テレビの世界観

ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー 共著 「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ(みすず書房)より

 

知識人文化から民衆文化へ、とくにマス・メディアへと目を転じると、状況はさらに酷い。知識人文化を分断する仕切りにほとんど統合がないとはいえ、各領域の内部ではなお真理を探求するという熱意が存在している。民衆文化はとてもそんな状態ではない。テレビを例に挙げれば、テレビがなんらかのまとまりのあるイデオロギーや普遍的メッセージを伝えていると論じるのは困難である

【テレビの世界は、ひたすら楽天的で清潔で唯物論的である。そればかりかゴールデン・アワーのたいていの番組は、わずかの例外を除いて、個人的野心で頭がいっぱいの者たちが登場する。野心むき出し、あるいは敗者に終わりたくない一心の人間、そうでなくても、これらの登場人物はそうした野心と恐怖を当然のものと考えている

 

彼らは、中産階級の消費財の一団に囲まれているのでなければ、自分自身が魅惑的な欲望の塊である。彼らが恋い焦がれる幸福は私的なものであり、公共的なものではない。彼らは社会全体に対してほとんど要求するところがなく、たとえ問題が生じたとしても既存の制度的秩序に満足しているふうである。

 

彼らの人生の動力源は、私的な野心と消費主義である。たいていのシリーズ番組に見られる明るく照らし出された贅沢なセッティングは、帰するところ消費主義版のよき人生の広告である。たえずさし挟まれるコマーシャルを無視したとしてもそうなのだ。コマーシャルはコマーシャルで、自由や快楽や業績や地位を求める人間の渇望は消費の領域において満たされうるという思想を振りまいている。ゴールデン・アワ-を通して容赦なく流れるBGMは、パッケージ詰めのよき人生のハミングである。➡ トッド・ギットリン】

 

ギッドリンの模写がよく当てはまるのは、昼間のメロドラマである。人間関係が概して友好的である連続ホームコメディにはそれほど当てはまらない。ホームコメディでは、個人的利益を追求して不誠実や裏切りへ走ろうとするが、結局は物質的欲求よりも家族や友人を優先する人物を好んで描く。しかし、

 

結局、メロドラマであれ、ホームコメディであれ、裏にある対照関係は同じである。すなわち<人間らしさ>対<経済的成功への野獣的競争心>というものだ。メロドラマは、横暴な金持ちもしばしば内実は不幸であり、ホームコメディはまっとうな一般庶民はしばしば幸福であると教える。

 

しかし両者ともに、経済的競争に支配され、温かい個人的人間関係の小さな輪をその唯一の待避所とする世界を描いている。かくして「伝統的道徳」の縮小版の上にぼんやりと姿を見せる「現実」は、物質的野心の全面的支配なのである

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