経済的価値観の変革

 

「あたりまえ(オーディナリー)」の仕事とは、その語源が示すように、自然環境の中でわれわれが知覚する秩序(オーダー)と調和のとれた仕事のことである。➡ フリッチョフ・カプラ

 

「新ターニングポイント」フリッチョフ・カプラ著、1995年、工作舎より

 

☟ われわれの価値体系の見直しに必要とされる重要な要素は「仕事」を定義しなおすということである。われわれの社会では、仕事とは賃労働のことであり、雇主と賃金のために行われるもので、無償の行為は仕事とみなされない。たとえば、家庭内で男女が行なう仕事は何の経済的価値も与えられない。しかし、家事は、金銭に換算すれば、合衆国の全法人が支払う賃金と俸給の総額の三分の二に等しいのである。

 

☟ 一方、賃労働における仕事は、望めばすぐに得られるというものではなくなってきている。失業者であることは社会的な恥辱になり、仕事が得られないという理由で自他ともに地位と尊敬を失うような気になるのだ。同時に、現に職業を持っている人も、何の誇りも持てず、深刻な疎外と不満が残るような仕事を強いられていることが多い。

 

☟ この疎外は労働者が生産手段を持たず、自分の仕事に関して発言権もなく、その生産過程に何の意義も認めることができないという事実からきている。現代の産業労働者は、もはや、自分の仕事に責任を感じ、誇りを持つことができない。その結果が、ますます工芸的、美術的、趣味的な味わいの薄れていく製品群である。こうして仕事の質は極度に低下する。つまり、労働者にとっての唯一の仕事の目的は「生活費を稼ぐこと」であり、雇用者の最終目標は利益の増大なのである

 

☟ われわれの文化には、多種多様な仕事の地位に関して奇妙な階級構造が存在する。もっとも低い地位にある仕事はもっとも「周期的」な仕事、すなわち、営々とした努力の痕跡があっという間に消えてしまう仕事であることが多い。それらは、すぐに食べられてしまう食事をつくること、しばらくするとまた汚れてしまう工場の床掃除、たえず伸びる生け垣や芝生の刈りこみなどである。

 

☟ 全ての先進工業国と同じく、われわれの社会でも、日々の暮らしに不可欠であるにもかかわらず周期的な仕事「家事・サービス業・農業」には最も低い価値が与えられ、最低賃金が支払われる。

 

☟ 地位の高い職業には何か永続するもの「高層ビル、ジェット機、宇宙ロケット、兵器をはじめとするありとあらゆるハイテクノロジー生産物」をつくりだす仕事が含まれる。高い地位は、いかに退屈であろうと、ハイテクノロジーに結び付いたすべての行政的な仕事にも与えられている。

 

☟ 仕事の階級構造は伝統的な社会では正反対になる。仏教の僧侶は料理、庭仕事、家の掃除を瞑想活動の一部とみなし、キリスト教の修道士や尼僧には農耕や看護などの長い奉仕活動の伝統がある。そうした伝統で、周期的な仕事と高い精神的な価値が一致するのはエコロジカルな認識に根ざすものだと思われる。くり返して行う必要のある仕事は、成長と衰退、誕生と死といった自然の循環を認識するのに役立ち、大自然の秩序を学ぶ一助となる

 

☟ 来るべき経済思想にみられる人間の心のあり方、価値観、ライフスタイルに対する画然とした論及が、この学問を限りなくヒューマニスティックなものにするだろう。それは、人間の大きな抱負と潜在力に対処し、エコロジカルな構造の中にそれらを統合させてゆくだろう。そして、その最終的な姿は、科学的であると同時に精神的なものになるだろう

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