牛肉自由化の収支: JAPAN繁栄への回帰-10

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

関税か所得税か

自由貿易は、政府が「かすみを食って生きる」ことを前提とする。しかし多くの政府は、過去においては輸入品の一部に関税をかけることによって歳入の一部を賄ってきた。アメリカを例に挙げれば、1913年の関税による歳入は、税収全体の60%にのぼっていた。その当時自由貿易推進派は、これらの関税を撤廃するか減税しようとし、税収を補うために所得税が採用されるべきであると主張した。そしてその所得税も最大で税収全体の7%としたのである。1913年に自由貿易が採用された当初、所得税は7%に設定された。しかし1919年までに所得税は66%までに達することになる。このように、自由貿易肯定論では「妥当な所得税のレベル」を考えることは不可能なのである。

 

自由貿易が採用されれば関税が撤廃され、価格が下落し、たしかに消費者は喜ぶだろう。ただし、あくまでこれは政府が「かすみを食って生られれば」の話であり、結局は所得税が上昇するだけの話ではないかと思われる

 

そこで、関税をかけるに際して二つの論拠があげられる。一つ目は、関税は安い輸入品から自国内の付加価値の高い産業を守るために採用されるべきであるという点。そして二つ目は、関税を消費税や所得税などの他の税の代わりに導入できるならば、という点である。この考えは、その国が国際競争の中でじゅうぶん生き残っていけるよう、すべての産業のために関税がかけられるべきだということを示している。

 

牛肉輸入の損得勘定

*日本がGATT(ガット、General Agreement on tariffs and Trade)に参加したのは1955年(締結されたのは1948年)で、牛肉とオレンジの輸入自由化が決まったのは、ウルグアイ・ラウンド(1986~1995年)。

 

日本では土地の絶対量が足りないので、牛の飼育コストは高くなり、アメリカから輸入したほうが安い。たしかに日本の酪農家には打撃を与えるが、消費者にとっては朗報であると自由貿易論者は主張する。

 

しかし現実にはそうならない。単純化して説明すると- たとえば、1キロの牛肉を200円で輸入して50%の関税をかけたとすれば、日本国内での消費者価格は300円となる。そしてその関税が続けられれば、日本の酪農家は高い飼育コストのなかでも酪農を続けられる(雇用が守られる)一方、政府は1キロの牛肉を輸入するたびに100円の税収を得ることになる。

 

では、この100円の関税が撤廃されるとしよう。牛肉は200円となり消費者にとっては喜ばしいことに見えるが、結局この100円分の税収減は、政府が何らかの税金で徴収することになる。

 

牛肉にかかる関税を撤廃すると、政府は他の税金で減税分を補てんせざるを得ず、結局は消費者が納税という形で穴埋めすることになる。さらに、価格競争という低レベルの競争で国内の酪農を弱体化させることにもなる。

 

関税は、次のような効果を生むような形で使われるべきであるとプラウトは主張する。その国の経済が多様性を持つことになることがひとつ。そして、歴史的にも感情的にも、その国が自らの価値を尊重できるように、全ての国の産業が守られるように

比較優位性のほころび: JAPAN繁栄への回帰-9

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

自由貿易を推進する人は、その理由として「比較優位性」をあげる。すべての国は最も生産性が高い産業に特化し、他の製品は輸入すべきであるという。そのような考えから、オーストラリアやカナダは農業・鉱業・漁業の第一次産業に特化し、アメリカは農業とサービス業、日本とドイツは製造業に特化し、各々生産性を高め、世界全体として自由貿易の恩恵に浴しているというのである。

 

しかしこの議論には、その「仮定」に問題がある。この理論は産業間に賃金格差が無いことを仮定しているので、自由貿易によって輸入部門に失業者が発生しても、労働者は輸出部門に就業できることになる。その国に高い生産力があれば、その国の人々は少なくとも長期的には利益を享受できるというのである。

 

しかし現実には産業別に賃金格差がある。もし好況産業より不況産業の賃金が高いということになれば、その国には高賃金産業が低賃金産業にとって代わられるという問題が起きることになる。これは現実に北米・オーストラリア・英国に起きた問題なのである。

 

