内向型の無意識

主観的要因が優越しているということは、客体が本来の意味を持たされていないことを意味している。客体は外向型にとってはあまりにも大きく、内向型にとってはあまりにも小さい発言権しかもたない。そのため内向型の意識が極端に主体化すると、自我に分不相応な意味が与えられ、自我が客体と対決させられる

 

客体は有無を言わせぬ威力を持つ存在であるが、客体に対峙するのが自己であれば事情は違ってくる。つまり自己と世界は大きさが同じ次元のものであり正常な内向型の構えは正常な外向型の構えと対等の存在理由と妥当性を持つ。一方自我は、客体に対峙するには余りに小さく弱々しい。もし自我が自己に代わる立場を要求すると、その補償として、客体の影響力に無意識的な強化が生じる。この変化は次のような形で人目を引くようになる。

すなわち自我の優位を確保しようと、狂ったように努力するにもかかわらず、客観的事実は圧倒的な影響力を持ち続け、しかもその影響力を無意識のなかで捉えるため、(意志の力において)その強制力に逆らうことが出来なくなる。内向型の自我は外向型のように適応するのではなく、客体を支配しようとするので、無意識の補償作用により意識の中では抑えることのできない無条件な固着として現れる。

 

自我が主体の独立と優越を主張する一方で、義務(客体に対する適応を怠ると、ますます客体との奴属関係に陥る。精神の自由は屈辱的な経済的依存という鎖によって縛られてしまい、無頓着な行動が世間の顰蹙を買い、卓越するはずの道徳性がつまらない関係性の泥沼にはまり、相手を支配したつもりが、みじめにも愛されることを追い求める羽目になる。

無意識は何よりも先に客体との関係を取り戻そうとして、権力妄想や優越幻想を徹底的に打ち砕く。客体は過小評価されるほど、恐怖をもたらすほど大きな存在になり、自我はそれを支配しようとして激しく急き立てられ、最終的には不合理な儀式体系を自分の周りに張り巡らせ、せめて優越妄想だけでも守り抜こうとする。

そのようにすることで、内向型の人は客体とまったく隔絶し、一方で防御柵を巡らし、もう一方では客体を支配するという不毛な努力に神経をすり減らしてしまう。しかもこのような骨折りは、客体の圧倒的な影響力の前にかならず挫折する。客体はどこまでも彼を追いかけるので、終わりのない不快極まりない激情が誘発される。彼は自分を保つためにぞっとするような内的作業を絶えず必要としている

したがって、内向型の人に典型的な神経症形態は神経衰弱であり、この疾患は一方で神経過敏、他方で疲れやすさや慢性疲労という特徴を持つ。個人的無意識を分析すれば、大量の権力妄想が、強力な客体に対する不安と対の形で現れるが、現実においても内向型の人はごく簡単に客体の犠牲になってしまう。

すなわち一種独特の「気後れ」が先に立ち、自分の意見を主張するのが困難になるのである。これは客体の影響力が強化されることへの恐怖に由来する。彼は他人の強い反応を恐れ、他人の影響下へ入ってしまうという不安を打ち消すことが出来ない。

彼から見ると客体は、怖れを抱かせるような、威力に満ちた性質を備えているが、意識の方はそれを認めようとしない。そのため彼は無意識を通して知覚することになる。客体に対するとき、彼の意識は抑圧されているので、客体との関係は無意識によって結ばれ、それらの性質は、何よりもまず幼児的・太古的である。そうなると、

客体はまるで魔術のような力を備えているように感じられる。なじみのない新奇の客体は未知の危険を秘めているように思え、なじみのある客体の方は見えない糸で魂に繋がれているように感じる。変化は全て、それほど危険なものでなくても嫌われる。変化は合理的な理由からというよりも、呪術的な理由で活性化した状態のように思えるからである。理想となるのは、動くように許可したものだけが動くような孤島である

 

このタイプ論においては私は集合的無意識に触れるつもりはない、というのはこれは単にタイプに留まらない一般的な問題だからである」。➡ ユング

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