微弱なる侍の電流

勇気があるというのは、無条件に誰かを愛すること。見返りを求めたりしないで」。➡ マドンナ

 

映画「蜩ノ記」予告編

 

僕の年代で言うと

学校教育というのは間違った侍教育でした。

そうして士官学校などは人工的にというか

意識的にサムライを造ろうとしました。

全部間違いでした。

 

侍というのは自分に対する責任感だけですから。

国家をどうこうして国家を改変して

国家を自分の自由にして走り回って

そういうふうにするのが侍だというのではなくて

何か自分が悪いことしたと思ったら

理想的に言えばその場で腹を切ってる

(責任を担う能力がある)のが侍でしょ?

 

ですからそういうものはもう一度

回復することは難しいんですけど・・・。

しかし理想として日本人はそれを持ってないと

やっぱり格好悪いですよ

我々なにも規範というものがないんですから。

やたらと技術大国になって

やたらとお金を持ってる国になったんですから。

格好悪いですよね

それを持ってないと。ですから

 

みなさんそれぞれ持ってるんですよね。

そのそれぞれの侍で行かなければ

解釈は人によって違っても大体持ってますよ

その微弱なる(侍の)電流を。

微弱なる電流をもうちょっと強くした方が

いいんじゃないかと・・・。別にそれが

明治維新を起こしたりするような

変なエネルギーにならないようにね

自律的な意味での微弱なる電流を

持ってた方がいいんじゃないかと思いますですね。

➡ 司馬遼太郎「太郎の国の物語」侍の終焉より

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