Loch Lomond:Peter Hollens

 

By yon bonnie banks and by yon bonnie braes

バイヨンボニバンクス アンド バイヨンボニィブレイズ

Where the sun shines bright on Loch Lomond

フェアザ サンシャインブライト オン ロックローモンド

Where me and my true love will never meet again

フェアミィアンドマイトルゥラブ ウイル ネバミイトアゲン

On the bonny, bonny banks of Loch Lomond

オンザボニィボニィ バンクス オブ ロックローモンド

 

O you take the high road, and I'll take the low road

オ ユウティク ザハイロードアンドアイルテイク ザロゥロード

And I'll be in Scotland afore ye

アンドアイルビイイン スコットランド アフォー イ

But me and my true love will never meet again

バトミイアンドマイトルゥラブ ウィル ネバミイトアゲン

On the bonny, bonny banks of Loch Lomond

オンザボニィボニィ バンクス オブ ロックローモンド

 

'Twas there that we parted in yon shady glen

トゥワズゼアザットウィパーテド インヨンシェイディグレン

On the steep, steep side of Ben Lomond

オンザスティープ スティープサイド オブベンローモント

Where in soft purple hue the hieland hills we view

フェアインソフトパープルヒュー ザハイランドヒルズウィビュー

And the moon coming out in the gloaming

アンドザムーン カミンアウティンザグローミン

 

O you take the high road, and I'll take the low road

オ ユウティク ザハイロードアンドアイルテイク ザロゥロード

And I'll be in Scotland afore ye

アンドアイルビイイン スコットランド アフォー イ

But me and my true love will never meet again

バトミイアンドマイトルゥラブ ウィル ネバミイトアゲン

On the bonny, bonny banks of Loch Lomond

オンザボニィボニィ バンクス オブ ロックローモンド

 

The wee birdies sing and wildflowers spring 

ザウイバードシング アンドワイルフラワスプリング
And in sunshine the waters are sleeping

アンドサンシャインザウォータズ アスリーピング
But the broken heart it kens, nae secound spring again

バッザブロウクンハートイト カンス ネイセカンドスプリングアゲン

Though the woeful may cease from their grieving

ゾォゾウォーフル ミイシース フロムゼアグリーヴィン

 

O ye'll tak' the high road, and I'll tak' the low road

オ ユウティク ザハイロードアンドアイルテイク ザロゥロード

And I'll be in Scotland afore ye

アンドアイルビイイン スコットランド アフォー イ

But me and my true love will never meet again

バトミイアンドマイトルゥラブ ウィル ネバミイトアゲン

On the bonny, bonny banks of Loch Lomond

オンザボニィボニィ バンクス オブ ロックローモンド

Take a Message To Mary:Bob Dylan

人には二種類しかいない

救われる人と滅びてしまう人だ

➡ ボブ・ディラン「自由に生きる言葉」(イースト・プレス)

 


Bob Dylan sings The Everly Brothers ~ Take a... 投稿者 KUCERA

 

これは西部開拓時代の頃のお話し

彼は過ちを犯し愛する人を失いました

 

どうかメアリーに伝えてください

でも今どこにいるかは言わないで

どうかメアリーに伝えてください

でも牢にいることは話さないで

 

僕は広い世界を知る必要があって

船に乗って旅に出かけたんだ

だから僕のことは諦めてくれと

でも償いのため牢屋にいることは

隠しておいてください

 

どうかメアリーに伝えてください

でも僕が何をしたかは言わないで

どうかメアリーに伝えてください

でも事件については語らないでください

拳銃から放たれた弾丸ついて

 

僕は人生について考えが変わった

だから結婚はやめにしたいんだと

でも寂しい牢屋に繋がれていることや

一生をここで過ごすことは隠してください

 

どうかメアリーに伝えてください

でもあなたが知る全部は話さないで

メアリーの気持ちを思うと胸が痛い

神様はご存知でしょう

僕はアフリカのトンブクトゥに

金鉱を探しに行ったと伝えて

早く新しい人を見つけて結婚してくれと

 

