水浴びして寛ぐフクロウ(youtube動画)

 

「無垢」という言葉は単なる象徴でしかありません。しかし私が言っているのは実際に無垢な状態でいる、ということです。それは恐怖を持たないという意味であり、その結果、精神は時の推移を経ずに、一瞬にして完璧に成熟するのです。精神は言葉という障害物がないとき、解釈や正当化や非難がないとき注意深くいられるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である精神だけが恐怖を持たないのです

 

ところが問題は、恐怖に駆られているとき私たちは創造しないということです。恐れている人には真理や神を見出すことは決して出来ませんあらゆる崇拝やイメージ、儀式の陰には恐怖があります。ということは、あなたが信じるさまざまな神は神ではないのです。それはただの石にすぎないのです。⇒ クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」より

遊ぶフクロウ

ここで言う贅沢は金額の大きさのことではありません。色づいた秋の木々の葉陰から入江を見下ろし、水面に浮かぶ鴨を見つめること、香料入りの熱いお風呂に入ったり、一人きりの時間を過ごすことを言うのです。ただ生き生きとしていることが贅沢なのです。➡ A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房

 

欲望は快楽のカギである。どれほど大きな快楽を感じられるかは、その人がどれほど生き生きとしているかによって決定される。<中略>(子供たちこそが)最も強く欲望を感じ、欲望が実現されたときに最も大きな快楽を手にする人間である。<中略>ここに喜びというものの秘密がある。すなわち、それはあまりにうきうきするものであるために圧倒されてしまうということだ。だが、喜びを経験するためには、勢いに身を任せて感情を表現することに対する不安から、自由でなければならない。言い換えるならば、子どものように楽天的で無邪気でなければならない。➡ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」新曜社

 

私たちには思いやりなどありません。膨大な知識と経験はあります。医学的、技術的、科学的には、素晴らしいことをなしえます。ところが私たちにはおよそ思いやりというものがないのです。思いやりとはすべての人間や動物や自然に対する愛情のことです。

恐怖に囚われているときや、心が絶え間なく快楽を追求しているときに、どうやって思いやりをもてるでしょう。あなたは恐怖を抑えつけ、土の中に埋めてしまいたいし、また思いやりをもちたいのです。あなたはともかく思いやりをもちたい。でもそれはできません。思いやる気持ちは恐怖がないときしかもてないのです。➡J・クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」平河出版社

無垢である勇気

あまり利口でない人たちは、一般に自分の及び得ない事柄についてはなんでもけなす。⇨ ラ・ロシュフーコー

 

映画「クロコダイル・ダンディー」(1986年)よりエンディング

 

人は皆、何かを恐れています。とくに若いときは誰しも、まちがえたり失敗したくはないものです。そこで、もし自分が規範とし、その指示に従えるような人物がいるなら、どうすればよいかと耳を傾けるだろうし、それによって(自分で判断しなくても)目標や目的に至るはずだと考えるのです。

私たちはたいてい敬われたいのです。だからこそ正しいことをしたいし、正しい行為を模範としたいのです。でも、そのことを深く突き詰めるなら、それが恐怖の兆候にほかならないことがわかるでしょう。失敗してみたらどうですか。発見してみたらどうでしょう。ところが恐れている人はいつも、

正しいことをしなくては。人から立派に見られなくては。あいつは何者だとか、とるにたりないやつだなんて世間からばかにされてはならないなどと考えるのです。そういう人は実際、根底から怯えきっているのです。⇨ クリシュナムルティ―

 

喜びを経験するためには、勢いに身をまかせて感情を表現することに対する不安から自由でなければならない。あるいは、言い換えるならば、子どものように楽天的で無邪気でなければならない。ナルシシストは楽天的でもなければ無邪気でもない。彼らは、パワーゲームを演じること、人を誘惑すること、人を操縦することを覚えてしまっている。彼らはつねに、

人が自分をどう見ているか、人が自分にどう反応するかを考えている。また彼らは、コントロールの喪失は狂気の不安を呼び起こすという理由で、自分がコントロール出来る枠内にとどまらなければならない

不幸なことに、われわれはあまりに早く無邪気さを失ってしまうし、きわめて不幸なことには、それを失ったことを自慢に思ったりする

われわれは無邪気でありたいとは思わない。なぜかというと、もしそうだとすれば、嘲られたり傷つけられたりするままになっていなければならないからである

だからわれわれは(嘲られたり傷つけられても、平然としていられる独立性を獲得するよりも)⇒  世間慣れした人間になりたいと願う。(あるいは権力を得たいと考える)。そうなれば、優越感を感じることが出来るからである。⇨ アレクサンダー・ローウェン

はてなブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加
( `ー´)ノ
おきてがみ
(=゚ω゚)ノ
ブログ村投票
プロフィール

スエスオ

Author:スエスオ
オリジナルのエッセイ・ブログを目指して鋭意更新中

ブログランキング.net