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生に対する蔑視

ネクロフィラスな人間は、過去に住んで未来には住まない。彼らの感情は本質的には感傷である。すなわち彼らは昨日まで持っていた感情、あるいは持っていたかに信じている感情の記憶を心に抱いている。彼らは「法と秩序」の冷淡な信奉者である。彼らに価値あるものは、我々の一般的生活に関連を持つ価値とは正反対のものである。すなわち生ではなくて、死が彼らを興奮させ満足させる



生に対するネクロフィラスな蔑視と、スピードや機械的なものをすべて賞賛する傾向とが婚姻関係にあることは、ここ数十年の間にはじめて明らかにされたことである。にもかかわらず、1909年の昔、<未来派宣言>でマリネッティがこのことを簡潔に表現している。


■未来派宣言ーフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティー(1876~1944)詩人・批評家

1、われわれは危険を愛し、エネルギッシュで勇敢であることを歌う。

2、われわれの詩の原理は、勇気、大胆、反逆をモットーとする。


3、在来の文学の栄光は謙虚な不動性、恍惚感と眠りであった。われわれは攻撃的な運動熱に浮かされた不眠クイック・ステップとんぼ返り平手打ち殴り合いを讃えよう。


4、われわれは、世界の栄光は、一つの新しい美、すなわち速度の美によって豊かにされたと宣言する。爆発的な息を吐く蛇にも似た太い管で飾られた自動車・・・・・霰弾に乗って駆るかのように咆哮する自動車は<勝利の女神ニーケ>の像より美しい。


5、われわれは軌道の上に自らを投げた地球を貫く軸をもった舵輪を握る人を歌う。

6、詩人は熱狂と光彩と浪費に熱中すべきである。その根源的要素たる熱狂的な情熱をかきたてるために。


7、争い以上に美しいものはない。攻撃なしには傑作は生まれない。詩と歌は未知の力を人間に屈服させるための、激しい突撃でなければならなぬ。


8、われわれは世紀の突端をなす岬に立っている。不可能なるものの神秘の門を破らねばならぬとき、なぜ後ろを振り向かねばならぬか?時間と空間は昨日すでに死んだ。われわれは永遠にして普遍なる速力を創造した。故にもはやわれわれは絶対の中に生きている


9、われわれは戦争 ーそれはこの世の唯一の健康の泉だー 軍国主義愛国心アナーキストの破壊力殺すことの美的傾向女性蔑視を讃えよう。


10、われわれは博物館、図書館を破壊し、道徳主義、フェミニズム、一切の便宜的、功利的卑劣と闘おう。


11、われわれは労働、快楽、さては反抗によって刺激された大群衆を、近代の首府における革命の多色多音な波動を、電気のどぎつい月の下にある兵器庫や造船所の振動を、煙を吐く蛇を飲み込む貧焚なる停車場を、黒鉛の束によって雲にまで連なる工場を、体操家のように日に輝く河の凶暴な刃物を飛び越えている橋梁を、水平線を嗅いで行く冒険的な郵船を、長い筒で緊められた鋼鉄製の巨大な馬に似てレールの上を跳躍する大きな胸をした機関車を、プロペラの唸りが翼の羽ばたき、熱狂興奮した群衆の喝采にも似て滑空飛揚する飛行機の歌を歌う。

戦争の深淵


エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

傷つけられたナルシシズムのため生じた憤怒に、代わりうるものがあるとすれば、それは抑うつである。彼は外界に関与せず、関心も示さない。彼は何者でもなくなる。というのは、彼は外界と関与を持つための自我を発達させてこなかったからである。彼のナルシシズムが酷く傷つけられ、維持できなくなれば、自我は崩壊し、この崩壊の主観的反射が抑うつの感情になる。


しかしながら他人には一層危険だが、その人自身にはより満足のいく、脅威の解決法がもうひとつある。その方法は、現実をある程度まで自分のナルシスティックな自己像と一致するように歪めることである。一例としては、<永久運動機関>を発明したと信じる、ナルシスティックな発明家であり、より重要な解決策は誰か他人の同意を得ることである


そしてできれば、何百万という人の同意を得ることである。前者は<二者の愚行>であるが、後者は何百万もの人の喝采と賛同を得て、自己に潜在する精神的な病の発生を防ごうとする公人である。最もよく知られているのはヒトラーであり、何百万という人に、自分の演出した姿を信じ込ませ、「第三帝国」についての幻想をもたせるなどして、現実を変形させることに成功していなかったら、彼は恐らく精神病と診断されていただろう重症のナルシストだった。


カリギュラ、ネロからスターリン、ヒトラーに至るまで、彼らが自分たちの信者を発見し、現実を自己のナルシシズムに適合するように変貌し、一切の批判を破壊することに必死になったのは、まさにそれが狂気になるのを防ぐためだったが、逆説的にはこういう指導者の狂気の要素が、彼らを成功させることにもなっている


悪性型のナルシシズムの場合、その対象となるものは、その人の行為や制作したものではなく、彼が<所有するもの>である。もし私の肉体・容貌・健康・富のために私が偉大なのであれば、誰に対しても何に対しても関係を持つ必要がなくなり、何の努力もいらなくなる


自分の偉大な姿を維持しようとするほど、彼は現実から離れ、膨れ上がる自我が幻想の産物であることが暴露されないように、さらにナルシシズムを充実させる羽目に陥る。悪性のナルシシズムは自己制限を無視し、世間嫌いになり、唯我独尊に陥る。何も成就したことのない人は、他人の仕事を評価するのが難しく、そのため、ナルシスティックな栄光の中へと孤立せざるを得なくなる

