外向的直観型の無意識

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

 

新しい仕事を始める仲間に勇気を与え、鼓舞することにおいて、(たとえ明日にはそれを捨ててしまうにしても)誰にも負けない能力を持ち、彼の直観が強いほど、彼は直覚された可能性と融合する。彼は可能性に命を吹き込み具体化する。それは、わざとらしい芝居などではなく彼の運命なのである。

 

しかし、こうしたあり方は自らの生を、いとも簡単に浪費する危険を孕んでいる。彼は確かに人間や事物に命を吹き込むが、そのとき生き生きするのは彼自身ではなく、相手の方だからである。もし彼がその場所にとどまるなら、自らの成果を手に入れることが出来るが、彼はすぐ新しい可能性に惹きつけられて、今植えたばかりの畑を見捨て、全ての収穫を別の人間に譲ってしまうのである。

 

このようにして、結局彼の手元には何も残らないのであるが、そこまでくると、無意識の側も彼に反抗を示すようになる。直観型の無意識は、思考と感情が抑圧され、無意識の中では感覚型と同じように幼児的・太古的な思考内容や感情を呈する。それらは時に、投影の形をとってあらわれ、感覚型と同じように馬鹿げたものではあるが、感覚型に特有な神秘性には欠けているようである。すなわち、

性的、経済的、一応は現実的な憶測、あるいは病気の予感のような、具体的で現実的に思える事柄に関係している。この「ズレ」は抑圧された現実感覚に由来し、例えば、直観型の男性(女性)が、突然ふさわしくない異性に入れ込むといった形をとるが、それはその相手により、未熟な感覚圏を揺り動かされた結果なのである。こうして、まったく見込みのない客体に縛り付けられるが、これはこのタイプの無意識の大きな特徴でもある。

彼は感覚型と同様、自由で気ままな状態を望んでいる。というのは彼は決断の際に、合理的な判断には全く従わず、もっぱら偶然的な可能性の知覚だけを頼りにするからである。彼は理性の束縛から逃れようとして神経症を患い、無意識的な強迫・詭弁・屁理屈に陥り、客体の感受に強迫的に拘束される。

意識的に彼は、感受された対象を超然とした態度で、まるで眼中に無いように扱う。ただしそれは、心に求めず超然としていようと考えた上のことではなく、彼の視線は誰の目にも明らかな現実に向かわず、ただその上を通り過ぎてゆくのである。

 

こうして彼は、いずれ客体の復讐に会う。それも心気症を伴う強迫観念・恐怖症・ありとあらゆる馬鹿げた身体感覚という形をとる。

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