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タイプ3とナルシシズム

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ナルシシストは、強烈な野心誇大妄想と、劣等感と、他人からの賞賛や喝采への過剰な依存を示す。自分自身についての慢性的な不確実感と不満、他者に対する意識的または無意識の搾取性及び無慈悲さがその特徴である。➡ オットー・カーンバーグ

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私の意見では、ナルシシズム障害の根本的な原因は感情の否定であるということがはっきりしている。そこで私はナルシシストを、感情によって行動が動機づけられることのない人間と定義しよう

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だが、それでもなお次のような問題が残っている。それは、感情を否定することを選ぶ人がなぜいるのか?という問題。そしてもう一つの問題はナルシシズムの障害が今日の社会に、これほどまで広まっているのは何故なのか?という問題である。➡ A・ローウェン

 

もう一つの側面は、冥界の女王ペルセポネーに代表される、野心的な側面である。彼女は人間を駆り立てて鼓舞する反面、死や狂気に追い立てるという性質をもっている。母親の野心的ファンタジーは彼の中に、うぬぼれた破壊的野心を生じさせる場合もある。➡ A・グッゲンビュール・クレイグ

 

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

タイプ3は、幼児期の母親との関係のために、現在の姿をあらわしている。彼らは自分の母親もしくは母親に代わる人物と肯定的に結び付いていた。タイプ3は、母親から受けた無制限で惜しみない注目を、それ以後の人生においても(無意識のうちに)期待するようになる

 

彼らは、世の中が母親と同じように、無条件に自分を賞賛することを期待する。自分が重要な存在であると感じさせてくれた、母親の賛辞の眼差しは、彼らが他人の目の中に常に探し求めているものである

 

賞賛が彼らに「生きていることの価値」を感じさせるので、賞賛されないと、自己愛がひどく脅かされ、空虚さと敵意を感じる。しかし、不幸なことに、他人と関係を結ぶことによって、現実の中で成長するようには励まされなかった

 

タイプ3は自尊心の確認が労せず得られたので、自分自身に限界があることを学べなかった。彼らは超自我(良心)を発達させなかった。その代わり、イド⇒「自分自身に投資できる心的エネルギー」とペルソナ⇒「その結果生じた心象(仮面)」を過剰に発達させた。

 

彼らは、自分を無限の可能性を持つ人間と錯覚し、たやすく誇大妄想的な期待を抱く。彼らはその途方もない信念ゆえに、実際に成功することもあるが、期待を際限なく膨らむままにさせておくために、現実から相応の報いを受けて、不幸な結果を招く

 

偏った心の発達は、不都合を伴う出来事であるが、反面、健全から通常までのタイプ3は、他のタイプの追従を許さないほどのエネルギーを目標達成のために傾注することができる。その一方で、不健全なタイプ3は自分の内部に、自分を抑制するシステムを持たないので、容赦なく他人から搾取することができる。彼らは、人々を実体として見ておらず、自愛的な目的のためにしかその存在を認めないため、恥知らずに人々を利用する。

 

皮肉なことに、タイプ3は誰よりも優れているように見えて、実際には極めて限定された人生を生きている。他人の賞賛とは無関係に自分を成長させないかぎり、自分自身を知ることは出来ないし、ましてや人に対して愛情を持つことは出来ない。見かけとは裏腹に、優秀どころか彼らは虚ろである。際限なく賞賛を求める結果、自分に関する偶像をつくり出し、崇拝し、他人にも同じようにすることを求める。他人がその要求に答えなければ、彼らは敵意をもって攻撃する

9つの顔を持つタイプ

個人に固有の素質に関してであるが、これについて私が言えるのは、明らかに一方には「どのタイプにも適応できる」大きな融通性もしくは能力を持っている人々がおり、他方には一つのタイプに適応し、もうひとつのタイプには適応しないでいる方がうまくいく人々もいる、ということだけである。⇨ ユング「タイプ論」みすず書房より

 

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ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

タイプ3の性格は「極めて落ち着かず変化しやすい」が、ユングのタイプの一つに相応しない。タイプ3は、性格のタイプの中で「最も適応性のあるタイプ」なので、それ自身の分類区分を持つことなく、ユングのいくつかの対応の中で取り扱われている。

 

タイプ3は、感情の三つ組における根源的タイプであり、自らの感情面の生活と酷く深刻なほどに接触を失っている。彼らは、外見と実体、他人に投影している心像と、現実の姿の間に深い亀裂があるが、やがてその心像が彼らの実体に取って代わるようになる。

