心理セラピー相関図:ケン・ウィルバー「無境界」-2

「自己洞察を追及する人は、心理学的、宗教的システムのあまりの多様さに直面し、何を信じればよいのか手探りの状態である」

 

様々のセラピーに共通しているのは、どれもが何らかの形で意識に変化を起こそうとしている点である。だが共通しているのはそこまでである

 

「禅仏教では自我を忘れ、超越し、看破するように言われる。ところが、精神分析では自我を強化、防衛、保する方向が強調される。どちらが正しいのだろうか?これは素人にとってもセラピストにとっても切実な問題である」➡ ケン・ウィルバー

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平河出版社、ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳「無境界」自己成長のセラピー論より

 

宗教と心理学のスペクトル

ケン・ウィルバーによれば、各セラピーは何らかの意識の変化を起こそうという点では共通しているが、それぞれが志向するレベルが異なるために一見すると矛盾するように見えるのだという。

 

⇒たとえば、精神分析と従来のサイコセラピーの大半は、意識と無意識の間の溝を癒し、「心全体」にふれることを目的とする。これらのセラピーの目的は、仮面と影を再統合し、強くて健全な自我、すなわち正確かつ受け入れ可能な自己イメージをつくりあげることである。

つまり、仮面(ペルソナ)として生きている人に、自分自身の自我を製図しなおす手助けをしているのである

 

⇒いわゆる人間性セラピーの大半はこれを超えており、自我と身体の間の溝を癒し、心と身体を再統合し、生命力全体を取り戻すことを目的としている。そのため、精神分析と行動主義から派生した第三勢力である人間性の心理学(成長の心理学)は人間の潜在性開発ムーヴメントとも呼ばれる。意識を思考や自我から解き放ち、全有機体へ拡大すると、生命全体の持つ膨大な可能性が使用可能なものになる。

 

⇒統一意識のレベルと有機体全体のレベルの間には、「トランスパーソナル(超個人的)なレベルが存在する。このレベルを対象としたセラピーのなかには、サイコシンセシス、ユング派分析、初歩的なヨーガ、超越瞑想のテクニックがある。ここでは「個」を超越することを目指し、目標としての統一意識が前提となっている。

 

⇒さらに深まると、禅仏教、ヒンドゥー教ヴェーダンタなどの学派があり、彼らは至高のアイデンティティ・統一意識のレベルを目指している。

心の解析図:ケン・ウィルバー「無境界」-1

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平河出版社、ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳「無境界」自己成長のセラピー論より

アイデンティティの諸レベル

アイデンティティの究極のレベルは自己超越のレベルで図の一番下、統一意識と呼ばれるもの。このレベルでは自己と非自己が「一つの調和した全体」であり、此処には自己と非自己を分ける境界がない。

 

図の左上から右下に伸びる斜線は、各々のレベルで境界を設ける「場所」を示している。統一意識の領域では、自分が宇宙と一体であり、真の自己は自らの身体だけでなく、宇宙全体であると感じている。全有機体のレベルではアイデンティティの感覚が全体としての宇宙から有機体(生命体)へと移行し、環境と分離した分だけ狭くなっている。自我のレベルでは有機体の一部分にすぎない「自我」がアイデンティティを持つために自我と身体の間に境界がつくられ、さらに狭くなっている。仮面(ペルソナ)の領域では、自分の精神の好ましくない側面を疎外、抑圧し、心の特定の側面ー心理学でいうところのペルソナー「仮面」の領域にだけにアイデンティティを持つようになる。仮面のレベルになると、環境に加えて、身体と魂の重要な要素が外的で異質な非自己に見える。

 

心の問題は「前線」で生まれる

「前線」は常に戦線となる可能性を秘めている。境界線が領域を相対立する二つのグループに分けてしまうからである。そして心の問題はその人がどのレベルにいるかで異なる。

 

たとえば、有機体レベルにいる人は、環境を敵になる可能性を秘めたものと考える。環境が異質で外的なものに見えた場合、生命と健康が脅かされるのではないかという不安が生ずるからである。ところが、自我のレベルにいる人は環境だけでなく、自分の身体も同様に異質な領域に見えてくる。境界線が心と身体を分けるので、自分の身体が敵になってしまうのである。さらに、仮面のレベルで問題は極めて顕著に現れる。自らの魂の諸局面の間に境界線を引いてしまったため、単なるペルソナとしての自分対、環境+身体+精神という無意味な対立をつくりだしてしまったからである。

生態系は操作できない:野山の除染が進まない理由-3

我々は大地の一部であり

大地は我々の一部だ

大気は尊いものであり

あらゆる生き物と魂を共有している

大地が人に属するのではない

人が大地に属するのだ

 

あらゆるものは繋がりあっている

命の網を編んだのは人間ではなく

人間はそのなかの一本の縄に過ぎない

➡ チーフ・シアトルの言葉(1852年)

 

一般社団法人 日本土壌肥料学会のHPから

Q4. セシウム137は土に入るとどうなりますか?

