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西洋文明の残骸

アメリカ人は心で考えずに、頭で考える。白人は冷酷に思える、目はじっと見つめるような表情、いつも何かを探している。だが、何を探すのだ。アメリカ人はいつも何か欲しがる、いつも不安で落ち着かない。何を欲しがっているのか、我々にはわからない、どうかしていると思う。⇨ マウンテン・レイク




フリチョフ・カプラ「新ターニングポイント」工学社 より

新しい自然観の予言

19世紀に展開された電気ならびに磁気に関する現象の発見と研究は新しい自然観を予告するものだった。マイケル・ファラディとクラーク・マクスウェルは力という概念を、それよりずっと繊細な力の場という概念で置き換えてニュートン物理学をはじめて超えるとともに、場にはそれ自身のリアリティがあって、それは物質的なものを引き合いに出さずに研究できることを明らかにした。この理論は電気力学と呼ばれ、そこから、光は実は急速に振動する電磁場で、波の形をとって空間を移動しているものであるとの認識が生まれた。

 

19世紀、物理学者は蒸気機関などの熱機関の研究を通して「複雑さの科学」--熱力学ーーの系統的記述を完成させていった。

◎熱力学の第一法則=エネルギー保存の法則。ある過程に関係したエネルギーの総量は常に保存される、というものである。エネルギーはきわめて複雑にその姿を変えるが、決して失われることはない、というわけである。

 

◎熱力学の第二法則=エネルギーの散逸に関する法則。第二法則によれば、自然現象にはある種の向き時間の矢)がある。たとえば力学的エネルギーは散逸して熱になるが、それを完全に元に戻すことは出来ない。熱湯と水を混ぜ合わせればぬるま湯になり、両者は決して分離しない。同様に、白い砂と黒い砂を混ぜれば灰色の砂になり、よく振って混ぜ合わせれば、それだけ灰色が一様になる。しかしこの二種類の砂が自然に分離するような事態は、決して起こらない

 

孤立した物理的な系はいかなるものも、無秩序を増大させる方向へ自発的に進行する。この物理的な系の進化の方向を表現するため、ルドルフ・クラウジウスはエントロピーという新しい量を導入した。第二法則によれば、孤立した系では、エントロピー(すなわち無秩序)は増加し続け、最終的には系が「熱力学的死」として知られる最大エントロピーの状態に達する。この状態に入ると、すべての活動は止み、物質は均一に分布し、同一温度になる。

 

19世紀の終わりに、宇宙を小さなビリヤード・ボールが動き回る機械論的システムと見るニュートン力学は、既にほころびを生じ始めていた。20世紀最初の30年、相対性理論と量子論という物理学におけるふたつの発展が、デカルト的世界観とニュートン力学の主要な概念を、ことごとく粉砕した絶対的な空間と時間硬い基本的な粒子根源的な自然現象自然の客観的模写ーーこうした概念はどれも、物理学がまさに入ろうとしていた新しい領域へ拡張することはできなかった

 

なぜなら、古典力学に従えば、宇宙はそのような最大エントロピーの状態へ向かいつつあると定義され、やがて活力を失い、ゆっくり停止するということになるからである。


生きるための哲学

感謝祭の七面鳥には、グレービーソースをかけるべきだと思うが、君はどう思う?「その通りだと思います。」そうだ感謝祭の七面鳥にはグレービーソースをかける。パイナップルソースではなくて

⇨ ボーデン大隊長「シカゴ・ファイア」

 

 

伊藤勝「二百年もつ家が欲しい・私の家づくり奮闘記」彰国社 より

所有することの意味

常に自分の信念や生活信条に立ち返って考えなければ、家づくりに失敗するというのが私の哲学です。家を建てるにあたって1年以上悩み続けたのも、所有することの意義、所有する事の善悪----これが最初から最後まで貫かれたテーマであり、結局最後に、やはり家など持つべきではなかったと答えざるを得なくなってしまったのです。私は家をもって多くの人に誤解されたように思います。そして進路も、少し誤ってしまったように思います

 

必要以上のものを所有するかしないか、その一線を越えてしまうことに対しては本当に注意を払ってきたつもりです。必要ないものの所有が始まったときにいろいろな悪は始まるからです

 

今の若い人たちは生まれてきたときに、すでに便利なものに囲まれて、それらの存在に疑問を持つことは少なく、知らないうちに商業戦略に振り回されてしまうことになります。確かに便利なものがあふれています。しかし便利なものと自分に必要なものを、頭の中で整理しておかなければ自分というものがなくなってしまいます。毎週日曜日は朝七時からジョギングしているとか、毎朝六時から1時間読書しているとか、そうした習慣が自分であり、他人と区別されるところではないでしょうか。家を建てるとき、そうした部分が生かされるべきではないでしょうか。

