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普遍妥当な生命の法則

全ては、風の中の塵。⇨ ダスト・イン・ザ・ウインド「カンサス」

 

ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則」祥伝社 より

大部分の経済学者は、永遠かつ無限の物質的進歩を信じて疑わない。彼らは、人間の労力と機械は、無限に価値のあるものを生み出せるという欺瞞にしがみついている。

 

しかし、熱力学の第二法則が示す現実は、

価値のあるものを生み出すために、なんらかの人的・機械的エネルギーが必ず消費され、その度に環境全体に対し、大きな無秩序と廃棄物と回収不可能なエネルギー(熱、二酸化炭素、放射性廃棄物など)をもたらし、さらに価値あるものとして生み出された物ですら、結局は廃棄物ないしは消費されたエネルギーとして終わってしまうということである

 

したがって、使用可能なものを「永遠に」蓄積し続けるという意味の「物質的な」進歩というものは存在しないのである。なぜなら、私たちが作り出しているものはすべて、最後には風の中の塵として散ってしまうからである。結局、厳格な法則が教えてくれるのは、持続可能な文明とは、現在をいかに「美しく」生きるかということにかかっているということなのだ。

 

資本主義にしろ社会主義にしろ、生産単位当たりの速度で生産性を定義している。いわゆる、奨励給というものは、与えられた仕事を出来るだけ早く達成する目的で考えられている。しかし、熱力学的尺度で考えれば、生産性とは生産単位当たりの速度ではなく、生産単位当たりのエントロピー量で算出されることになる。

 

1台の車をつくり出すには、最低限必要なエネルギーの何倍ものエネルギーが必要になる。では、それだけ余計なエネルギーがかかるのは、どうしてだろうか?それは、

生産性を上げるために、組み立てラインから、自動車をなるべく早く外そうとするからにほかならない。生産速度を重視すればするほど、製品生産に最低限必要な量以上に、多くのエネルギーを消費する。つまり、現代の工業化経済で浪費されるエネルギーの大半は、速度というものに対して私たちが支払う代償なのである。

 

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カラスのことを考えてみなさい。種も蒔かず刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神はカラスを養ってくださる。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。⇨ 「ルカによる福音書」


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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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