 

タイプ3が、他人に対して、あるいは時と場合によって見せる、さまざまなペルソナが彼らの実像である。タイプ3にとっての困難な問題は、自立的に行動すること、真の感情を獲得し、現実的な限界を受け入れて、人間として成長することである

 

感情の三つ組に属するタイプ(タイプ2=外向的感情型、タイプ3、タイプ4=内向的直観型)は、敵意をめぐる問題を抱えており、これらの敵意は自分より成功している人に対する、執念深い悪意となって姿を表す。タイプ2と4は、敵意を間接的に表すが、タイプ3は、困らせたり、妨害したり、裏切ったりすることまで、さまざまなやり方で、あからさまに表す。

 

他人は不健全なタイプ3が示す悪意を感じ取り、言いなりになるか、出来るかぎり遠ざかろうとする。不健全なタイプ3の恐ろしいところは、他人の上に立つ優越感が損なわれると、病的になるということである。他人はこれに気づいて戦慄するが、不健全なタイプ3は、自分が得ようとする無制限の賞賛を得られないと、手に負えない存在になる。

 

心象志向のタイプ3は、フロムが「市場販売志向」として説明した性格のタイプに(一部分)対応し、病的なタイプ3は、DSM-Ⅲ(精神障害の診断と統計マニュアル)の自己愛性人格障害に相当する。

 

感情否定の代償

それは生命の終わりと、生き残りの始まりだ

⇨ チーフ・シアトル

 

A・ローウェン「ナルシシズムという病い」新曜社より

勝利という最優先の課題感情の否定イメージ、これらの役割が最も明瞭になるのは「戦争」である。勝敗は生死を決定する問題となるので、感情の入り込む余地は全くない。兵士はイメージにもとづいて敵を殺す一方、同じ部隊のメンバーや同胞に対する感情により人間牲を保つ。そのような感情がなければ、冷酷な殺人マシンになったり、発狂する危険に身をさらすことになるからである

 

兵士はナルシシストではないが、戦争は彼にナルシシストのように行動することを強制するのである。なぜなら、現実に存在する人間を殺すことは容易なことではないからである。

 

 

兵士は自分たちが滅ぼさなければならない敵を、「ジャップ」「鬼畜米英」「ナチ野郎」などの、ひとまとまりのイメージとして見ることを教えられる だがそういったイメージを持つためには、彼らは自分たちも、自分とは異なる「イメージ」になる必要がある。彼らは、命令に従うこと、疑問を持たずに戦うこと、感情を持たずに行動することを、自分の役割とする兵士なのだ

 

彼らは自分に恐怖や痛みや悲しみを感じさせてはならない。そのような感情を持つことは、兵士としてのイメージをくじき、戦場で効果的に行動することを不可能にするからである。また彼らはこのようなイメージを拒むこともできない。なぜなら、そうすれば彼らは上官と衝突し、ひいては生き残ることが難しくなるからである。

 

不幸なことに、戦争は軍隊にかぎられたことではない。たいていの大都市にはギャング間の抗争があり、メンバーたちは感情や人間的諸価値を犠牲にして役割を果たす。だがそれ以外にも、企業間の戦争政治的な闘争家族の戦争がある。それらはナルシシズム的態度を促進し、他人を傷つけたり破壊したりする行為を助長している。

 

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イメージに同一化しているとき、人は他人も一つのイメージとして見るものだが、多くの場合それは、否認されている自己のある側面を象徴するものである。ナルシシズムは個々人の現実を、受容される面と否認される面とに引き裂き、後者を他人に投影する

 

他人に対する不合理な攻撃は、否認する側面を破壊したいという欲望から生じてくるものである。たとえば、自分を抜け目ない優秀な人間と考えている詐欺師は、自分の獲物をうすのろのバカとみているに違いないし、正義や公正のために闘ってるとイメージする兵士は、敵を凶暴で下劣な奴と見なすだろう。

 

自身に対して抱くイメージが、強くて逞しいものならば、傷つきやすさとか弱々しさといったイメージは、他者に投影されることになる。

競争心の強い地位狙い

☟ジョージ・スタッブス「ウマを襲うライオン

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ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

健全なタイプ3と通常のタイプ3の違いは、通常のタイプ3は競争を通じて他人に対する優位を確立したがることである。他人の上に立つことが自尊心を強め、自分が一番望ましく、注目賞賛に値すると感じさせる。通常のタイプ3は、何もないところに競争をつくり出す。

 

