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4月のおしらせ

時計仕掛けのりんご:1970年に『週刊ポスト』(小学館)で4月17日号から5月8日号に連載された。

■あらすじ
長野県天竜川中流近くの稲武市(いなたけし、架空の都市)は大手メーカーの時計工場ができたことで急速に発展した。 白川雄作は妻と2人暮らし。妻の意向で朝食には毎日パンを食べていた。ある朝、テレビやラジオが受信できなくなり、朝日新聞以外の新聞も届かなくなった。その朝日新聞にはおかしなことは何も書かれていない。不審に思いつつ白川は出社するが、市外に住んでいる同僚は出社していなかった。 白川が密かに不倫願望を抱く同僚・秋吉ミチは社の食堂で出されるカレーライスの米の味が変だという。白川は米の分析を薬屋に依頼する。すると米の中には脳の働きを鈍らせる劇薬「ピューロマイシン」が入っていたことが判明する。翌日、その薬屋は行方不明になってしまう。 白川は山に登ってみるが、そこで自衛隊に身柄を拘束される。自衛隊の将校は二・二六事件のようなクーデターを企てていたのだ。将校らは白川と秋吉の不倫の証拠となるような合成写真をみせ、白川に口止めした。しかし、白川は一部始終を打ち明け、2人は養殖場の鯉の体にコールタールでSOSを書き込んで天竜川に放した。 次の日。稲武市の住民は一か所に集められ、自衛隊の将校が首都占拠のための実験を行ったこと、住民達を人質にしたことを告げる。塔に登った将校は急な雷に撃たれて果てた。➡出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
■あらすじ
山間の小さな町、稲武市。南アルプスの東にあるこの町は、近年急速に発展した小さな地方都市でした。ある日、その町の「朝日新聞」以外の新聞が急に届かなくなってしまいました。テレビも、ラジオも映らず、電話も通じない中、不審に思った経理マンの白川は、いぶかしみながらも、いつもどおり会社に出勤します。会社に行っても、市外に住んでいる社員が出社していなかったり、ラジオやテレビがみられなかったり、と異変はつづけて起こります。ひそかに好意を寄せていた女性社員が「カレーライスから変な味がする」と言い出したことから、白川は興味をもって、こっそり社員食堂の米を調べてみますが…。「陸の孤島」たる地方都市を取り巻く恐ろしい陰謀。いったい稲武市に何が起こっているのか?ぞっとするような「if」を描くリアルなサスペンスストーリー。➡手塚治虫オフィシャルHPより


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■ピューロマイシン (Puromycin) は抗生物質の一つ。細菌の Streptomyces alboniger から得られたアミノヌクレオシド系抗生物質である。翻訳のプロセスを阻害することでタンパク質合成を阻害する。➡出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

   次の記事からが、通常の記事になります。

今日の非現実性ー4

A・ローウェン「ナルシシズムという病 文化・心理・身体の病理」初版第1刷発行-1990年12月20日 初版第5刷発行-1996年2月1日 新曜社

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現代人はその想像あるいは現実において、子どものときの、そしてまた大人になってからの無力さの経験から生じる内的な絶望を克服するため、力の感覚を必要としているように思われる。だが、複雑な人間的問題が力によって解決できるなどと信じるのは幻想にすぎない


現代世界の非現実性はそうした力への信仰にある。神がスーパーマンにとって代わられてしまったのだ。またスーパーマンはひとつのイメージにすぎないけれども、それは十分な力(知識とお金)さえあれば人間は世界をうまくおさめることができるという信念を象徴するものである。


力さえ十分にあれば、彼は自分の運命をコントロールし、さらにはそれを決定することができる。たしかに彼はこの仕事をなしとげるためスーパーウーマンの助力を必要とする。だが彼のイメージどおりのものが即座に姿をあらわす。これこそまさに、いわゆる情報時代を生みだした技術革命の背後にある哲学である。


情報が十分に与えられるなら、我々のなしうることは天井知らずだ。究極の目標は病気をなくし、老化を克服し、死を征服することである。人間は最後には不死の存在、神となるであろうというわけだ。これ以上に大きな誇大妄想があるだろうか


神のようなものになりたいという我々の強い願望は、全知の追求全能への渇望不死への願いに反映されている。だが、我々がこうした資質を賦与する神あるいは何らかの卓越せる力が存在するかぎり、我々は人間性の限界の内にとどまりつづける。人間の知識はいつでも不完全であること、人間の力は必ずしも運命を変えられるほど十分ではないこと、人間は死すべきものであることを、我々は知っている。それは知っていることが謙遜さと人間らしさの基礎だ。