A4. セシウム137は、土に強く保持される特徴があります。

 化学のお話になりますが、元素の周期律表をみると

セシウムは、ナトリウム(Na)やカリウム(K)と同じアルカリ金属に分類され、これらの元素と同じようにふるまうことがわかっています。土に入ってきたセシウムはカリウムと同じ様にプラスの手(荷電)をひとつもった陽イオンとしてふるまいます。一方、土はマイナスの手(荷電)を持っているため、プラスの陽イオンを引きつけてとどめる性質があります

 

さらに、土の中の粘土に含まれる鉱物(粘土鉱物)には色々な種類がありますが、その中には、セシウムを閉じ込めるのにちょうどいい大きさの穴を持つものがあります。このため、セシウムは他の陽イオンに比べ、土にしっかり保持されて、離れにくくなります。土に降ったセシウム137の70%が、粘土鉱物に強く保持されるという研究結果も報告されています。

 

Q7. 土から作物への吸収を少なくする方法はありますか?

A7. 土のカリウムの濃度が高いほど、セシウム137が作物へ吸収される量が少なくなるという研究事例があります。

土には、チッ素(N)、リン(P)、カリウム(K)の肥料が必要とされます。この3つの肥料のうち、カリウムを与えないと作物が吸収するセシウム137の量が増え、堆肥を畑に入れると減るという報告があります。このような研究から、作物への吸収をより少なくするような農耕地の肥培管理のできる可能性があります

粘土と腐植の結合:野山の除染が進まない理由-2

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腐植の実態

腐植は植物のリグニン(分解されにくい木質細胞)と微生物によって分解された有機物(枯葉などが分解されたもの)から成る。粘土と結合して土壌となり植物に養分を供給する。腐植もまた粘土鉱物と同様に荷電を持ち、イオンの形で存在する植物のための養分を保持する。

土壌の荷電量

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(計算上)モンモリロナイトと腐植を多く含む、1立方メートルの土壌は1キロワットの電気ストーブを120日間、連続で使用できるだけの荷電量を持つ。

粘土と腐植の分離(実験)

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腐植は粘土に固く結合しているため、腐食の実態はつかみにくい。そのため腐植を研究する場合、強いアルカリの溶液に浸して結合を解く。上の実験画像はアルカリ溶液(左のビーカー)に腐植が溶け出している様子を示している。水のビーカーでは腐植は水と分離している(水に溶けない)

土壌と植物を巡る水と養分

粘土は、雨水に二酸化炭素が溶け、弱酸性の水溶液になって、岩石の中に浸み込み、アルミニウムとケイ素が解け出て、再結合して出来た二次鉱物である。粘土がなければ現在の植物の繁栄はもたらされなかった。粘土が荷電を持つために養分が土の表面部分に留まり、植物が根によって吸い上げることができる。植物は枯れて自らの一部を養分としてリサイクルする。腐植もまた荷電をもっていて、養分を表層に維持する。粘土は高い保水能力を持ち水を下方に逃さないように保つと同時に、土壌の乾燥も防いでいる

粘土の荷電と保水力:野山の除染が進まない理由-1

NHK市民大学「土を科学する(講師:岩田進午)」より

植物と養分

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植物の養分の主なものは土壌の中にイオンとして存在し、粘土と腐植は荷電を持つ。粘土が負の荷電を持つ場合、アンモニウムイオン、カルシウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオンなど正の荷電を持つイオンを引き付けて離さない。逆に粘土が正の荷電をもつ場合は、硝酸イオンやリン酸イオンを引き付けて離さない

荷電をもつ粘土(実験)

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荷電を持つ粘土(モンモリロナイト)と石英砂に硝酸銅溶液を注ぎ撹拌する。硝酸銅のなかで銅は+のイオン硝酸は-のイオンとして存在する。

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撹拌した後にろ過し溶液の色を見る。荷電を持つモンモリロナイト(粘土)は銅イオンを吸収し溶液の色が薄くなる。石英砂は荷電を持たないので溶液の色は変わらない。

粘土の保水力

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モンモリロナイト1gの表面積はテニスコート5面分

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8グラムの粘土は100ccの水を保水する力がある。

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