旧世代の動揺と新世代のアクトアウト:ナチズムの心理(4)

君主制や国家のような、社会的シンボルの衰退は、家庭内における両親の権威も弱体化させた。特にインフレのもとでは古い世代は困惑し、すばしこい若い世代よりも、新しい条件にうまく適応できなかった。若い世代は旧世代に優越を感じ、目上の人間やその教えを真面目に受け取ることができなくなった。さらに中産階級の経済破綻は、両親から子どもの経済的将来の保護者としての役割を奪った。

 

下層中産階級の古い世代は、ますます怨みと憤りを感ずるようになったが、それは消極的なものであった。それに反し、若い世代は行動に突き進んでいった。彼らの経済的地位は、かつて両親が持っていたような特権が失われたために、一層悪化したのである。雇用市場は飽和状態で、社会的地位を保証された医者や弁護士などの職業に就く機会は僅かしかなかったが、戦争で戦った人々は、現実で受けているよりも、より多くのものを要求する権利があると考えていた。特に何年間も命令することに慣れ、権力を行使することに慣れていた多くの若い将校は、書記や行商人になることを潔しとしなかった

 

増大する不満は外部へと反射し、国家社会主義の重要な源泉となった。旧中産階級の経済的・社会的運命を自覚する代わりに、自己の運命を意識的に国家と関係させて考えた。現実的な不満を、国家の敗北とヴェルサイユ条約の不満にすり替えてしまったのである

 

大多数の人々が、ヴェルサイユ条約は不正であると感じ、特に中産階級は極度の激しさで反発したが、労働者階級の間では、条約に対する怨みははるかに少なかった。労働者階級にとって敗戦は旧体制の敗北を意味し、自分たちは勇敢に戦ったので、恥じることは何もないとも感じていたのである。他方、君主制の敗北によって可能になった革命の勝利は、彼らに経済的、政治的、人間的な収穫をもたらした。

 

条約に対する憤りは下層中産階級の内に根差していた。そして国家的公憤は社会的劣等感を国家的劣等感に投影する一つの合理化であった。この投影はヒットラーの個人的発展において、より鮮明になる

 

「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム著・日高六郎訳、東京創元社

より

既得権の喪失:ナチズムの心理(3)

労働者階級や自由主義・カトリック的ブルジョアジーの消極的なあきらめの態度と対照的に、ナチのイデオロギーは小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者などからなる下層中産階級によって、熱烈に歓迎された。

 

この階級の旧世代は、より消極的な大衆的基盤であったが、彼らの息子や娘たちがより積極的な闘士であった。息子や娘たちにとっては、ナチのイデオロギー

指導者に対する盲目的な服従と人種的政治的少数者に対する憎悪の精神、征服と支配への渇望、ドイツ民族と「北欧人種」の讃美は驚くべき感情的な魅力を持っていた。かれらの特徴的な社会的性格は、

強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもケチくさいこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。彼らの人生は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人にたいしては詮索好きで嫉妬深く、さらに嫉妬心を道徳的公憤として合理化していた。彼らの生活は心理的にも経済的にも欠乏の原理にもとづいていた。

 

1918年のドイツ革命以前、君主政治の権威はゆるぎないものであり、それによりかかり、一体となることによって、下層中産階級の成員は安全感と自己満足的な誇りを獲得していた。また宗教や伝統的な道徳の権威がまだしっかり根を張っていた。家族はなお揺り動かされず、敵対的な世界における安全な避難所であった。個人は安定した社会的文化的組織に属し、そこで自分の明確な地位をもっていると感じていた。個人の経済的な地位には、自尊心と安定感を与える強固な基盤を持ち、よりかかっていた権威は、彼らに安定感をもたらすだけの強さを持っていた。しかし、

第一次世界大戦後、この状態は大きく変化した。旧中産階級の経済的衰退が急速に進行し、1923年に頂点に達するインフレにより促進された。このインフレーションは長年の労働による蓄財をほとんど完全に吹き飛ばしてしまった

経済的な要因の他に、彼らの安定を脅かす心理的事情が存在した。君主制の崩壊と敗戦である。君主制と国家が小市民の存在を支える固い岩であったが、その失墜と敗北は彼ら自身の生活の基盤を打ち砕いてしまった。インフレは経済のみならず、倹約の原理に対しても心理的な打撃となった。

小さな快楽の多くを犠牲にして、長年蓄えてきた貯蓄が、自分自身の過失でもないのに失われてしまうなら、貯蓄の目的は何であったのか?国家が紙幣や公債に書かれた約束を破るのなら、人は一体誰に信頼をおけばよいのだろうか?

