遊ぶフクロウ

ここで言う贅沢は金額の大きさのことではありません。色づいた秋の木々の葉陰から入江を見下ろし、水面に浮かぶ鴨を見つめること、香料入りの熱いお風呂に入ったり、一人きりの時間を過ごすことを言うのです。ただ生き生きとしていることが贅沢なのです。➡ A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房

 

欲望は快楽のカギである。どれほど大きな快楽を感じられるかは、その人がどれほど生き生きとしているかによって決定される。<中略>(子供たちこそが)最も強く欲望を感じ、欲望が実現されたときに最も大きな快楽を手にする人間である。<中略>ここに喜びというものの秘密がある。すなわち、それはあまりにうきうきするものであるために圧倒されてしまうということだ。だが、喜びを経験するためには、勢いに身を任せて感情を表現することに対する不安から、自由でなければならない。言い換えるならば、子どものように楽天的で無邪気でなければならない。➡ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」新曜社

 

私たちには思いやりなどありません。膨大な知識と経験はあります。医学的、技術的、科学的には、素晴らしいことをなしえます。ところが私たちにはおよそ思いやりというものがないのです。思いやりとはすべての人間や動物や自然に対する愛情のことです。

恐怖に囚われているときや、心が絶え間なく快楽を追求しているときに、どうやって思いやりをもてるでしょう。あなたは恐怖を抑えつけ、土の中に埋めてしまいたいし、また思いやりをもちたいのです。あなたはともかく思いやりをもちたい。でもそれはできません。思いやる気持ちは恐怖がないときしかもてないのです。➡J・クリシュナムルティ「恐怖なしに生きる」平河出版社

精神の現実性

ユングは心を病んだ少女の話をし彼女は月にいた」と言いました。彼がそれを理に適ったことのように言うので、私が怒って「月にいたわけないでしょう!」というと彼はいたよ」と言いました。私は「そんなことはあり得ない月には人が住めないのだから、彼女がそこにいたはずはない」と言いました。彼はただ私を見て彼女はいた」といいました。私が彼が正気でないか、それとも私が愚かなのかと悩みました。そして不意に分かり始めたのです。

 

精神に起こることはそれを経験する人にとっては現実なのだということを、彼は言いたかったのだと。私は精神の現実性を理解したのです。➡ 夢の賢者ユングより

 

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

この心的構造は、ゼーモンがムネメと名づけ、私が集合的無意識と名づけたのと同じものである。個々の自己は、あらゆる生物にあまねく内在し、各生物に応じて異なる性質を持つ心的過程の一部・一片、代表である。これは生得的にあらゆる存在に繰り返し与えられる。

 

昔から行動に対する生得的な様式は<本能>と呼ばれてきたが、客体に対する心的理解の様式ないし形式を私は<元型>と呼ぶように提唱してきた。

 

元型はシンボルであり、いかなる意識的な概念も存在しないとき(睡眠中の夢や瞑想、あるいは、何らかの理由で意識が判断をやめてしまった場合)に機能する。集合的無意識の内容は、はっきりした好みや見解となって意識の中に入ってくる。

 

元型は心の無意識的な構造に由来し、客体の作用を通じて誘発される。この主観的な好みや見解は客体の影響力よりも強力である。すなわち心的な価値が高いために、あらゆる印象を凌駕する。

このため内向型の人は、客体がつねに決定的でなければならないということに納得がいかない。逆に外向的な人は、主観的な立場が客観的状況に優先しなければならないということに合点がいかない

 

外向型の人は内向型の人を、どうしても思い込みの強いエゴイストで、断定的な人間であると仮定しがちである。内向型の人がこうした<外向的な偏見>をもたれるのは、彼が断定的な言い方で、他人の意見をはじめから締め出そうとしている、あるいは、断固として主観的判断を、あらゆる客観的事実の上に置くかのような印象を与えるからである。

 

このような偏見に対し、内向型の人はほとんど正しい反論ができない。というのは、自らの主観的判断や知覚に無意識的ではあるが、普遍妥当な生の法則とも呼べる前提が含まれていることに気づいていないからである。時流に流されて彼は探求の目を外に向け、自らの意識の背後に何があるか探ろうとしない。

 

何らかの神経症に罹っている場合、自我が自己と無意識裡に同一化し、自己の評価が貶められ、自我が無限に膨張してしまう。そうなると、主観的要因の持つ世界観(普遍妥当な生の法則)が自我の中に押し込められ、偏った自我により、飽くことのない権力欲求や子供じみた自己中心性が生み出されるようになる。

内向型の意識の構え

私たちの世界は、人間の精神という細い糸にぶら下がっています。道を誤れば、どうなると思います?」

➡ ヒストリーチャンネル<夢の賢者ユング>より

 

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

内向型は、自らを方向付けるさい、外向型のように客体や客観的事実を基準にするのではなく、➡ 主観的要因を基準にする。

 

