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唯一の愛の対象である自分

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

自分を売り込む自己中心主義者

もし、その素晴らしい心像にも関わらず、望む結果を得られなければ、タイプ3は、他人に自分を売り込むための、増速装置のギアを入れ替える。彼らは、自分があらゆる点で傑出しており、すべてに有能で、すべてに完璧であると思わせたい

 

彼らの自己誇示はすべて「私を見て!」という含意をもっている。彼らは恥知らずなほら吹きになり、自分の文化、教育、知性、経歴、配偶者、口説き落とした性の相手、才知など、賞賛を得られると思うものすべてを見せびらかす、彼らのただ一つの話題は、最初で最後の、そして唯一の愛の対象である自分自身である。

 

自愛的なタイプ3は、放漫で自惚れが強く、他人より優れているから誰からも拒絶されることがないと、考える。仮に拒絶されることがあるとすれば、その相手は自分より劣っているのだから、どのみち取るに足らないことだとして気にかけない。

 

この段階では、自愛的な自己膨張により、ありもしない輝かしい自己を主張し始めるが、彼らの売込みには説得力があるので、見抜くのは難しい。にもかかわらず注意深い人であれば、本物にしてはちょっと出来過ぎていると、感づき始めるかも知れない。

 

自己愛は本質的に受動的である。彼らの自我は賞賛されると満足する。自愛的なタイプ3は、他人に自分を求めさせたがるが、性的にも心理的にも、他の誰をも満足させることに関心がない。自愛的なタイプ3は、傲慢不遜な自己満足に陥り、自分は神の恵みによって、真の目標に向かって努力する必要などない人間だと感じ、人間関係を育てることに注ぐエネルギーを閉じてしまう。

 

自惚れが強くなればなるほど、自分に対する評価や成功の見込みが、いかに非現実的であるかを指摘されると、非常に立腹する。自愛的になればなるほど、他人から軽んじられていると感じることになる。彼らは、その自己愛が最高に膨らんだ、まさにその時の自己の評価に非常に敏感である。これは、自己愛が真の自尊心と同じものではないという確かな証拠である。

 

彼らはあらゆる人に対し、軽蔑的で皮肉になり始める。他人に対する誠実さの外見の下で、幻想のなかで自分が一番上に居続けるために、他人を引きずりおろす。数少ない友人は、何の侘びもなく、待ちぼうけを食わされ、様々な面で能力に欠け、劣っていると思わされる。尊大なにやにや笑いが、すべてを言い表す

 

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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