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市場的性格



■エーリッヒ・フロム「生きるということ」紀伊國屋書店 より

 

市場的性格は愛することもなく、憎むこともない。ほとんど完全に頭脳の水準で機能し、人間的感情は良きにつけ悪しきにつけ、目的を妨げるものは全て遠ざける。市場的性格にとって、これら<古風>な情緒(愛憎)はふさわしくないのである。

 

その主たる目的というのは、売ることと交換すること--より正確に言えば、彼ら自身がその一部である<メガマシーン>の理論に従って機能することだけであり、いかに機能しているかは、システムの中での評価によって知る以外は、何も問うことをしないこと--なのである。

 

市場的性格は、自分にも他人にも深い愛情を持たないので、他人に対して深い思いやりを持てない。それは彼が利己的であるからではなく、他人及び自分とのつながりが希薄だからである。このことはまた、彼らが核兵器による破局や生態学的破局の危険を示す全てのデータを知りながら、なぜそれらの危険に関心を持たないのかの説明になるかもしれない。

 

あらゆることへの関心の欠如は、彼らがいかなる情緒的絆を、身近な人々への絆さえも、失ったために起こったことである。事実、市場的性格と親密な者はいないし、彼らは自分自身とも親密ではないのである。現代の人間は買ったり消費したりするのが好きなのに、なぜ買ったものに愛着を持たないのか?という疑問は、市場的性格の中に見出すことができる。

 

市場性格者は愛着を持つことがないので、物に対してもまた無関心なのだ。問題になるのは物を持つことから生ずる、威信や慰めであって物自体には何の意味もない。物は単なる消費の対象であり、自分自身もまた消費の対象である。

 

市場的性格は与えられたシステム範囲内での<正しい機能>を目的とするので、彼らは世界に対しても、おもに頭脳で反応する。しかし、目的達成のための操作的知性(恣意的知性、外向的知性)は理性を伴わない場合、非常に危険なものになる。

 

理性を持たない操作的知性が危険なのは、それが理性的に見れば自己破壊的方向へ、人々を動かすからである。実際、制御されない操作的知性が優秀であればあるほど、危険なのである

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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