ケンタウロスの復活:意識進化の段階-5

bandicam 2017-08-23 14-37-29-345

 

不随意のプロセスを理解し、受け入れることができれば、自分自身を受け入れるために、自分自身をコントロールする必要などないということを学ぶこともできる。事実、より深い自己「ケンタウロス」は自分の統制を超えたところに存在している。それは、随意と不随意であり、両方がともに自己の現れ(顕現)なのである。

 

随意と不随意の双方を受け入れれば、自分を不随意な身体の被害者とは感じなくなる。物事をコントロールしてその責任を負うのではなく、自分がどう感じるかに関して、<誰か>や<何か>のせいにしたり責めたりする必要がないという意味の深い責任感が発達してくる。

 

しかし不随意を受け入れるということは、髪の伸びを早めたり、お腹が鳴るのを止めたり、血液を逆流させたりするような、能力の獲得を目指すということではない。むしろこういったプロセスが<不随意に存在>することを自覚し、

自分や世界を強迫的に操作、操縦し、創造の責任を担おうとするような<超越妄想>を手放すのである

 

視野の狭い、頑固な自我が意識的に、同時に対応できる事柄は一つか二つである。ところが全有機体は自我の助けを借りず(むしろ干渉しないときの方が効率よく)複雑な消化作用から、神経伝達、情報の収集、調整に至る何百万ものプロセスを自立的に、完全に行う。そして、これらを行うには、自我が誇る表面的なトリックをはるかにしのぐ、何か深い知恵が影響していると考えないわけにはいかなくなる。

 

無為にして為さざるは無し」➽ 老子

エネルギーとは永遠の喜びであり、それは身体からやってくる

➽ ウィリアム・ブレイク

 

私たちの日常の問題や懸念は、自我が介入しなければ自然が完璧に処理するプロセスを、統制・操作しようとするところから必然的に発生する。例えば自我は、心得違いから幸福や楽しさ、喜びをつくり出そうとしたりする。

 

現在の状況に幸福が欠如していると感じると、洗練されたおもちゃと道具で自らを取り囲み、喜びを生み出そうと強迫的に活動してしまうのだが、これは外部から幸せと喜びを呼び寄せることができるはずだという幻想を強めるだけである。

この幻想はそれ自体、喜びを妨害する源なので、私たちは自らの喜びを妨害する源そのものを追い求める羽目に陥り、しかもそのことに気づかないのである。

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