理解し難いタイプの説明:内向的感覚型・内向的直観型

内界に馴染む人

内向的感覚型・直観型は外から判断する人にはほとんど理解できない。内向的構えは表現能力も表現意欲もほとんど持たないので、的確な判断を下すための手掛かりが得られないのである。彼らの活動は内面に向けられているので、外から見る限り、内気・陰険・無関心ないし、あやふやな態度・根拠のない困惑しか捉えることが出来ない。

外に現れるものがあれば、それはどちらかというと無意識的な劣等機能が間接的に表れたものなので、このタイプの本質を表していないにも関わらずこれらの外見は、このタイプに対する偏見のもとになっている。彼らはたいてい過小評価されるか、少なくとも理解されない。

加えてこのタイプは判断がひどく欠けているため、自分で自分のことが理解できない。そのため、同じ理由から自分がなぜ過小評価されているかが分からない。すなわち彼らは自分が外にすることが、実際には充分でないということに気づいていない。

彼らの目は、豊饒な内的世界に釘付けになっている。内で生じることがあまりにも魅力的で、尽きることのない刺激を送ってくるために、それについて周囲に伝えることが、豊饒さのごく一部しか含んでいないことに気づいていないのである。逆に言えば、周囲の人が内的経験を捉える能力に欠けていることに気づいていない。

 

彼らの表現は断片的で脈絡がないにも関わらず、周囲に理解され喜んで受け入れられるはずであるという過大な要求を持っている。しかも彼らの表現には客体に対して注がれるべき暖かさ、それがあれば一層説得力を持つであろう暖かさが欠けている。

 

このタイプは外に対して無愛想拒絶する態度を示すことが非常に多いが、彼らはそのことを自覚できないし、意図的にそうしているわけでもない。こうした人をより公平に判断し、寛大に付き合える人がいるとすれば、それは内面で見たものを理解できる表現に置き換えることが、いかに難しいかを知っている人間だろう

 

そうだとしても、彼らが何も言わないうちに忖度して先回りしてはならない。そんなことをすれば、このタイプを酷く損なってしまうだろう。彼らはまさにその運命の力により、圧倒的な外界の困難に他のタイプより多く出会うが、それによって内的直覚のもたらす陶酔状態から目を覚ますことが出来る。そして大きな困難に出逢ってこそ、彼らからついに人間的な言葉が絞り出されるのである

 

このタイプの人は、豊かで活気に満ちた世界と、その世界から溢れ出る人を魅了するような生気が、外界だけでなく内界にも存在するという事実の生き証人である。確かにこのタイプは自然の相対的な一面だけが現れたタイプであるが、その時々の「精神的流行」に惑わされることのない人々にとっては文化の促進者であり教師である。

 

私たちが彼らのコミュニケーションの欠如から気づかされるのは、我々の文化にはある大きな誤りがあるということである。すなわち話すことや表現することを迷信的に信じ、言葉や方法を通して学ぶことをあまりにも過大評価しているということである。

 

偏った精神文化

実際に子供を教育するのは両親の態度であり生き方である。それに言葉だけをとってつけても子供は混乱するだけである。同じことは教師にも当てはまる。方法(カリキュラム)さえよければ、それを扱う教師までが神聖視されるという有様ではあるが、劣等な人間は絶対に良い教師にはなれない

 

ところが彼は知らず知らずのうちに生徒を毒している、自らの有害な劣等性を、方法論と同じく知的表現能力の背後に隠し持っているのである。年長の生徒であれば、役に立つ方法(この問題はテストに出ますか?)を何よりも知りたがる。というのは彼らは方法を無敵のものと信じる一般的な構えの軍門に下ってしまっているからである。

 

年長の生徒はすでに一定の方法(How to)を丸呑みにできるように頭が空っぽであればあるほど優等生になれるということを経験的に知ってしまったからである。彼らの周りはみな、成功と幸福はすべて外にあり、望みのものを手に入れるには正しい方法を知っていればよいと告げ、その通りの生き方を見せる。こうした大人たちは、豊かな内面を見つめることにより輝き出す幸福があることを、自らの生き方をもって示すことが出来ない理由で有害なのである。