このタイプが自らを方向付けるさいには、感覚的刺激を受け取る主観的要素としての知覚や認識という要因を基準にする。外向型が常に主として客体から受けるものに依存するのに対し、内向型の人は外的な印象が主体の中に布置するものを拠り所にしている。

 

しかもその場所に自我は関わることが出来ない。しかし、これらのことは外向型の人が内向型の人に対して抱くような、自己愛的・自己中心的なものではない。なぜなら、知覚や認識は、全てが客観的なものではなく、主観的な制約を確かに受けているからである。

世界はそれ自体で存在するのではなく、「私の目に映るもの」としても存在している。いやそれどころか、私たちは、本質において

主体に同化できない世界を判断するために有効に働く判断基準などというものを持っていないのである。もし主観的要因を見逃すならば、

世紀の変わり目に醜い姿を見せた、あの虚ろで味気ない実証主義に陥り、同時に

粗暴な感情や鈍感で尊大な暴力性の先駆形態である、知的傲慢にも陥ってしまう

 

主体は人間であり、認識作用には主体がある。もし「私は認識する」と言う者がなければ、そもそも認識などというものは存在しない。主体的認識がなければ世界は存在しない。今現在の客観的事実にだけ囚われていると、世界は硬直化し、変革の可能性を奪われて滅びる。

これと同じことは、あらゆる心的機能についても当てはまる。すなわち、心的機能には主体があり、これは客体と同じくらい不可欠である

Perfect World:Katie Melua

 

大切なあなた

あなたが泣くのを 黙って見てられない

心がとても痛いの

あなたに 理不尽なことが起こると

自問自答してみたの

あなたには 酷い人生は似合わない

あなたには 完全な世界が必要なの

あなたには 完全な世界が必要なの

 

あなたがあまりにも 穏やかだから

なんでもすぐ 簡単に許してしまうから

なんでも 軽く考えすぎなの

あなたが 受けたかも知れないダメージについて

何とも言えないけど たぶんきっと

あなたには 完全な世界が必要なの

あなたには 完全な世界が必要なの

 

世界があなたに値するかどうか

誰にも分らないけど たぶんきっと

あなたには 完全な世界が必要なの

あなたには 完全な世界が必要なの

外向的直観型の無意識

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

 

新しい仕事を始める仲間に勇気を与え、鼓舞することにおいて、(たとえ明日にはそれを捨ててしまうにしても)誰にも負けない能力を持ち、彼の直観が強いほど、彼は直覚された可能性と融合する。彼は可能性に命を吹き込み具体化する。それは、わざとらしい芝居などではなく彼の運命なのである。

 

しかし、こうしたあり方は自らの生を、いとも簡単に浪費する危険を孕んでいる。彼は確かに人間や事物に命を吹き込むが、そのとき生き生きするのは彼自身ではなく、相手の方だからである。もし彼がその場所にとどまるなら、自らの成果を手に入れることが出来るが、彼はすぐ新しい可能性に惹きつけられて、今植えたばかりの畑を見捨て、全ての収穫を別の人間に譲ってしまうのである。

 

このようにして、結局彼の手元には何も残らないのであるが、そこまでくると、無意識の側も彼に反抗を示すようになる。直観型の無意識は、思考と感情が抑圧され、無意識の中では感覚型と同じように幼児的・太古的な思考内容や感情を呈する。それらは時に、投影の形をとってあらわれ、感覚型と同じように馬鹿げたものではあるが、感覚型に特有な神秘性には欠けているようである。すなわち、

性的、経済的、一応は現実的な憶測、あるいは病気の予感のような、具体的で現実的に思える事柄に関係している。この「ズレ」は抑圧された現実感覚に由来し、例えば、直観型の男性(女性)が、突然ふさわしくない異性に入れ込むといった形をとるが、それはその相手により、未熟な感覚圏を揺り動かされた結果なのである。こうして、まったく見込みのない客体に縛り付けられるが、これはこのタイプの無意識の大きな特徴でもある。

彼は感覚型と同様、自由で気ままな状態を望んでいる。というのは彼は決断の際に、合理的な判断には全く従わず、もっぱら偶然的な可能性の知覚だけを頼りにするからである。彼は理性の束縛から逃れようとして神経症を患い、無意識的な強迫・詭弁・屁理屈に陥り、客体の感受に強迫的に拘束される。

意識的に彼は、感受された対象を超然とした態度で、まるで眼中に無いように扱う。ただしそれは、心に求めず超然としていようと考えた上のことではなく、彼の視線は誰の目にも明らかな現実に向かわず、ただその上を通り過ぎてゆくのである。

 

こうして彼は、いずれ客体の復讐に会う。それも心気症を伴う強迫観念・恐怖症・ありとあらゆる馬鹿げた身体感覚という形をとる。

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