FC2ブログ

袋小路の経済学

命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 なぜ食べ物や衣服のことで思い悩むのか。⇨ ルカによる福音書

 

フリッチョフ・カプラ「ポストバブルの指針・新ターニングポイント」(1995年)工学社 より

企業のための単なる道具

E・F・シュマッハーは、まったく別の価値観と目標をもつ、ふたつの経済システムを比較して、現在信じられている経済学の問題点を指摘した。ひとつは、私たちに馴染みのある➡「生活水準」が年間消費高により測定され、最適生活様式での最大消費を達成しようとするシステム。

earth

もう一つは⇨ 「正しい暮らし」と「中庸」という考え(普遍妥当な生命の法則)に基づくシステムで、そこでは最適消費様式での最高の人間的安寧の達成が目標とされる

 

経済学に「科学的厳密性」を備えようという錯誤に陥った現代の経済学者は、人間はどう生きるべきかという「価値」に関する問いを、一貫して避けてきた。「経済学の全世代を袋小路に追い詰め、現代の主要問題を、ほとんど全面的に無視する所業である」⇨ ケネス・ボールディング

 

価値観に関わる問題を回避したことで、経済学は安易で些末・末梢的な問題に堕落し、難解な専門用語や数式により、価値観の問題を包み隠してしまった。この傾向は現在、あらゆる政治的・社会的な問題には専門技術的な解決法があるという信念が蔓延している合衆国において、とくに著しい。

 

こうして産業界とビジネス界は、経済学者集団を雇って社会的、道徳的な選択を、疑似専門的な選択に従属させるように、恣意的なコスト分析を行い、政治的な議論でしか解決できないような、価値観の対立を隠匿してしまうのである

 

現代の経済モデルに登場する唯一の価値基準は、貨幣的計量に帰することによって数量化できるものだけである。この数量化の重視によって、経済学は合理的な科学であるという幻想を人々に与えた。しかし同時に、経済活動が環境に与える影響や、人間の無意識を含めた心理活動が社会や経済に及ぼす影響を考慮しないままに、かえって経済理論の視野を大幅に狭めることになったのである。

network_people

たとえば、エネルギーはその原料が何であれ一律にキロワットで測られ、再生可能な商品と再生不能の商品を仕分けせず、生産に伴う社会費用は、なんであれ国民総生産への積極的な貢献として無制限に加算される。のみならず、経済学者は勤労所得者、消費者、投資家からなる人間の心理的研究を完全に無視してきた。なぜなら、そうした研究の成果が、数量分析に馴染まないからである。

記事分類
地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
リンク
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
BlogPeople
投票ボタン ☟
*
ブログ村投票
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
オリジナルのブログを目指して鋭意更新中