それがあるおかげで我々は 「私には分かりません」と言うことができる。また、それがあるおかげで我々は他者に共感することができる。なぜなら、そのとき我々は人間の共通性を認めているからである。自分たちの限界を知り、そしてそれを受け容れるとき、我々はナルシシストではない真の人間となるのである


今日の非現実性ー3

A・ローウェン「ナルシシズムという病 文化・心理・身体の病理」初版第1刷発行-1990年12月20日 初版第5刷発行-1996年2月1日 新曜社

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我々の社会は逃避主義的傾向が非常に強い。とりわけ青年たちに広く見られる麻薬やアルコールの使用はその証左である。私の信じるところでは、若者たちが麻薬に目を向けるのは、自分たちがさらされている過剰な刺激が手に負えないからである。耐えがたい状況から逃避する道を麻薬やアルコールが与えてくれるのだ。


逃避主義のもうひとつの形態は神秘的な経験に没頭することである。 このような経験のなかで、人は宇宙、遍在する力、至高の実在といったものとの同一化を感じることができる。こうした経験の本質は自己を超越あるいは脱出することであって、そこでは自己は魂を拘束したり閉じこめたりするもの と信じられている。神秘主義者たちは断食や欲望の否定、日常世界からの離脱によってこうした宇宙的な力との結合状態に到達しようと努力するのだが、


神秘的経験を追求する西欧人は両方の世界にとどまることを望んでいる。彼らの探究は真の精神の冒険ではなく、むしろ、感情をうまく扱うことができないため、その人にとって負担となってしまった自己から逃避しようとする努力であるように見える。


私の意見では、神秘的なものへのこのような関わりはナルシシズム的な策略であって、そのことは、そういう人たちが生活上の世俗的な問題と格闘している普通の人間より優越せるものと自分を見なしているという事実から明らかである。ジョナサン・リヴィングストン・シーガルも自らの死すべき実存を超越しようとして同様な努力を試みたのであった。


他方、現実生活における平均的な人間の安全と幸福の感覚は、簡単にこれと決めることができないような非人格的諸力によっておびやかされている。たとえば、インフレや失業のような経済的諸力、戦争や汚職のような政治的諸力、暴力や官僚制のような社会的諸力がそれである。


こうした力を目のまえにして、人は子どものときに両親の支配のもとでそうであったように無力感を感じている。映画のなか、善なるものや正しいものが勝利を収める遠い宇宙に夢中になることによって、人は一時的にそうした無力感から逃避することができる。このような反転現象以上に我々の時代の非現実性を立証できるものが、何かあるだろうか。いささかも客観的現実性をもたない遠い宇宙のイメージは、それにもかかわらず地上の日常生活以上よりも現実的な感情を喚起するのである。


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今日の非現実性ー2

A・ローウェン「ナルシシズムという病 文化・心理・身体の病理」初版第1刷発行-1990年12月20日 初版第5刷発行-1996年2月1日 新曜社

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生気の欠如とイメージヘの陶酔との結びつきは、テレビやビデオに対する我々の関わりにおいて最も明確になる。テレビに対して過度に身をさらすことが身体の生気に抑うつ的な効果を与えることは、誰でも知っている。我々は絶えずイメージの刺激を受けるのだが、それから生じる興奮を解除する方法を知らないのである。受動的な視聴者が自らをコントロールするためには、自分の身体を「死化」させなければならない。テレビを何時間も見ていると見る前よりも退屈になってしまう、と多くの人がこぼすのを私は聞いたことがある。


また自分自身もこのような作用を経験したことがある。それはブラウン管のもつ催眠効果を説明してくれる。いったんテレビ番組を見始めると、我々は自分の意志にほとんど逆らってでも見続け、次から次へと番組を見るようになる。テレビを見続ける受動性に自らを譲り渡せば、我々は自分の能動的生活を再開するエネルギーを即座に失うのだ。こうした死化のプロセスが刺激を求めて人をテレビヘと向かわせるのだが、これはもちろん悪循環となる。つまり、生気の欠如が刺激を求める欲求へ導き、今度はその刺激がより大きな死化を生みだすというわけである