ああ神様

でも此処はなんて寒いんでしょう

心身一如の意味:ケン・ウィルバー「無境界」-4

ー平河出版社、ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳「無境界」自己成長のセラピー論より

 

自己と非自己の境界は

誰もが現実として受け入れている、もっともありふれた境界は体をとり囲む「皮膚の境界」である。皮膚の内側にあるものは全て「私」であり、皮膚の外側にあるものは全て「私」ではない。外側にあるものの中には、私の車、私の家、私の仕事など「私のもの」と呼べるものもあるが、「私」ではない。私は車でも仕事でもないのである。この皮膚の内側と外側という境界は最も根源的に受け入れられている、自己と非自己の境界の一つ。

身体の中の境界???

皮膚の境界はあまりにも明白で現実的であるために、自己と非自己の境界はこれ以外にないと考えられているが、多くの人が無意識に設けている境界が他に存在するとケン・ウィルバーは言う。たとえば、

 

あなたは自分が身体だと感じますか?それとも自分が身体を持っていると感じますか?」

 

と聞いたとすると、ほとんどの人が車や家や他のものと同じように、自分は身体を持っていると感じていると言うのである。こういった状況では、身体は私であるというより「私のもの」として、自己・非自己の境界線の外側に置かれてしまっているのである。

哀れなロバ

ある人は、この身体の状況を「哀れなロバ」と呼んだ。そして、ほとんどの人がこの哀れなロバの上に座って、身体を乗り回している感覚を持っていることは否定できないだろう。この心身の間の境界線は誕生時には存在しなかった奇妙なものである。しかし、成長するにつれ身体に対して入り混じった複雑な感情を抱くようになる。

 

身体は一生を通じて快楽の源になるものである。エロティックな感覚から、ご馳走の微妙な味覚、日没の美しさを感じるのは、身体の諸感覚である。ところが、身体には不具になることへの恐れ、老いによる衰弱、ガンの苦しみなどの恐怖もすみついている。

 

子供にとって身体は唯一の快楽の源である。だが、同時に身体は両親とのいさかいや苦痛の第一の源でもある。身体は全く訳のわからない理由で、両親をピリピリさせたり悩ませる廃棄物を生産し続けているように子供には思える。おねしょ、涎、鼻水- まったくなんて騒ぎなんだ!

 

そのため大人になるころには、ほとんどの人がこの「哀れなロバ」を壁の外(境界の外側=非自己の側)に置いてしまう。心と身体の間に境界を設けて、前者にのみアイデンティティを持つ。そして自分は頭の中に住み、身体を監督し命令を与える。つまり、自分のアイデンティティを有機体全体ではなく「自我」と呼ばれる一局面に限定させて、それを自分だと思い込んでいるのである。

 

生物学的には、この魂と身体、自我と肉体の分裂や溝にはいかなる根拠もないが、心理学的には疫病的な作用を及ぼすと考えられている。そして、この心身二元論は、現代社会における基本的な原理になりシステムを支配しているのである。

永遠のケンタウロス:ケン・ウィルバー「無境界」-3

子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。➡ 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

 

心の回復から身体の回復へ

通常の精神療法では、「ゲド戦記」でゲドが影を自身に取り込むことにより「影との闘い」に勝利したように、投影された影を自分のものとして自覚することにより、貧困な仮面(ペルソナ)から健全な自我へとアイデンティティを拡大することにより終了する。ケン・ウィルバーはこのことを、「閉塞状態の狭い部屋から、一戸建てへ移るようなもの」と表現している。しかし、心のレベルは次の段階を用意している。それは、「心地よい家から、さらに広い邸宅」へ移るようなものだという。

ケンタウロスの自覚

ケンタウロスは上半身が人間で下半身が馬の、神話に登場する生物で、物語や映画では好意的に描かれることが多い。(ナルニア国物語ではアスランの味方で、逆に頭が牛のミノタウロスは白い魔女の味方だったと思う)

 