 

たしかに内向的な*非合理タイプは、全人格的な人間性を備えた教師ではない。彼らには理性とそれがもたらす常識が乏しいからである。しかし、彼らの生き方は私たちの文化から失われてしまった、別の文化の可能性を教えてくれるのである。

 

*感覚・直観は判断が抑圧されているため非合理タイプと定義される。反対に合理的タイプである思考(正しいか正しくないかという判断)と感情(好きか嫌いかという判断)は判断を自らに課すタイプ。

 

タイプ論のおわりに

配られたカードで勝負するしかない・・・、可能性が何であれ」。

お皿の水に僕が映ってる・・・、喉が渇くけど、もし全部飲んだら僕が見えなくなるから飲まない!」➡ スヌーピー

 

馬鹿げて見えるって自分で知ってれば、馬鹿げてても構わないのよ!」

先生を好きになるのはいいわ。でも崇拝するのは間違ってるわ」。

(好きになるのは意識の関与、崇拝するのは無意識の関与)

➡ ルーシー

 

とにかく、ぼくはベストを尽くしたんです・・・助けようとして・・・正しい答えが人生のすべてじゃないでしょう?」

自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐え難いって」。➡ チャーリー・ブラウン

<チャールズ・シュルツ「Snoopy」より>

内向的直観の特殊性

<アンソニー・スティーヴンズ「ユング」講談社選書メチエより>

ユングが提示したのは、それを基礎にして一つの心理学全体を構築しうるような、一つの基本的概念である。潜在的には、それは物理学における量子論にも匹敵するほどの重要性を持っている。物理学者が原子や波動を、あるいは生物学者が遺伝子を研究するように、心理学者の仕事は集合的無意識と、そのさまざまな機能的単位を研究することだ、とユングは主張した。その機能的単位をユングは元型と名づけることになる。元型は「我々すべてに共通の心の構造」であり、それが集まって「古代からの人類の遺産」を構成している。ユングは元型を、人類全体に共通の行動の特徴と、典型的な経験を開始・統御・媒介する能力を持つ神経と心理学的な「中枢」と捉えた。元型は、階級・宗教・人種・地理・歴史に関わりなく、似たような思考・イメージ・神話のエッセンス・感情・観念を生じさせる。ある個人の元型的蓄えの全体が集合的無意識を構成し、その権威と権力は、人格全体を統合している中核に帰属し、その中核が「自己」である

 

<C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より>

内向的構えにおける直観は、無意識の諸要素とでも呼べるような、内的客体に向けられている。内的客体は物質的現実ではなく、心的な現実であるが、意識に対しては外的客体と同じような関係性を持っている。内的客体は主観的なイメージの形で現れるが、このイメージは外的経験の中で触れることはできないものであり、集合的無意識と呼ばれる。ちょうど私たちが外的客体を相対的にしか知覚できないように、内的客体も私たちが到底到達不可能な客体自体の本質を持っている。外向的直観の場合これは可能な限り抑圧されているのに対し、内向的直観の場合決定的要因となっている。

 

内向感覚では、無意識によって生ずる神経刺激伝達を知覚した場合、その範囲に限定して留まるのに対し、内向的直観は主観的要因の感覚面を抑制し、この刺激が誘発したイメージを捉える。感覚はその性質・強さ・時間経過・始まりと終わりを捉えるがそれ以上は何もしようとしない。またその障害の源泉である「内容」にまで迫ることはしない。これに対し直観は刺激から受けとるのは最初のきっかけだけである。直観は即座に感覚の背後を探り始め、例えば眩暈発作という現象を引き起こした内的イメージを知覚する。

