005年、月刊誌「ヴァニティ・フェア」は「ディープ・スロート」の正体が、事件当時FBI副長官だったマーク・フェルトだと報じた。マーク・フェルトはFBI退官後の1976年、1970年に極左テロ組織「ウエザーマン」に対する捜査で、容疑者宅に不法家宅侵入した責任を問われる。4年に及ぶ審理の終盤、ニクソン前大統領はフェルトを擁護する側の証人として出廷。判決は罰金刑だったが、フェルトはウッドワードに「ニクソンはワシントンポストより力になってくれた」と語ったという。

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