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健康嗜癖

健康嗜癖


健康のためなら


通常の記事は、一つ下の記事です

抑うつ

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

ある時講演旅行に出た飛行機の中で、たまたまメンタル・ヘルス・センターの所長と隣り合わせたことがありました。私たちはお互いの仕事について語り合いましたが、彼は、抑うつを訴えてセンターを訪れる人には、本人やその家族にアルコール依存症がないかどうかチェックしていると言いました


私は興味を覚えてその理由を尋ねました。表面に表れた問題が抑うつである場合、その背後にはアルコール依存がかかわっていることが多いのだと、彼は説明してくれました。


私はこのアイデアを脳裏に刻み、今度抑うつ的な患者が来た時に確かめてみようと考えました。その機会はすぐに訪れました。


回復したアルコホリックの妻で、共依存からの回復を目指している患者がいました。彼女の抑うつについて掘り下げてゆくと、それはコントロールの幻想に直接関わっていることがわかってきました。


彼女の生活は混乱していました。彼女は回復した夫の生活をコントロールできませんでしたし、他の家族メンバーの行動もコントロールできませんでした。しかし彼女は、それらすべてをコントロールしなければならないと考えていました。可能だと信じたことを行えないことで、彼女は抑うつになっているのです


私と一緒にコントロールの幻想を直視するようになって、その患者は抑うつから早々と立ち直りました。私は彼女に平安の祈りを教えました。「神よ、私にお与えください。変えられないものを受け入れる平安を、変えられるものを変える勇気を。そして、その二つの違いを見分ける賢さを」。この祈りが、彼女のコントロールの問題を正視させる助けとなったのです。


コントロールの幻想は抑うつによって固定されてしまいます。自分の世界をコントロールできるしなければならないと信じ、それが無理だとわかった時、私たちは敗北を体験し、抑うつを招きます。そしてコントロールを得ようとさらに努力し、より惨めな失敗をするのです


嗜癖や嗜癖システムの生活から回復しようとする人は、コントロールの問題と取り組まなければなりません

危機的方向づけ

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

コントロール幻想は、他の三つの嗜癖システムと密接につながっています。それは危機的方向づけ抑うつストレスです。


嗜癖者とその家族は危機から危機へと渡り歩いています。あらゆる出来事が大きなターニング・ポイントとみなされ、次の問題が生じた時やっと今の問題から解放されるのです。


嗜癖者とその家族の場合、自分たちが生きているという幻想を持つために、危機を必要としているのではないかと思わせられることさえあります。危機に直面すれば少なくとも何らかの感情を持つことができるからです


そういうわけで、危機的方向づけは、非常に油断のならないコントロールの一形式です。危機の創造はコントロールの幻想を育みます。なぜなら、危機は私たちが創り出したものだからです。


コントロールのきかない状況に置かれた時でさえ、私たちは満足してしまいます。なぜなら、それが私たちの状況であり、危機は私たちが創り出したものだからです。


危機を引き起こすことに長けた人は、この世界のあらゆる事柄から危機を編み出すことができます。子供の学校のこと、仕事のこと、食事のこと、すべてのことがパニック状態で行われます。


私の同僚は、いかに頻繁に自分の日常が危機に陥るかを自覚し始めました。自分自身のコントロール幻想と格闘するうちに、本当の危機はごくわずかしかないことに彼女は気づいたのです。コントロールの幻想を捨てれば、人生の危機も少なくなります。


この危機的方向づけは、システムのレベルにおいても見ることができます。危機は経済活動を活発化させ、政府が「何らかの手を打っている」と大衆に信じ込ませるのに役立っています。自らに役割を課すために、危機を創り出すことも時には必要とされるのです

コントロール幻想

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

嗜癖システムにおけるコントロール幻想は、物質あるいは過程によって自己をコントロールしようとする試みから始まります。飲酒、ドラック、心配、過労、情事に耽ることなどは、自分が何を考え感じ行うかに取り組むのを避けるための試みでしょう。こういった試みすぐさま、他者の考え、感情、行動等をコントロールしようとする試みへと拡大していきます。


例えば多くの人は、誰かが自分を愛するように仕向けることができると固く信じています。とは自由に与えられる贈り物だということを忘れています一方では「正しい」ことを言い、「正しい」服装をし、「正しく」振舞うことにとらわれています


彼らは、他の誰かの心を変えるパワーを持ち、期待する感情を呼び起こすことができると考えているのです


多くの人は、自分が望むものを得るためにリスクを負うよりも、コントロール幻想を育む方を好むために、この信仰は私たちの文化において非常に一般的です。自分のことを嫌いにさせたり、憎ませたりする方がもっとたやすいことがわかれば、彼らはそちらを選ぶでしょう。


私の見解では、真の意味でのノイローゼ患者とは、自分が望むものを得ようとしてリスクを負うよりも、コントロール幻想に浸っていることを好む人のことなのです


本当は存在もしないもの取り巻かれていることを認識するのにはためらいがあります。だからこそ、アルコホリック・アノニマスの十二ステップのプログラムの第一が、人間は嗜癖に対して無力であり、生きることが、どうにもならなくなったことを認めるよう提唱するのです。

嗜癖システムと「責任」

A・W・シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 より

私たちはよくコントロールと責任を混同します。人間関係において「責任を持つ」という時、それが実は、そこでの決定をすべてコントロールすることを意味することがあります。


リビング・プロセス・システム(*持続可能なシステム)では、責任とは反応する能力のことです。これに対して嗜癖システムで責任というと、そこには、責務と非難の意味が含まれます。責任のある人は「負担を負い」、すべてをコントロールしなければならないというのが一般的な考えです。


そのため彼らは責務を担い、計画通りにいかないことがあれば非難されます。責任というものを、このように考えれば、それが重荷となるのも無理はありません


私たちはまた、コントロールとパワーを混同しています。「女性の現実」の中で私は、「白人男性システム」におけるパワーの概念とは、何かを圧倒するパワーであり、「新たな女性システム」におけるパワーは個人的なもので、何ものにもそのパワーが及ぶことはないと述べました。古い諺を借りれば、個人のパワーは他人の鼻先までで終わるのです。


しかし私たちの(*嗜癖システム)の辞書の中では、パワーとは「他者に対する支配」となっています。私たちはパワーを、権威統治、主権と等しいものであると学んできました。実際、それらはすべてパワーと同義です。リビング・プロセス・システムはこの言葉の意味を変えるのです


コントロールの幻想は、どんな嗜癖システムにも広く行き渡っています。個人的な成長によってここから遠く離れたと思い込んでいる場合でも、私たちは皆、この幻想の奴隷です


ある友人が私の家に二週間ほど滞在した時のこと、私はこの幻想を痛感しました。彼女はその時、きわめて嗜癖的に振舞ったのですが、これに反応した私は、コントロール幻想から遠く離れて安全であると思い込んでいたのに、たちまち逆戻りしてしまいました。


私は、自分の家が崩れ落ちてしまうように感じ、別の友人に言いました。「まるで、熱くなったストーブの中に座ってふたがポンポン飛び跳ねているポットに囲まれているようだわ。私はポットのふたが跳ばないように必死になっているの」。


コントロール幻想は、単なる幻想にすぎません。誰も何もコントロールすることなどできないからです

(*)は記事を書いた人の解釈

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日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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