直観が知覚するのは、心臓を射抜かれた男のイメージ(直観の機能により無意識の背後に隠れて見えない幻視を生き生きと感じる)である。直観はこのイメージに引き付けられ離れず、あらゆる細部を探索しようとする。直観はこのイメージをつかんで離さず、イメージが変化し、発展し、消失する様を、目を輝かせて見届ける

 

内向的直観は意識の背後にあるあらゆる過程を、外向的感覚が外的客体を捉えるのと同じくらい明瞭に捉える。内向的直観型の人にとって無意識のイメージは、外向的感覚型が客体に持つのと同じくらいに高い地位を獲得するのである。

 

また外向的直観型が外的客体に対して示す驚くべき無関心さを、内向的直観型も内的客体に対し示す。ちょうど外向的直観型が絶えず新しい可能性を嗅ぎだして、自分や他人の不幸などお構いなしに追いかけ、思いやりなどどこ吹く風と、永遠に変化を追い求めるあまり、ほとんど出来上がっていないものを早くも打ち壊してしまうように、内向的直観型の人もイメージからイメージへ渡り歩き、無意識という多産な子宮のもつあらゆる可能性を、自らに結び付けるということをしないのである

 

ちょうど世界を感覚的にしか捉えない人にとって、世界が道徳的な問題となることがないように、直感型の人にとってもイメージの世界が道徳的な問題となることは決してない。世界はこの双方にとって審美的な問題・知覚の問題なのである。このようにして内向的直観型の人には、自分に身体が存在することも、それが他人に影響を持つということも意識されなくなってしまう

 

外向的立場から批判すれば、「彼にとって現実は存在せず、彼は実りのない夢想にふける」ということになる。無意識のイメージを観照することは、汲めども尽きぬ創造力を生み出すとはいえ、直接役に立たないという意味で非生産的である。しかし、場合によっては新たな潮流を促す可能性を持つという意味において、外的世界から最も遠いと思われるこの機能も、人間の心的生活に欠くことのできない「心の収支決算」には必要不可欠なのである。もしこのタイプが存在しなければ、イスラエル民族に預言者が現れることはなかっただろう。

内向的直観型

芸術に関して言えば、情熱はつねに常識に打ち勝つべきだ。君たちはただ夢を追ってるんじゃない、自分の運命を掴もうとしているのだ。➡ ロバート・デニーロ

 

伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない

➡ グスタフ・マーラー

あらゆる現実は、かつては空想でしかなかった

➡ ウィリアム・ブレイク

 

こういうことを言うのは変かもしれないが、華やかな場所に出るのがさほど好きというわけではないんだ愛情を得るために遠くへ出かけて、何万と言う人の前で演奏することを求める人もいるが、僕はすぐそばにいる人から愛情をもらっているから、それでいいんだ

➡ ボブ・ディラン

 

(鈴木秀子著「9つの性格」PHP、より)

タイプ4(芸術家)の状態

良い状態思いやりがある、内省的、表現豊か独創的、勘が鋭い、人を励ます洗練されている。

悪い状態=意気消沈、自意識過剰、罪悪感に囚われる、道徳を振りかざす、引きこもる、片意地で気まぐれ、物思いに没頭、嫉妬心と復讐心に悩む。

タイプ4の成長のベクトル=タイプ1「改革する人」(外向的思考型)の肯定的な面に向かう。

・自制的で地に足の着いた生き方を選択する。

・山積みの問題に着手し、実践性を高める

より大きな理想に基づいて行動する。

・感情に支配されにくくなる。

タイプ4の衰退のベクトル=タイプ2「人を助ける人」(外向的感情型)の否定的な面に向かう。

・空虚さや孤独を埋めるために、他人を操作し依存する。

個性を否定して、偽善的になる。

特別な存在と認められることに執着する。

内向的直感型の概要

内向的直観が首座を占める独特のタイプは、一方で神秘的な夢想家と予見者、他方では夢想家と芸術家を生み出す。彼らの最大関心事は感覚器官を通して、客体を見分け捉える(知覚する)ことであり、彼が生産的な芸術家である場合、その知覚されたものに形を与えることである。ところが夢想家は直覚するだけで満足してしまい、彼は直覚によって形を与えられる、つまり決定される。