 

二百年もつ家が欲しい

建築の世界というのは嘘で固めたようなもので、現在では何も建築の世界に限ったことではありませんが、そのひどさに驚き、次から次へと建築の専門書を読み、友人の大工さんや、本で知った有名な大工さんと会話し、知識が豊富になればなるほど、家を建てることがいやになってしまいました。

 

新建材をつくって儲ける会社、それを流通させるだけで儲ける会社。新建材を使用すれば、技術など必要としない大工。新建材に依存して、木の知識などなくても設計できる設計家。住宅メーカーの営業マン、そして広告費。私の家づくりで、いったい何人の人を養なわなければならないのだろう。商売の競争ほど醜いものはないし、消費につかまってしまう人間ほど寂しいものはない。そのとき、二百年もつ家をつくろうというスローガンが私の心の中に起こってきました。

 

普遍妥当な第二の人格

私が言っているのは実際に無垢な状態でいる、ということです。それは恐怖を持たないという意味であり、その結果、精神は時の推移を経ずに、一瞬にして完璧に成熟するのです。精神は言葉という障害物がないとき、解釈や正当化や非難がないとき注意深くいられるのです。そのような精神はそれ自身を照らし出す光です。そしてそのような光である精神だけが恐怖を持たないのです。⇨ クリシュナムルティ




高橋和巳「人は変われる」三五館 より

西田哲学を学び、10万頁もの遺稿を残した大辻桃源は「人間には二人の自分がいる、表面の自分と本当の自分である」と説き、心の奥底にある、変わらぬ主観性をうまく表現している。

人間には二つの面があると思うんです。心理的に見て表面の自分、チョロチョロしている自分と、奥深く存在している、なかなか出てこない自分。この滅多に顔を出さない、お宮の中に納まってる自分が、いつでもちゃんと厳然として、お不動さんみたいに目を怒らせておらんと人間は間違うと思います

 

なるべく早く、今申しました稽古(本当の自分に出会うための「自己教育」)を始める。そう致しましたら、30代から40代には、お宮に鎮まっておる自分が、毎日顔を出すようになって、間違いを起こそうとしても起こせなくなるんです。つまり、心が澄み切ってきて、無駄なエネルギーの消耗がなくなるんです。

 

しかし、そういうものがあることを、皆さんは信じていない確認しておられない。微かにでもそういうものがある。間違いのない、地球が崩れても、この自分は崩れないという、本当の自分があると嘘にせよ考えるだけでも、人間はしっかりしてくると思います

桃源の言っている本当の自分とは、何事があっても厳として動かない、変わらぬ主観性のことである。彼がこのように言い切れるのは、毎日の生活の中で、それを感じ取っているからに違いない。また、本当の自分はお宮の中にいるというのは、本当の自分は普遍的な存在なのだが、ほとんどの人は気づいていないということである。

 

そして、微かにでもそういう自分があると考えるだけでも、人間はしっかりしてくるということの意味は、心の奥深くになる「主観性」というものは、トレーニングが必要だとしても、誰にでも感じることができるということである。


人が変わる不思議

モイヤーズ:そう考えてくると、私たちはプロメテウスやイエスのような英雄とは違って、世界を救う旅路ではなく、自分を救う旅に出かけるんですね。

キャンベル:しかし、そうすることであなたは世界を救うことになります。生き生きとした人間が世界に生気を与える。これには疑う余地がありません。生気のない世界は荒れ野です。人々は、物事を動かしたり、制度を変えたり、指導者を選んだり、そういうことで世界を救えると考えている。ノー、違うんです。生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのための唯一つの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分が生き生きと生きることです。⇨ 「神話の力」早川書房 より

 

高橋和巳「人は変われる・大人の心のターニングポイント」三五館 より

第三回目の診察では、離婚のことが話題になった。夫が酔っぱらい運転で事故を起こしたという。修理代を20数万円用意しろと言われ「そんな金はない」と言い返した浩子さんに、夫は一晩中罵声を浴びせ続けた。

 

あなたが、ずっと苦しんできたことはわかりますよ。でも、残念ながら、これからも同じことが続くかもしれませんね」。浩子さんは、しばらく黙っていた。長い沈黙だった。その間、思っていたのは過去数十年の苦しい日々だったのか、それとも、同じような未来だったのか。

 

確かに、無駄な時間を過ごしてきました。変わらないものは変わらない」彼女がそう言ったとき、その声は震えていた。変わらないものは変わらないという言葉は、心の底から絞り出した一滴の言葉のように私には聞こえた。

 