暴力の深淵


エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

生が、構成され機能することにより生長する特徴を持つのに対して、ネクロフィラスな人は、成長しないもの機械的なもの をすべて愛する。そしてまた有機体を無機体に変貌し、生きているものを物体であるかのように機械的に接したいという欲望に駆られる。あらゆる生命過程、感情、思考はすべて物体に変貌される経験よりは記憶が、存在よりは所有がここでは重要なのである。ネクロフィラスな人は、それを所有する場合にのみ花とか人とかを、客体として関与しうるのである。


それ故、自身の所有物に対する脅威は、自身に対する脅威であり、もし所有できなくなれば外界と断絶することになる。それ故、たとえ生を失うことにより所有するものが存在しなくなったとしても、所有するものを失うよりは生を失う道を選ぶという、逆説的反応が見られる。彼は支配を愛し、支配しようとして生を抹殺する


彼が生を深く恐れるのは、生がそのもてる性質上、無秩序で制御しにくいからである。ネクロフィラスな人にとって、正義とは正しき分断を意味し、彼らは自分たちの正義のためには喜んで殺し、喜んで死ぬ。「法による秩序」が彼らにとっての神であり、法と秩序を脅かすものはすべて、自らの至高の価値に対する挑戦と受けとるのである。


生から離れ生に敵対するものは、すべて彼を魅了する。彼は子宮の暗闇、さらには無生物的・動物的な存在の過去に戻ろうとする。彼は本質的に過去を志向し、憎み恐れる未来を志向しない。彼が切望するものは確実性である。


しかし、生は確実なものではなく、予測できず、制御できない。生を統御しうるものとするためには、生は死に変貌されなければならない。事実、死は生における唯一つの確かなものである

集団ナルシシズム

私たちは一人であり、全員である。始まりであり、終わりである。⇨  *ボーグ・クイーン「スタートレック・ファーストコンタクト」


エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊國屋書店より

集団ナルチシズムは、個人のナルシシズムより発見が難しい。仮にある人が、「私と私の家族は、世の中で一番素晴らしい人間です。私たちだけが清潔で聡明で優秀で、そのうえ上品です。他の人はみな不潔で馬鹿で不正直で責任感がありません」と言えば、たいていの人はその人を無神経で、バランスの崩れた人だとか、あるいは狂人だとさえ思うだろう。


にもかかわらず、狂信的な演説家が「私」と「私の家族」を『国家』『民族』『宗教』『政党』に代えて大衆にその優越性を語れば、その人は愛国心や神への崇拝などの理由によって、賞賛され尊敬される


しかし他民族や他宗教は、自分たちが軽蔑されているという明白な理由から、この種の演説には激怒するのが普通である。しかし、友好集団のなかでは、各個人のナルシシズムが集団ナルシシズムによって正当化され、多くの人々がそれに同意しているという事実から、その演説が一見正当のように思えるのである。


多くの人が「正当である」と考えることは、理性的な判断を経ることなく、世間一般の人たちの考えだから「正義」だと、彼らは考えたがる。統一体としての集団が、存在を保持してゆくために集団ナルシシズムを必要とするかぎり、ますますそれはナルシシズム的傾向を助長し、自分たちは特に優れているという「格付け」を彼らに与えるのである。


集団の成り立ちが未開種族未開血族、あるいは現代においても精神的に貧困な場合、当初は数百人の成員を含むに過ぎないため、個人はまだ個性と独立性をもたず、原始的な結合(近親相姦的結合)によってグループに結び付いている。このようにして、集団ナルシシズムは、その成員が情緒的にいまだその所属する「血族外」では存在しないという事実によって強化されるのである。


集団ナルシシズムの社会学的機能の一つは、構成要員の多くに満足を与えないような社会は、成員に存在する不満を除去するために、悪性型のナルシスティックな満足感を彼らに与える必要がある経済的・文化的に貧困な人々にとっては、その集団に帰属するために生まれるナルシスティックな誇りこそが、唯一の、そして非常に効果的な満足感なのである


人生が面白くなく、また興味を持ちうる期待がないからこそ、彼らには強いナルシシズムが発達してくるのである。このような現象は、ヒトラーのドイツでも見られたし、現在のアメリカ南部に見られる人種問題のナルシシズムにもそれが見られる。


両者とも人種的優越感の核は中産下層階級であったし、現代でもそのことは同じである。中産下層階級は、経済的にも文化的にも被搾取階級であるが、その状況を変化しうるような現実的希望が全くないために、唯一の満足しかもちえないのである。


すなわち我々は世界で最優秀の種族であり、劣等種族と考える他の種族より優秀であるという慢心から生まれる自己像である。こういう集団の成員は次のように感じている。「私は貧乏で教養はなくとも、世界で一番立派な集団に属しているからこそ重要な存在である。つまり白人だからだ」とか「私は、ユダヤ人ではなく、アーリア人だ」と



*ボーグーその最大の特徴は、侵略の対象が「文化」や「技術」その物にある点にある。領土や財貨、個人といった物には興味を示さず、特定の種族の持つ、文明、文化、そのものを吸収同化していくという特徴は、ボーグを従来のSF作品に登場する侵略型エイリアンとは、一線を画す特異な存在へと昇華させた。物語中、ボーグは、同化と呼ばれる強制的なサイボーグ化により、自組織へと他のヒューマノイド(人間)を取り込もうとする存在として描かれた。


ボーグは全メンバーの意識を常時共有している性質上一人称単数の意思は存在せず、常に自分たちの事を「我々」と表現する。これは1人だけを相手にしていてもその個体はこのように表現する。同化の際に「我々はボーグだ」(We are the Borg)、「お前達は同化される」(You will be assimilated)、「抵抗は無意味だ」(Resistance is futile) という一方的通告をする。⇨ ウィキペディアより

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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