 

直観があまりに深まると、その人は目前の現実から極端に離れ、身近な人にすらまったく謎めいた人物となる。彼が芸術家である場合、彼の作品は浮世離れした一種異様なものとなる。

あらゆる色彩を放ち、意味深長で陳腐、美しくてグロテスク、高尚でありながら気まぐれなものになる。彼が芸術家でない場合には、埋もれた天才、ぶらぶらしている大人物、天才と馬鹿は紙一重的な「心理」ドラマの主人公のような人物であることが多い。

 

知覚を道徳的に扱うためには、判断を下す機能をある程度強化しなければならないため、内向的直観型の本性そのままでいるわけにはいかない。しかし直覚を純粋に審美的ものから道徳的なものへ転換させるためなら判断をほんの少し分化させるだけで十分である。こうしてこのタイプの変種が生まれる。この場合、本来の審美的な態度とは異なるとはいえ、やはり内向的直観型の特徴を示す。

 

道徳的な問題が彼の内に生じるには、自分と自分の幻視との関係について考える場合、すなわち直覚したり、それに価値や形態を与えるだけでは満足せず、その直観が自分ないし世界にとって、どのような意味をもつのかという疑問を持つに至った場合である。たとえば義務とか使命などの観点から見て、その直観が自分ないし世界にとっていかなる結論をもたらすのかという疑問である。

 

普通、直観型の人は判断を抑圧していたり、知覚の支配下に置いているため、こうした疑問を持つことはほとんどない。なぜなら彼にとって問題となるのは知覚の在り方だけだからである。そのため彼は道徳的な問題を訳の分からないもの、馬鹿げたものと感じ、できるだけ考えまいとする

 

これと異なるのが道徳的な構えをもった直観型の人である。彼は自らの幻視がもっている意味に心を奪われ、幻視が持つ広大な審美的可能性よりも、自分ないし世界に与える倫理的影響力の方を気にかける

自らの判断を通して彼は、自分が人間として丸ごと自分の幻視のなかに何らかの形で関わっていること、そして幻視が単に認識されるだけでなく主体の血肉になり得ることを、もちろんたいていはただ漠然とではあるが感じることが出来る。

この発見によって彼は、自らの幻視を自分自身の血肉に変える必要性に迫られる。しかし彼が拠り所にしているのは主として幻視であるため、道徳的な試みは一面的なものになる。つまり確かに直観の持つ内的で永遠な意味には適っているが、いま目の前にある現実には適わないものになる。そのため彼は現実に対する影響力をあまり持てない。彼は完全には理解されない。彼の話すことは世間の人々の話すこととはあきらかに違っていて、あまりに主観的すぎるからである。彼の論証には他人を納得させる道理や妥当性が欠けている。彼にできるのはただ告白し、述べることだけである。彼は荒野に叫ぶ説教者である

 

内向的直観型の人が最も抑圧するのは客体の感覚である。無意識の中には補償として太古的な性格を持つ外向的感覚機能が存在する。この感覚の特性は衝動的で歯止めのきかないことであり、加えて感覚的印象に異常なほど縛られている。この性質により、霞を食って生きるかのような構えが補償され、ある程度の重みが与えられ、その結果として完全に「昇華」してしまうことを防ぐことが出来る。

 

ところが意識的な構えがあまりに行き過ぎると、内的感覚に完全に支配され無意識が敵の手に落ちる。あまりにも客体に縛られる強迫的感覚が生まれ、意識的な構えに逆らうようになる。神経症の形態としては強迫神経症であり、身体的な症状としての心気症、五感の過敏症、特定の人物への強迫的固着である。