テレビにも良い側面がないわけではない。我々は皆いくつかの優れた番組を享受してきたし、そうした事実が、テレビにスイッチを入れさえすれば何かわくわくするものが与えられるだろうという希望を高めるのだ。だがこうした興奮の約束は、すべての誘惑的な約束と同様、めったに実現されることがない。優れた番組制作がまれにしかなくとも、視聴者の誘惑は効果をあげることができる。代表的な番組の質がどのようなものであるかということとは関係なしに、人々はテレビに釘付けにされるのである。


テレビに人気がある主たる理由は、それが人々に自分自身からの逃避を可能にすることにあると私は思う。テレビを見ることには退行的現象と評すべきいくつかの側面がある。ひとつは、視聴者はまるで赤ちゃんのように、いかなる応答をも期待されることなく、また想像力を行使するようにという要求もほとんど為されることなしに、楽しませてもらえることである。洞察力の深まりや未来へ向かう運動へ人を導くことのない退行が逃避主義のひとつの形態であるとするならば、


そのもうひとつの形態が、スクリーンに映し出されるィメージや物語に夢中になるあまり、自分の人生が置かれている状況から生じてくる必要や責任との接触を失うことである。


スクリーンに映じる非現実の世界が、個々人の感情や関係といった現実の世界に、一時的に取って代わってしまうのだ。


今日の非現実性ー1

A・ローウェン「ナルシシズムという病 文化・心理・身体の病理」初版第1刷発行-1990年12月20日 初版第5刷発行-1996年2月1日 新曜社

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こうした体操(ロルフィング:米国生まれの手技療法)がもたらしてくれるような身体との接触感覚がなければ、人は現実に根ざした感情(グラウンディング)を失ってしまう。ところが、それこそ今日、多くの人々に生じていることなのである。現代世界の非現実性を一番簡単に特徴づけたいと思うなら、イメージに陶然とな ってしまっていることだと言えばよい。


多くの人々がファッションモデ ルに高い敬意を払っていることはこれで説明できる、と私は信じる。モデルの周りには優越性のオーラがたちこめているように見える。モデルという言葉自体、その意味のひとつとして「模倣されるに値する」という意味をもっている・・・


・・・重要なのはどのように見えるかということなのだ。そして外見が売りものになるからこそ、そうした特別な外見をもったモデルには高い値がつくのだ。だがモデルは生活のためにポーズをとる人間であり、広告業者や写真家が命令をくだし使用する生きたマネキンである。それは必ずしも自尊心の放棄を必要とするわけではないが、品位の感覚と結びついた職業ではないのである


だが、私は疑間に思うのだが、ひとりの人間がモデ ルでありつつ、それでも生き生きと生気に満ちていられるものなのだろうか。男性も女性も含めて、私は数多くのモデルを知っているし、その治療もしてきた。すべての事例において、私は彼らの身体の生気のなさに印象づけられた。ポーズをとることは彼らにとってたやすいことである。というのも自分の表情を静止させるにはごくわずかな努力しか要求されないからである。更にまた彼らの生気のなさは、却って彼らが売りこもうとしている商品から読者の気を逸らさないようにしていた


1949年、私が医学部で学ぶため妻レスリーとジュネーブに住んでいたとき、妻はある友人からファションデザイナーの事務所で洋服のモデルをやるようにすすめられた・・・面接のとき、何枚かのドレスのモデルとな って店のオーナーの前を歩いてみせた。最後にしかし、彼女はそこでは雇えないと告げられた。彼らの説明によると、彼女が着ると服が見すぼらしく見えるということであった・・・彼女の生き生きとした様子は、人の注意を服から引き離してしまうと彼らは言ったのである。


生き生きとした生気は厄介な代物で、 ひとつのイメージに置き換えることができない。元々の性質からして、イメージが静的、或いは静止したものであるのに対して、生気は決して静的あるいは静止したものでは在り得ないからである・・・イメージは少なからぬ商業的価値を持ち得るものであるから、評判や金銭が支配的な価値であるような文化にあっては、それは非常に重要なものとなる。イメージは生気のアンチテーゼであるがゆえに、イメージだけが重要視されるときには生気は被害を被る。商品やサービスを売るにはイメージだけを用いればよい。従って生気にはいかなる商業的価値も存在しない。


商業社会―― これはイメージの社会でもある―― にあっては、評判と金銭が緊密に結びつけられる。なぜならイメージが名声を博す ことがその社会の最大の価値だからである


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