「身体を取り戻す」というセラピーメソッドは数多いが、多くの人はこれに触れると、最初、困惑と倦怠がいりまじった奇妙な表情をするという。これは、自我と肉体の境界が深く無意識の底に埋もれているからだ。心と身体の境界は不変でリアルなものと思い込んでいるために、それを消すことはおろか、それに干渉できるということが不思議なのである。

ケンタウロスの喪失

心を失っている人の数は少ないが、我々の大半は「とっくに身体を喪失している」私たちは騎手が馬に乗るように、「自分の身体の上に座っている」だから、必要に応じて自分の身体を責めたり誉めたりし、えさを与え、手入れをし、養うのである。身体に対して何の相談もせずに、行動に駆り立てたかと思うと、今度はそれに逆らって抑圧する。自分の身体(馬)の行儀がいいと、それが「当たり前」だと感じ、手に負えなくなると鞭打って従属させようとする

 

身体はわたしに付き従っているとしか思えない。もはや身体と一体で世界にアプローチはせず、身体に乗ってアプローチする。自分は上にいて身体は下にあり、下にあるものに関しては基本的に不安を抱いている。自分の意識はほとんど頭の意識だけでー 頭は私で、私が身体を所有している。身体は自己からの所有物、すなわち『自分のもの』ではあるが、『自分』ではないものに格下げされている

ー平河出版社、ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳「無境界」自己成長のセラピー論より

 

神になろうとすれば、嗜癖を招き、過度のストレスがもたらされる。支配の及ばない事柄をコントロールしようとすれば、身体は酷使され、緊張し、やがて文字通りの死に至る

ーアン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会、誠信書房」より

「自己(セルフ)」についてのメモ

君は物事を、「好きか嫌いか」で見るのではなくて、「正しいか正しくないか」で見るんだ。物事の本質を見るようにすれば、もっと心が深く落ち着くはずだよ。➡パトリック・ジェーン(メンタリスト)

 

ユングは著書「黄金の華の秘密」の注釈で、解決不可能と思われるほどの葛藤に直面した何人かの患者が、葛藤が些細に思えるような広い視野を持った《何か》に促されて意識が拡大し、解決不能の問題がその切迫性を失うという臨床体験を語っている。重要なことは、その問題自体に論理的な解決策が与えられたのではなく、新しい、より強い生命力の存在に触れ、意識が拡大することにより問題自体が消失してしまうということである。

 

ユングはこの《何か》を自己(セルフ)と呼び、意識と無意識、顕在意識を支配する自我も含め、統括する存在と定義した。自己は普段の生活では見えないところに隠れて姿が見えない。しかし、何か重大な問題に直面(スピリチュアル・エマージェンシー)すると意識が彷徨いださない様、船の錨のように作用し、問題を乗り越えるために心の成長を促そうとして動き出すのである。

 

ポリグラフや嘘発見テストもまた、ユングの研究に由来している。言葉の連想テストは無意識の声を意識的な精神作用から分離して識別することに役立つようになった

 

「これにより、人間の生理作用が自我から独立して働いていることが明らかになりました。つまり、たとえて言うなら、私が嘘発見テストを受けているとすると、それを第二の人格が後ろで見ているんです。そして私がイエスだと認めたくない質問をされると、私は『いいえ』と答えますが、後ろにいる人格は認めてしまうんです。『イエス』ってね

 

それが生理的反応というものであり、嘘がつけないんです。つまり人間の心の中には第二の存在、第二の精神的中心というべきものが在るということです。そしてそれは常に、真実が好きなのです

(夢の賢者ユングより)

 

「人間には二つの面があると思うんです。心理的に見て表面の自分、チョロチョロしている自分と、奥深くに存在している、なかなか出てこない自分

 

このめったに顔を出さない、お宮の中に鎮まっておる自分が、いつまでもちゃんと厳然として、お不動さんみたいに目をいからせておらんと人間は間違うと思います」➡ 大辻桃源

 

正義については内面の規範に従おう。 ➡ ヴァイツゼッカー大統領演説集「荒れ野の40年」

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