第三の道を模索

第二次世界大戦後の数十年間、福祉型リベラリズムは国民的コンセンサスの土台であり続けてきた。しかしそれは、経済に対する政府の介入という処方箋が大多数の人々の生活水準を上昇させ、そのコストが豊かさの上昇という利益に比べて低いものである場合に限るのである。

 

そして1970年代に、「経済成長マシーン」は軋みはじめ、経済成長を予測できない時代が到来した。パイが縮小し、成長の速度が期待より遅い場合には、福祉型リベラリズムの楽観的ヴィジョンのすべては、信憑性を失う。選挙民は次第に移り気となり、党からの訴えかけには耳を貸さなくなってゆく。

 

こうして新自由主義の復活にとって格好の舞台が用意されたのである。多くの人にとってそれは、私的利益の個人的追求を継続してゆくのに福祉型リベラリズムよりも効果的な手段を約束してくれるように思われた。しかも不幸な者に対する個人的同情を表明する余地も残されている。ただしコストは前よりも低く済むというわけである。

 

もし福祉型リベラリズムのヴィジョンが限界の時代(era of limits)にいたって困難に陥っているとすれば、新自由主義のヴィジョンもまた、政府と私的市場との結合は複雑な現代社会の中にあっても解消することができると称するなら、その足下は危ない。新自由主義者が熱心に信奉している巨大な軍産複合体の存在自体が、自分たちの主張を自ら否定するものである

 

さらに現代資本主義の下で貧困と失業の構造的問題が解決の兆しすらない現実のなかで、国民経済の積極的な管理と「同情溢れる政府」にとって代わる効果的で説得力ある代案を示さなければならないという決定的な問題を抱えている。

 

こうした困難に対処するために、今日の新自由主義と福祉型リベラリズムの支持者たちは、ポピュリズムやエスタブリッシュメントの伝統に見い出されるような共同体の絆と共同善への関心をめぐる古くからのイメージの中にレトリックの材料を求めている

 

しかし未曾有の赤字増大、深い混迷のなかにある経済世界、そして環境問題、諸々の経済・政治・社会的混迷を見てとった人々の中から、福祉型リベラリズムも新自由主義も私たちの社会に山積みされた難題に対処することが出来なくなる時代が、早急に訪れようとしていると示唆する者が現れている

ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー 共著 「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ(みすず書房)より

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