道徳的コミットメント

税制改革、市場介入、福祉政策といった新自由主義とは対照的な政策があるにもかかわらず、福祉型リベラリズムの理論は、「政府の目的は、個人に私的利益の追求の手段を与えること」。という根本的な仮説を新自由主義と共有している

 

この目的を達成するためには、経済が専門家に指導された官僚機関により管理され、歴史的に不利な境遇に置かれた人に援助して、恵まれた境遇の人々と競い合うことができるようにすればよい。と福祉型リベラルは信じている。

 

しかし彼らと新自由主義信奉者との不一致は、独立独行を育む「手段」に関するものであり、その目的➡ 万人にとっての正義の実質的意味には関わっていない。議論の焦点は公平さを実現するための「手続き」に集中している

 

公平な競争においても個人的な自己充足の達成に失敗する者もあるかもしれないが、そんな人々に対して福祉型リベラリズムが提供できるものはと言えば、レーガンのような新自由主義者が提供できるものと大差ない。すなわち「同情」という主観的な憐れみの感情のみである

 

もちろん、福祉型リベラルは、社会的競争に敗れた者への同情は「援助的職業」の専門家たちによる政府機関によって管理されるべきだと考えるだろう。しかしこういった機関の存在は、社会的な同情のある限りでのみ正当化される。福祉計画が高くつく場合や依存性を高めるだけだと見なされる場合には、福祉型リベラルたちは、「要するにお前たちは軽率に同情して回る同情屋なのだ」。あるいは「己の心の広さを示すために人の金を使うやつらなのだ」。と非難されてしまう弱みを持っている

 

つまり彼らも、正義に対する自分たちの深い道徳的コミットメントを同胞市民に訴えるための言語を持っていないのである

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