内向的感覚型の無意識

このタイプが高じると意識を主観的知覚・太古的な現実に委ねるようになるが、彼は相対的に合理的判断が欠けているため、この事実を理解できない。つまり合理的判断が欠けているという自覚がない

 

彼は神話的世界に住んでいる。この世界で人間・動物・鉄道・家・山・川は一部が恵み深い神に、また一部は悪意をもった悪霊に見えるが、彼は自分がそのように見ていることを自覚していない。そして神話的世界に影響を受けているということを意識しないまま、このような驚異に対処するように判断し行動している。

このことに気づき始めるのは、自分の感覚が現実とまったく異なっていることを発見した時である。彼が相対的に客観的理性に傾いている場合にはこのズレを病的と感じるが、自らの非合理性に忠実であり、主観的感覚に現実的価値を見出す場合には、客観的な世界は仮想であり喜劇である。ただしこのようなジレンマに陥るのは、どちらかに極端に傾いた場合だけである。通常このタイプの人は、自らの自閉状態と現実の平凡さに満足しており、後者に対しては無意識的太古的に対処しているのである。

 

彼の無意識の特徴は<直観が抑圧されていることであり、この直観は最終的に外向的太古的な性格を持つようになる。外向的直観が特徴的な勘の良さ、<客観的現実のあらゆる可能性に対する良い鼻>を備えているのに対して、このタイプの無意識的・太古的直観は現実の背後に隠れる<あらゆるいかがわしい・暗い・汚たならしい・危険なものを嗅ぎ取る>能力をもっている。このような直観にとって客体の現実的で意識的な意図など、おそらく何の意味もなく、これはそうした意図の背後にあるプリミティブ(意識の前段階)な可能性を嗅ぎだすのである。

この能力は極めて危険な破壊性をもっており、このことはしばしば意識がお人好しで無害であることと際立った対照をなしている。

 

その人が客体からそれほど離れていない限りは、この無意識的直観も、やや幻想的で信じ込みやすい傾向に対する、有効な補償として作用する。ところが無意識が意識(理性)と対立するようになると、こうした否定的直観が自我の中心を占め、破壊的な作用を発揮する。

なぜなら否定的直観が、客体に関するきわめて忌まわしいイメージを触発するからである。ここから生じる神経症は原則として強迫神経症であり、ここではヒステリー的傾向は消耗症候群の背後に後退している。

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( `ー´)ノ イングリット・バーグマン(1915年~1982年)女優

<ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社>でタイプ9(内向的感覚型)として紹介されている。

 

ーあなたは、自分の直観外向的直観の肯定的な面=未来に対する可能性・創造的な能力を見出すことを鍛える必要があります。あなたは自分の内なる声に耳を傾けるべきです。内なる声は、あなたが語るべきことと、判断すべきことを教えてくれるからです。<直観の肯定的な面に耳を傾け、現実的で理性的な判断をしよう

 

*タイプ9の成長のベクトル=タイプ3「地位探究者」(ユングのタイプ論には該当しない)の肯定的な面に向かう。

より精力的で、有能で、建設的になる。焦点を絞って行動する。

自信を持つ。他人の評価に惑わされず、人生を自らの力で開拓する。

内向的感覚型

ハニー、(銃弾)避けるの忘れちゃったよ

➡ ロナルド・レーガン

喜びを与えるのです。悪夢が夢だったとわかるときの喜びを

➡ アルフレッド・ヒッチコック

 

あなたは、自分の直観を鍛える必要があります。あなたは自分の内なる声に耳を傾けるべきです。内なる声は、あなたが語るべきことと、判断すべきことを教えてくれるからです

➡ イングリット・バーグマン

ややこしい問題のほとんどを避けようとするテレビは、求められる知識の水準を引き下げるものでしかない

➡ ウォルター・クロンカイト

 

(鈴木秀子著「9つの性格」PHP、より)