自由貿易をめぐる第二の問題としては、多国籍企業の自給行為があげられる。現在は世界中に安い輸入品があふれ、低賃金の国に工場建設が進められている。だから生産と雇用は自国から海外へ向けられることになり、結果、自国には低賃金産業しか残らないという現象が起こる。このことから、多国籍企業の海外流出を防ごうとすれば、低賃金の国からの輸入を止めなければならないという結論に達する。

 

これに対し自由貿易論者は、保護貿易は保護措置によって製品価格の上昇を招き、消費者の利益を損なうと反論する。しかし、この議論には真実味が無い。確かに保護貿易によって物価の上昇はあり得るが、一方それと同時に賃金も大きく上昇するからである

 

現代の経済にとって実質賃金の下落とは、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかない状態になり、その結果、賃金労働者の購買力が落ち込むことである。価格の低い輸入品によって国内の製造業が低迷すると、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかなくなることは、歴史を見れば明らかである。確かに自由貿易は価格の上昇を抑えるが、それ以上に賃金の上昇を抑える。実質賃金の下落は消費の落ち込みをもたらし、自由貿易による価格の下落は賃金の下落によって相殺されるのである

国内産業保護の必要性: JAPAN繁栄への回帰-8

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

国内競争と国際競争

国の生活水準を引き上げ、貧困をなくすために大切なのは競争である。企業はその競争を生き残るために、質の高い労働力と顧客の獲得のために努力する。(➡賃金は上昇し、価格は下落する➡消費者は満足する)そして高いレベルの競争のためには、どの産業にも最低10社の同業他社が存在することが必要である。

 

しかし、その競争がどこから生まれてくるか- 国内競争なのか国際競争なのかが、競争自体が作り出す見返りよりずっと重要なのである

 

ある程度までなら国際的な競争はポシティブな影響を及ぼすことになるが、一方で非常に破壊的な影響をもたらしかねない。特に競争相手の生産企業が他の低賃金諸国にある場合、その危険性は大きい国際的な競争においての理想的な形は自国における外資企業との競争である。もし外資企業が自国において生産するなら、資本が流入されるだけでなく、新しい技術と新しい労働機会がもたらされることになる。そして、労働需要の増加は賃金の引き上げをもたらす

 

国際的な競争の理想的な形態には外資の流入が伴っている。一方、外国貿易を通して在外企業と競争すると、製造業や付加価値の高い産業を縮小させる。そして、その競争はその国の経済を破壊する

 

競合的保護貿易

プラウトは、自由な海外からの資本の流入については肯定の立場に立つ。だが、自由な国際貿易は否定することになる。自由貿易の代わりに、プラウトは競合的保護貿易か国内産業の競争を推進する。

 

その国は、少なくとも労働人口の3分の1が建設業か製造業で働き、じゅうぶんな生産高が、その付加価値の高い産業から生まれるようにするべきである。なぜなら、付加価値の高い産業で高賃金が得られるようになると、他の業種でも賃金の上昇が期待できるようになるからである。第二次産業は、経済において最もダイナミックで革新的である。製造業が停滞すると、経済全体が停滞する。それは1970年代以降のアメリカ・カナダ・オーストラリア・英国の状況を見れば明らかである

 

もし第二次産業全体の就業人口が労働人口全体の33%以下になったとすれば、この産業分野は国際的な競争から守られるべきである。また、製造業の就業人口が労働力全体の25%以下になった場合、輸入品は制限されなければならない。

 

「競合的保護貿易主義」とは、国内の産業競争を維持しながら輸入品から国内産業を守るということである。産業は関税などなどの規制によって守れるはずである。第二次大戦以後の日本・韓国・台湾・シンガポールは、実際にこの競合的保護貿易主義政策により発展したのである。

国内競争と国際競争: JAPAN繁栄への回帰-7

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

製造業の縮小の弊害

アメリカが世界経済の指導力を失った理由の一つに、製造業の極端な縮小があげられる。現在(1996年当時)アメリカの製造業の平均賃金はサービス業の二倍となっている。外国製品との競争激化によって、製造業から多くの雇用需要が奪われた。そして*サービス製品の輸出の増大は、サービス業に多くの雇用機会をもたらした。しかしその両者を差引した結果、極端に景気を鈍らせてしまった。つまり、高賃金の仕事が低賃金のそれに置き換えられてしまったのである

