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予定説と資本主義

今我々が、そのただ中にいるグローバルで、かつ個人主義的な資本主義は、成功ではなかった。それは知的でなく美しくなく、公正でもなく道徳的でもない。そして善をもたらさない。だがそれ以外に何があるのかと思うとき、非常に困惑する。⇨ ケインズ

NHK「新映像の世紀」第2集-グレートファミリーより

 

予定説

予定説は、ジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済を授かる者と、滅びる者はあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうか、といったことでは、それを変えることはできないとされる。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる。(Wikipedia)

予定説と資本主義

マックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、<予定説が資本主義を発達させた>と述べた。救済について現世の善行が意味を持たないとすると、人々は虚無的になり、ひたすら快楽にふけるという生き方をするものが多く現れるはずだ。

 

しかし実際は、<救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(職業)を務めて成功する人間のはずである>という見方が支配的になった。ウェーバーは、人々は<自分こそ選ばれた人間であるという証し>を得るために、禁欲的に職業に励み、その結果<増えた収入も享楽のため使うのではなく、更なる仕事のために使う>ようになり、結果的に資本主義を発達させた、と考えた。(Wikipedia)

 

ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則Ⅱ」祥伝社より

 ■道徳の隠された意味

道徳や倫理は一般に受け入れられているものとは異なり、むしろ戒律や規則の命ずるまま、自然の破壊を推し進めてきたと考えられる根拠が、いろいろある。道徳とか倫理とは、いつも「こうするべきだ」とか「ああしてはいけない」と言うが、それは人を既存の行動体系に従わせるための、社会的手段という意味合いが強い。つまり、道徳とは自然の都合より、人間の都合を優先させて作られたものだということだ。ニーチェにならってアーネスト・ベッカーが述べた見解によれば「道徳というものは、すべて基本的には力の問題である」ということになる。つまり、道徳的に善人になれば、あの世でも生き続ける力が働くということである。だから、私たちは善行の点数を増やし、死を超越しようとする。遠い未来に報われることを期待して、禁欲的に仕事に邁進する。つまり、永遠の生命を求めるからこそ、人間は道徳を必要とするというわけである。

 

スタジオジブリ「千と千尋の神隠し」©二馬力・TGNDDTMより

これは夢だ。夢、消えろ!消えろここでは仕事を持たないものは、湯婆婆に動物にされてしまう。千尋というのかい、贅沢な名だね。今からお前の名前は、千だ。わかったら返事をしな、千!はいっ

41-06-718

これっぱかしの金でどう埋め合わせするのさ!千のバカが!せっかくの儲けをふいにしちまって。あの子は自分の親を見捨てたんだ!親豚は食べごろだろ。ベーコンにでもハムにでもしちまいな!

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
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