■タイプ9(調停者)の状態

良い状態=愛想がいい、大人しい、心が広い、辛抱強い受容性に富む、如才ない、偏見がない、人の気持ちになれる。

悪い状態=現実に対処しない、無頓着、片意地強迫観念的、無神経、善悪だけで判断する、弱気、怠惰、受け身による攻撃

タイプ9の成長のベクトル=タイプ3「地位探究者」(ユングのタイプ論には該当しない)の肯定的な面に向かう。

・より精力的で、有能で、建設的になる。

・焦点を絞って行動する。

・自信を持つ。

他人の評価に惑わされず、人生を自らの力で開拓する。

タイプ9の衰退のベクトル=タイプ6「忠実な人」(内向的感情型)の否定的な面に向かう。

・悩みや不安に打ちのめされる

・自分が信じられなくなり、物事が決められない

・柔軟性を失う。

・より受け身で怠惰になる。

 

内向的感覚型の説明

内向的な感覚は現実を理性において判断するのではなく、ちょうど目の前に現れたものに従って自分を方向付ける。外向的感覚が客体の影響力の強さに影響されるのに対して、内向的感覚型は、客観的刺激によって触発された主観的感覚に従って自分の方向を決める

 

この場合、明らかに客体と感覚の間に釣り合いのとれた関係は存在せず、そこにあるのは不規則で恣意的な関係である。そのため周囲の人は、この人が何に感銘を受けるのか、あるいは受けないのかという予測をすることができない。もしも、この人に感覚の強さに見合った表現能力と意欲がある場合、この人の非合理性は際立った形で現れる。たとえばその人が多産な芸術家である場合がそうである。

しかし、このようなことはむしろ例外で、内向型の人は自分を表現することがひどく不得手なため、逆にその非合理性は表面上隠されていることが多い。その反対にむしろ彼は、その落ち着きないし受動性、あるいは理性的な自己抑制によって目立つこともある。表面的な判断を誤らせるこの特徴は、客体との関係が薄いことからきている。

 

このタイプの正常な場合は、客体を意識的に軽視するようなことはないが、客体からの刺激は彼の内部で、客体とは何ら関わりのない主観的な反応に、ただちに取って代わられるために、その刺激は客体から離れてしまうのである。そのためこのタイプは次のような疑問をもたれることがある。

「本質的なものが、すべて客体なしに生ずるならば、人間は何のために存在するのか?」

「客体には、そもそもいかなる存在理由があるのか?」という疑問である。

 

この疑問はこのタイプの極端な事例には当てはまるが、正常な事例には当てはまらない。というのは、この人にとっても客観的な刺激は不可欠であり、ただこの刺激がもたらすものが、外から観察した場合予測したものとは異なるだけなのである

 

外から見ると客体はこの人に対して何の影響も与えていないように見える。無意識に由来する主観的な内容が、客体の影響力を奪っているという意味ならば、この印象は正しい。また、この割り込みがあまりに激しいと、その人個人が意識的に客体の影響を防ごうとしているかのような印象をあたえることもある。

このような態度が高じると、思考や感情が主観的な知覚に影響されて、客観的な現実との齟齬(そご)が生じ、きわめて奇妙な錯覚勘違いが露(あらわ)になる。ただし、客体からの影響がそれほど脅威にならない場合には、それに対しては好意的中立の立場をとり、その態度を穏やかに保つように努める。すなわちあまりに低いものは<少し高められ>、あまりに高いものは<少し低められ>、熱狂的なものは冷まされ、極端は抑制され、常軌を逸したものには「正しい」仕様が与えられる。これらのことはすべて客体の影響力を、然るべき範囲内にとどめておくための方策である。そのためこのタイプは周囲に対して「重苦しい印象」を与え、そのような意味ではまったく無害であるとは言い切れない。

ただしもし無害である場合には、えてしてこのタイプの人は、他人の攻撃や支配欲の餌食になりやすい。このような状況下にあって、普段はいいように利用されていた人が、思いもよらない反抗的で強情な態度をむき出しにして反撃し、周囲を驚かせることは多い。

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