その一週間後、次の診察で浩子さんは同じことを言った。しかし、今度は涙もなかったし、言葉も大きくはっきりしていた。「先生、変わらないものは変わらないですね。だから、どうしようもないものはどうしようもない

 

何とかしなければならない現実」の前では、人はその現実に縛られている。その現実は暗く重いため、心も重く暗くなる。しかし、それが「どうしようもない現実」に変化したとき、人は現実から自由になれる。

 

それから一週間。ある朝起きると、浩子さんは忘れていたはずの熟睡感と爽快感を味わった。「先生、私、生まれて初めて、都会の緑ってすごく綺麗だと思ったんです」

 

関係を作り直し、生き方を変える

・第一の規則・・・・夫に対しては、酒を飲むなとも、酒を買い置くこともしない。酒を飲んでいる夫(何とかしなければならない現実とは関らない。

・第二の規則・・・・夫に対して「そんなにお酒を飲んで、会社に行けなくなるでしょう!」と非難する(何とかしなければならないという要求)のではなく、「あなたがお酒を飲んでいると、私の気持ちは暗く落ち込む」と(どうしようもない現実を受け入れ)正直な感情表現をする。


シーシュポスの神話

その絶望の瞬間から、新しいが永遠に古いこの神話、絶望的なように見える状況に相応しい唯一の神話、すなわちシーシュポスの神話が生まれる。この神話はアメリカン・ドリームと真っ向から対立している。どこへも到着することなく、永遠の単調な労苦と汗の中で、毎日同じ行為が反復されるように見える。だが、それだけではこの神話の決定的な意味を見落としてしまう。シーシュポスにできる唯一のこと、それは彼とゼウスとの、彼と運命との、このドラマの一瞬一瞬を意識するということである。これは極めて人間的なことであり、そのために彼の反応は、彼が岩を押し上げる山頂の暗い夜の反応とはまったく異なる。。⇨ ロロ・メイ

 

 

SeesaaBLOG「気候変動の向こう側」気候変動を否定する人の心理 より

気候科学のメインストリームではこれだけの一致を見ている気候変動による温暖化の原因を、なぜここまで否定的/懐疑的に捉える人が多いのでしょうか。また、そのような人たちにどのような心理的影響が働いているのでしょうか。

 

2012年に発行された、精神分析医が携わった全米野生生物連盟のレポートによると、今後、多くのアメリカ人が、気候変動を原因とする気温上昇、異常気象、資源の減少によって、抑鬱や不安障害、心的外傷後ストレス障害、薬物乱用、自殺、暴力の発生に悩まされることになるだろうと予測しています。

 

筆者のひとりであるVan Susteren氏は「気候変動を否定する人は、真実を聞くストレスに耐えられない。何かについての真実を聞く準備ができていない人たちは、単純にその真実を否定するのです」と話しています。

 

逆に、気候変動の科学を認め、気候変動によってもたらされるであろう将来的な被害を防ぐために行動している人たちは、また別のストレスにさらされているといいます。その予測される被害の大きさと、進まない気候変動対策、気候変動否定派との関わりからくるストレスなどから、まだ起こっていない現象・事象を極度に憂うことによって、「心的外傷前ストレス障害(予期不安症)」を患ってしまうとVan Susteren氏は言います。

 

気候変動問題の解決に取り組む人たちは、このようなストレス障害と向き合うために、自分にコントロールできる範囲のことだけに集中し、自分の生活を充実させることが必要だと筆者は言っています。そして、気候変動問題を解決していくことが自分にとって最大の薬になると。

 

新しい生き方の規範

人間は「この世とは何か」「人生とは何か」ということに納得のいく答えなしには生きていけない。人間は死んだらどこへ行くのか。自分が生まれる前は一体どこにいたのか。こう考え始めたが最後、私たちは、それこそ止めどなく深い不安へと陥ってしまうものなのである。

 

恋人の目を見つめたり、公園の木に触れたり、犬を撫でたり、戸棚の隅に蜘蛛の巣を見つけたりするときには、宇宙の遥か彼方の星々の世界へ突然連れ込まれたような、奇妙で背筋が凍るような恐怖心を感じなくてすむ。要するに私たちは、ダーウィンによって自然とは何かを分かったつもりになって、それに安心してきたのである。

 

「エントロピーの法則」は、私たちに対し、なにゆえに現代の規範が瓦解したのかを、徐々に、しかも正確に教えてくれるはずだ。私たち現代人は、長年土台にしてきた古い規範と、いまや創生されつつある新たな規範との狭間に住んでいるわけである。やがて、誰が見ても明らかなのに、我々はどうして誤った原理や理論を信じていたのだろうと、唖然とする時代が到来するに違いない。⇨ ジェレミー・リフキン

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