 

戦後いっそう急速に衰退したのは、下層中産階級の経済的地位ばかりではなく、社会的威信もそうであった。戦前は労働者よりましなものとして自分を感じることができたが、革命後、労働者階級の威信が向上し、その結果、相対的に下層中産階級の威信が低下したのであるもはや見下ろすべき何人もなくなり、小さな商店主やその同類の人々にとって、最も貴重な資産の一つであった特権も失われた

LOTUS-2:平沢進



黄金の月 草の露に
幾万も昇り
唯一に来る夜の牢で
打たれる君の夢に咲く
瞬く間にも数千の朝よ訪れよ
パラレルに行く船団に
全ての君の日を乗せて


ランダムに行く雲のように
生まれてたはずと
千年を知る君の声が
全ての月に木霊する


咲け輪廻の Oh Oh
咲けロータス Oh
響け千年よ Oh Oh
響け毎秒に Oh


遥かな過去 遥かな今日
明日さえも此処に
黄金の日は一度にある
忘れた君が目覚めれば
パラレルに行く
星の今を隠喩のように映す
ランダムに咲く花の野辺に
全ての君は記されて


咲け輪廻の Oh Oh
咲けロータス Oh
響け千年よ Oh Oh
響け毎秒に Oh


咲け輪廻の Oh Oh
咲けロータス Oh
響け千年よ Oh Oh
響け毎秒に Oh

水浴びして寛ぐフクロウ(youtube動画)

 

「無垢」という言葉は単なる象徴でしかありません。しかし私が言っているのは実際に無垢な状態でいる、ということです。それは恐怖を持たないという意味であり、その結果、精神は時の推移を経ずに、一瞬にして完璧に成熟するのです。精神は言葉という障害物がないとき、解釈や正当化や非難がないとき注意深くいられるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である精神だけが恐怖を持たないのです

 

ところが問題は、恐怖に駆られているとき私たちは創造しないということです。恐れている人には真理や神を見出すことは決して出来ませんあらゆる崇拝やイメージ、儀式の陰には恐怖があります。ということは、あなたが信じるさまざまな神は神ではないのです。それはただの石にすぎないのです。⇒ クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」より

内なる力:エリック・リデル

そのとき、エリックの頭が後ろに倒れた。力が湧き出る時に見せる、エリック独特のフォームだ。走りながら、流れ込む空気を吸い込むように口を開け、振り絞るように両腕を振り、ますますペースを上げていった

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エリック・リデル(1924年パリオリンピック、400m・優勝、200m・三位)

1902年、スコットランド宣教師の息子として、中国の天津で誕生。1920年エディンバラ大学に進学し、陸上選手として活躍するかたわら、ラグビーのスコットランド代表として国際大会に出場。

 

1924年のパリオリンピックで、100mの英国代表に選出されるが、敬虔なクリスチャンであるエリックは、日曜日(安息日)に行われる100mの予選を拒否する。

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三年間、僕は走ることに専念した、この日のためにね。ラグビーもやめ仕事も犠牲にした、大切な人を傷つけもした。僕は信じてきた、神のために勝つのだと、なのにすべてが水の泡だ。でも走れない、神の教えに従う

 

しかし、困惑する大会委員に対しリンゼイが知恵を絞る。

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いい解決策を、提案したいのです。別の日に走るんです、400mに。予選は木曜、僕はメダルを取ったので、彼に出場を譲ります

 

急遽400mに出場することになったリデルに対し、人々は期待も警戒もしなかった。一部の選手を除いて・・・・・。bandicam547

今日は3回目の試合だ、きっとバテる。彼の後ろについていればいい。300m過ぎたら追い抜け」。

リデルに注意しろ、彼は力を秘めている。コーチにはわからない」。

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見よ、国々は水桶の一滴、秤の上の塵のごとし。主のみ前には国々は無に等しい。国々は主にとって空しく虚ろに思われる。主は君主を無に等しくし、地上の裁き人たちを虚ろにする。あなたは知らなかったか聞かなかったか、主はとこしえの神であり、地の果てまでの創造者

弱ることも疲れることもない。弱ったものには活力を、勢いのないものには力を与えてくださる。しかし主を待つものは、新たなる力を得て、昇ることができる。鷲の羽を張って、走っても疲れることはなく、歩いても弱ることはない

 

では、その力の源は何か? 内なる力だ。神は僕を宣教師に創られた。だが、速さも与えた。走るとき、僕は神の喜びを感じる

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