内向型の意識の構え

私たちの世界は、人間の精神という細い糸にぶら下がっています。道を誤れば、どうなると思います?」

➡ ヒストリーチャンネル<夢の賢者ユング>より

 

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

内向型は、自らを方向付けるさい、外向型のように客体や客観的事実を基準にするのではなく、➡ 主観的要因を基準にする。

 

このタイプが自らを方向付けるさいには、感覚的刺激を受け取る主観的要素としての知覚や認識という要因を基準にする。外向型が常に主として客体から受けるものに依存するのに対し、内向型の人は外的な印象が主体の中に布置するものを拠り所にしている。

 

しかもその場所に自我は関わることが出来ない。しかし、これらのことは外向型の人が内向型の人に対して抱くような、自己愛的・自己中心的なものではない。なぜなら、知覚や認識は、全てが客観的なものではなく、主観的な制約を確かに受けているからである。

世界はそれ自体で存在するのではなく、「私の目に映るもの」としても存在している。いやそれどころか、私たちは、本質において

主体に同化できない世界を判断するために有効に働く判断基準などというものを持っていないのである。もし主観的要因を見逃すならば、

世紀の変わり目に醜い姿を見せた、あの虚ろで味気ない実証主義に陥り、同時に

粗暴な感情や鈍感で尊大な暴力性の先駆形態である、知的傲慢にも陥ってしまう

 

主体は人間であり、認識作用には主体がある。もし「私は認識する」と言う者がなければ、そもそも認識などというものは存在しない。主体的認識がなければ世界は存在しない。今現在の客観的事実にだけ囚われていると、世界は硬直化し、変革の可能性を奪われて滅びる。

これと同じことは、あらゆる心的機能についても当てはまる。すなわち、心的機能には主体があり、これは客体と同じくらい不可欠である

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