倫理的個人主義

ロバート・N・ベラー著 「心の習慣」 みすず書房ー日本語版への序文より

変革の拠りどころ

研究者としての私の歩みは、日本研究の専門家としてスタートした。アメリカ研究に取り組むようになったのは、いわば偶然の要因による。ベトナム戦争のとき、東南アジアへの介入に反対するための文化的な拠りどころを掘り起こす仕事に取り組み始めたのである

 

この新著では制度に焦点がおかれる。現代アメリカは、諸制度の根本的な変革を必要としている。それはどのような変革なのかを考察しようとしたものである

 

しかしながら、私の日本研究とアメリカ研究はある深いレベルで結びついている。人類学者のジェームズ・ピーコックは「心の習慣」の特徴をなす対人関係に対する繊細さは、私のかつての日本研究によって育てられたに違いないと言っている。共著者の一人、リチャード・マドセンは中国の専門家である。本書の共著者のうち二人は東アジア研究という背景を持つわけである。本書がモーレスすなわち「心の習慣」に焦点をあてていることじたい、儒教の「礼」に照応するものをアメリカ文化のなかに探し出そうとしているものとも言えるかもしれない。

 

本書はアメリカ人の生活の儀礼的パターンを描き出そうとしたといえる。心の底に深く根を下ろした個人主義のゆえに、アメリカ人は自分たちは内発的に生きているのであって、儀礼などには支配されていないと考えようとする。しかし、事実はそうではない。この点こそ、本書の中心的な主張の一つである。すなわち、個人主義はそれじたい有無を言わせぬ儀礼的パターンであり、強力な文化的圧力によって押し付けられるものであり、内発的なものなどではありえないのである

 

功利的・表現的個人主義から倫理的個人主義へ

本書を通じて、私たちがアメリカの個人主義に対して批判的であることははっきりしている。しかし、この点で私たちの立場が誤解される恐れがないとは言えないとくに個人主義が弱い社会ではその危険がある

 

日本人読者の中には、とくに今のような環境のもとでは、本書からきわめて否定的なアメリカ人の生活を読み取ろうとする向きもあるかもしれない。今日のアメリカ合衆国が抱えるさまざまな困難は、みなアメリカの個人主義に由来するものだとする読み方である。ここで強調しておきたいのは、そうした否定的な読み方は、私たちの意図からほど遠いということである。確かに私たちはアメリカ社会を批判している。この批判が改革への刺激となることを望んでいる。しかし、アメリカ文化総体を退けはしていない。私たちが批判しているのは、個人は社会から切り離された絶対的な地位を持つとする功利的個人主義と表現的個人主義である

 

それに代わって私たちが支持するのは、社会に根を下ろした倫理的個人主義である。個人と共同体が相互に支えあい強化しあうようなあり方である。この責任ある倫理的個人主義のための文化的資源は、アメリカ伝統の共和主義的系譜と聖書的系譜に見いだされる。お互い同士から人を切り離そうとするラディカルな個人主義は、実は強い個人主義ではなく弱い個人主義をつくりだす。これが私たちの論点である

 

強い個人主義を支えるには強い共同体が必要である。このような強い共同体は、個人が共同体から距離をとり、共同体を批判するときでさえ、その個人を受け入れ、支えてゆくことができる。近代以降の日本ではこの種の倫理的個人主義を創出するための長い努力が重ねられてきている。本書はそうした事実を支持するものであり、反対するものではありえない。

 

日本社会とアメリカ社会の違いは大きく、それも近年に始まったことではない。それぞれの長所と短所が反対であるようなところが少なくない。だからこそ、私たちはお互いから学びあうべきである。

 

しかしながら、まさに二つの社会の違いゆえに、直接学びとることは困難である。文化的歴史的背景を理解せずに、ある制度や慣行を脈絡から切り離してしまえば失敗は避けられない。

 

表面的な学び方ではあまり役に立たない。真に助けとなる学習のためには、相手の国の歴史と文化に深く身を浸すことが不可欠である。

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