あらゆるもの、<容貌、業績、給料、経歴、配偶者>などが競争のネタになる。彼らは常に自分と他人を比較するので、不幸なことに、すべての人間関係は、競争をつくり出すことでつくられる。

 

彼らの行動はすべて、競争に勝つことだけに向けられる。通常のタイプ3が、何かを所有することに関心を持たないのは、所有を楽しんでいるからではなく、持っていることが他人への優越感を感じさせてくれるからである。

 

このような囚われにより、通常のタイプ3は他人との衝突が始まり、次第にひどくなる。競争相手に肯定的な感情を持つのが難しいので、同輩と親しくなることに問題を覚え始める。極端な競争性のために、他人は成功に対する障害としか見えなくなるのである。

 

彼らは、相手が自分より地位が低いか、公然或いは隠された競争で相手を負かし、自分が勝っていると感じるときだけ、人々の中にあって気楽だと感じる。

 

通常のタイプ3は、他のどのタイプも比肩しえないほどに、効率的な成功を追求する。通常のタイプ3は成功・名声・地位という簡潔な言葉で特徴づけることができる。彼らにとっての成功とは、ナンバーワンになること、すなわち勝者となることである。

 

通常のタイプ3は、トップに立ち、それを守るために懸命に努力する。仕事上の能力を最重視し、名声を得るため、自分が最も有能であることを目指す。成功の究極の規準は、金持ちであることと、有名になることである。名声を得るということは、多くの人の賞賛を得られるという意味で、とりわけ強い魅力を持つ。

 

地位探究者であるタイプ3は、上流階級に仲間入りしようと汲々としている人であり、絶えず人々に接触し、交際を求める。「あなたはどの地位にいますか?あなたに従う価値はありますか?」とでもいうように、その人の威信に応じて値踏みする。

 

彼らは概して、新しい社会的価値をつくり出すことにより、地位の象徴の立案者になる。新しい価値を設定し、それに地位を与えてから、それを他者との競争の基盤に置く。それに加え、望ましくない人物を排除することで身内と部外者を分ける裁量権を自らに与える。

 

このように地位争いは、成功を偶像視する人々によって演じられる、先手必勝の勝負である。自称地位の裁定者であるタイプ3は、勝負を演ずる人がみな負けて、しかもなお参加を求めて戻ってこられることを保証する必要がある。

市場販売志向

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

アメリカは急速に「タイプ3」文化の国になりつつある。自愛的で、印象志向で、実質よりも外観を、実物よりも象徴を大事にする。あらゆるものが商品のように扱われ、優秀さを求めることは、作り物を讃美することにとって代わられる。

 

政治は、主義主張や公共の福祉のために力を示さず、宣伝に力を注ぎ、注意深く計算されたイメージを大衆に売り込むが、大衆は、そのイメージが実像なのか、まがい物なのか、見分けることが出来ない

 

メディア媒体は、大衆に何が売れるかということに主に携わっている。浅薄な価値や、人目を欺くイベントの華やかさが、物事を判断する基準になっている。唯一の指針は「注目を集める能力」で、なにが注目され、求められているかに価値を置いている。計算されたイメージが現実であるかのように装い、大衆は、見事な包装に惑わされ中に何も入っていないことに気づかない

 

 

人々は、ますます競争が激しくなる市場で、注目されるためには何でもするので、自己顕示欲自己宣伝は受け入れられるものになっている。理想は勝者になること、成功し、有名になり、賞賛されることである。至る所で、人々が成功と名声を追い求めている。私たちは自己陶酔的な空想を売りつけられている。すなわち、他人の少しだけ上をいけば、ひとかどの人物である。自分の印象をうまく操れば、君もスターに、いや、神になれる。

 

市場販売志向の社会で、通常のタイプ3は、他人が自分の地位や名声についてどう思うかを恐れ、自分を向上させることではなく、自分の印象を高めようとして競争を激化させる。彼らは、自分が投影する心像が、真実であるか否かに関わらず、好ましい印象をつくろうとする。中身以上の様式⇨他人の心にどんな姿として浮かぶか?がずっと重要になる。

 

その結果、通常のタイプ3は、純粋な人間としては一層好ましくなくなり、商品としては一層好ましくなる

 

市場販売志向は、人間の中に潜在的にあるものを開発しない。市場販売志向は、態度の可変性こそが、唯一永続的な特質である。この志向においては、最もよく売れる特質が発達する。しかし、それは単なる役割仮面であり、別の特質がもっと望ましいとなれば、即座にそちらに変わり得る。⇨ エーリッヒ・フロム

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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