 

製造業がその国から別な国へと移動したとき、産業の空洞化現象が起こる。今の日本(1996年当時)にも、それが起きている。現在多くの企業が海外で生産しており、もしこの状況が続くなら待っているものはアメリカがたどったのと同じ道である。

 

*サービス貿易- 輸送・旅行・通信・建設・金融・保険・特許権使用料など、モノの動きではなく、サービスの提供によるカネの支払いまたは受け取りのこと。日本の旅行者が海外でホテル代を支払えばサービスの輸入、外国人旅行者が日本でホテル代を支払えばサービスの輸出となる。貿易統計ではなく国際収支統計で把握される。(ウィキペディア

 

国内での競争を奨励する

経済が成長するためには「競争」が必要である。しかし、価格競争のような国際的競争は、安い輸入品の影響から国内産業を破壊する可能性がある。国内産業における競争はそのようにはならない

 

テレビ製造業を例にとってみよう。アメリカのテレビ製造業は絶滅したが、日本はまさにその途上にある。アメリカ市場には賃金の安い国で生産された低価格のテレビがどんどん輸入され、幾つかの企業は破産に追い込まれた。テレビの生産に携わった労働者はその業種自体が縮小する状況下で、他のテレビ製造業に職を見つけることは出来ない。結局それらの労働者は、賃金の低いほかのサービス業に職を見つけるしかなかった。

 

しかし、国内でテレビの生産が行われ、国内での競争が激化した場合は、国際的な競争が激化した時と同様に営業基盤を失う会社はあっても、失業者は別の企業で同じ職種の職を得ることが出来る。結局その業界は破滅しないことになる

 

つまり、国際的な競争により安い工業製品が入ってきた場合、雇用機会は国内には作られず、海外に生まれることになる。しかし、国内での競争はその国内に雇用機会を作りその国の経済に貢献する

プラウトが志向する市場原理: JAPAN繁栄への回帰-6

「JAPAN繁栄への回帰」JAPAN THE RETURN TO PROSPERITY

ラビ・バトラ著、青柳孝直+山田智彦訳、総合法令、1996年より

 

■出来る限り、その国は市場原理において動かされるべきである。たとえば、株式・債権・土地・不動産のような資本市場においては、需要と供給が「手に入りやすい適正な価格」において合致するということである。つまり直近の平均価格と比較して、価格が大きく上下しないようになることである。もし大きく振れるようなことがあれば、資本市場は均衡が取れていないということになる。

 

「手に入りやすい適正な価格」が重要

プラウトが理想とする分散多様化された経済では、多くの商品に対する国内の需要と供給は、「手に入りやすい適正な価格」で均衡しているべきである。ここでは「手に入りやすい価格」であるということが重要である。なぜなら理論的には全ての市場が異常に高い価格(または安い価格)でも均衡が取れることもあるからである。なぜなら、需要と供給は交換される製品の量が同一という形で常に現れるので、もし100戸の住宅が売れた場合、その需要と供給は「100」という数字では合致するからである。理論上、需要と供給は「交換された量」であるとすれば、この二つは同じものだということになってしまう。

 

需要と供給の区別と適正価格

では、どうすれば需要と供給を区別することが出来るだろうか?もし家電メーカーが増産をしないでテレビの価格を急激に下げたとする。低価格になれば需要が増え供給が追い付かなくなるが「交換された量」という次元においては、需要は依然として供給と一致する。しかし、注文が満たされていない潜在的な顧客がいるわけで、このような場合、需要は低い価格において供給を超えていることになる

 

1980年の不動産市場を振り返ると、土地の需要が供給を完全にオーバーし、土地の需要が信じがたい高価格で供給と均衡してしまった。しかし、当時の不動産市場は明らかに不均衡だった。なぜなら、市場価格が通常からはるかかなたの世界にあったからである

 

1989年末に日経平均株価が3万8千円を超えた時も、株式に対する需要が供給をはるかに上回り、株価は上昇を続けた。しかし、価格は異常に高くなり一般大衆には手が出なかった。明らかに当時の株式市場は不均衡だったのである。

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