過剰適応と、感覚・感情の喪失

個人のナルシシズムは文化のナルシシズムに対応している。私たちは自分のイメージにあわせて文化を形成し、個人は文化によって形成される。そのため一方を理解することなしに、他方を理解することは出来ない。心理学が社会学を無視したり、反対に社会学が心理学を無視することも出来ない。

 

現在セラピストを訪れる人々には、ある際立った特徴がある。少し前まで主流だったノイローゼ、つまり

罪悪感や不安や病的な恐怖や強迫観念のために無力化されてしまうようなノイローゼは、今日ではあまり見ることができない。そのかわりによく見られるのは、抑うつ状態を訴える人たちである。彼らは、感情が欠如していること、内面の空虚さ、深いフラストレーション感覚、深い自己不全感を口にする

 

彼らの多くは仕事の面ではうまくいっているのだが、そのことは、彼らの現実の生活と、彼らの内部で進行していることの間に深い亀裂があることを暗示している。奇妙に思えるのは、障害の深刻さにもかかわらず彼らが不安や罪悪感を比較的感じていないことである

 

こうした不安や罪悪感のなさは、感情の欠如と一体になって、彼らがあたかも現実に存在している人間ではないかのような印象を人に与える。彼らがやることは、

あまりにも能率的で、機械的で、完璧であり、人間業とは思えないほどである。彼らは、人間というよりは機械のように機能する

 

ナルシシストとそれ以外の人間を区別するものは、人間味の欠如である。彼らは核による人類絶滅の危機に脅かされている世界の悲劇を感じないばかりでなく、

自分のことをかまってくれない世界に対して、自分が値打ちのある人間であることを証明することに人生が費やされることの悲劇を感じていない

自分が優れた人間、特別な人間であるというナルシスティックなファザードが崩壊し、喪失と悲しみの感覚を意識するときには、しばしばもう手遅れである

一人の男、大会社の社長がいて、末期ガンであることを告知された。生命の喪失という事態に直面することによって、彼ははじめて人生の何たるかを発見した。彼はこんなふうに説明する。

 

私はこれまで花など見たことがなかったし、太陽の輝きも、野原も見たことがなかった。私は、自分が成功した人間であることを父に証明するために、自分の一生を費やしてきた。私の人生の中には愛のしめる場所がなかった」。

 

この人は大人になってからはじめて泣き、助けを求めて妻と子どもたちに手を差し伸べることができたのである

➡ A・ローウェン「ナルシシズムという病い」文化・心理の病理

(新曜社)より

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