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自然を拒否する自然論

ダーウィンの進化論は、歴史上、繰り返し繰り返し、政治的、経済的イデオロギーや利益の追求に利用されてきた

➡ ジェレミー・リフキン

ダーウィンは、自分の姿を自然という鏡に映して見ている一人のブルジョアにすぎない。➡ オットー・ランク

19世紀前半、自然淘汰論に賛成する人々は、ほとんどがイギリス人だった。それはなぜなのか。科学に国境がないのなら、これはいささか妙な話ではないか。➡  ジョン・C・グリーン

 

ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則Ⅱ」祥伝社より

私たちの自然観は、自然の姿をありのまま捉えたものというよりは、むしろ自然を拒否しようとするものだ。これは、文明の当初から、西洋人が産業革命を起こし、自分たちのイメージに合わせた経済社会をつくりあげ、現在に至るまでの、変わらぬ傾向なのである。

 

現代社会の自然観とは、他の生物との関係や死の運命を認めたくないという、人間の強烈な願望を色濃く反映したものである。そしてこれはダーウィンの自然観とて同じである。現在まで、ダーウィンの自然観は科学界の内外から激しい攻撃を受けてきた。しかしこれら科学者や社会批評家たちの論争は、肝心な問題を見逃してきている。

 

私たちは物心つくころから、ダーウィンの教えに従って教育されてきた。この世は全て闘争であり、闘いを勝ち残りながら生きてゆくのだと教え込まれてきた。<食うか食われるかの世界>にいる以上、他人より優れてなければ生き残れないのだ、と言われ続けてきた。「弱肉強食」「適者生存」の目標をたて、それに向かって突き進むことが   <>であり、自分の利益の追求が、社会にとってもプラスをもたらすのだと言い聞かされてきた。そして、チャンスは誰にでも訪れるのだが、それを利用できるものだけが成功するのだと、教えられてきた。そういう「常識」は進化論から発しているのであり、以後それは人間社会の「真実」とされてきたのである。

 

ダーウィンの発見したものは、自然の原理ではなく、産業社会を迎えたイギリス工業社会の理念と同じものなのである。ダーウィンはこれを自然界に重ね合わせて拡大解釈して見せたにすぎない。それゆえ、産業革命とその時代の終焉は、ダーウィンの世界観の終焉にもつながるのである

 

スタジオジブリ「千と千尋の神隠し」©二馬力・TGNDDTMより

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