文化の変容のために

私たちは健康より病気を選んだり、自由よりも奴隷状態を選ぶこともあるのです。癒されることや、解放されることを望まない理由はたくさんあります。弱さを持った人は自分の身の周りや家族、そして友人に横暴な暴力をふるうことがあります。その力のため信頼や愛は崩れ去るのですが、その弱さゆえに、そのような力をふるった本人には満足感を与えるのです

 

孤独を克服できるのは「単独であること」に耐えられる人だけです。私たちは人間であるがゆえに「単独であること」への人間本来の欲求があります。私たちは自分の真の姿、すなわちただひとりであることを、苦しみや怖れではなく、喜びと勇気をもって感じたいのです

 

多くの人が孤独を感じるのは、彼らが愛し、愛されようと努力するにもかかわらず、その愛が拒否されるからです。この孤独感は、多くの場合自ら創り出したものなのです。このような人々は、賜物としてのみ与えられるものを、当然の権利として主張しているのではないでしょうか

➡ パウル・ティリッヒ(ウェブ石碑、名言集より)

 

私たちはこの地球上での私たちの生命の物語を、打ち続く成功の連なりとしてではなく、喜びと苦難の歴史として見る必要がある。今日の社会において苦しんでいる何百万という人々のことを、そして過去における彼らの苦しみが今日の私たちの豊かさを可能にしたことを、思い出す必要がある。

 

何にもまして、私たちは自らの貧しさを思い出す必要がある。私たちは豊かな国民と呼ばれてきた。一人当たりのGNPは他のいくつかの国によって追い抜かれたとはいえ、まだまだ私たちは非常に豊かである。それでも私たちの真の姿は、貧困である。

 

私たちは結局のところ、この地球上において無防備である。物質的な所有は、私たちに幸福をもたらさなかった。私たちの軍隊は、核による破壊を防ぐことは出来ない。いかに生産性を上げたところで、新しい武装システムを作ったところで、私たちの真実を変えることは出来ない。

 

私たちは、自分たちが他の人間から区別された特別な創造物だと思ってきた。現在私たちは、自らの貧困は最も貧しい国々の貧困と同じくらい絶対的なものだということを理解している。私たちは力また力へと追い求めてゆくなかで、人間の限界というものを否定しようと試みてきた。

 

私たちは人類に再び加わり、自らの本質的な貧しさを贈り物として捉え、私たちの物質的富を貧しい人々と分かち合った方が良いのだ

 

こうしたヴィジョンは、保守でもリベラルでもない。それは「伝統的な」社会へ引き返そうとするものでもない。そうした社会の知恵から学ぶ用意はあるにしても、いっさいの伝統に対する批判を拒絶するものでもない。いまやそれは批判の批判を展開し、人生は、信じることと疑うこととのバランスをとりつつ進んで行くことだと主張する。こうしたヴィジョンは、知識人の理論だけからもたらされるのでなく、アメリカ人がすでに営んでいる生の実践からもたらされるものである。

 

こうしたヴィジョンは、社会的関心を究極的関心へと結びつけ、そのどちらも軽んずることがないようなありかたを求める。とりわけこうしたヴィジョンは、私たちの友人、私たちの同胞市民たちの討論と実験によって確認され、訂正されることを望んでいる

ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー 共著 「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ(みすず書房)より

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