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母性社会の病理

エーリッヒ・フロム「悪について」紀伊国屋書店 より

最深層の母親固着は「近親相姦的固着」の段階⇨ 共生関係で結びついている人は、寄主(宿主)なしには生きていけない。そして、その関係が脅かされると、彼は極度に不安を感じたり、怯えたりする(統合失調症の場合、その関係が分離すると突如として分裂的崩壊が起こる)

 

「その人なしでは生きられない」ということの意味は、その寄主といつも一緒にいなければならないということではない。稀にしか会わなくても、その寄主が死んでいてもかまわない(その共生は「先祖崇拝」という形をとって合理化されることもある)。

 

その結合は、感情的・幻想的なものである。共生関係で結合している人にとって、自分と寄主に当たる人とに明確な一線を画することは、不可能でないにしても非常に難しい

 

彼は相手と一体であり、彼女の一部であり、彼女と混合しているような気がするのである。共生の形態が極端になればなるほど、本来分離したものであるということを、認識することが難しくなる。共生的関係の形態は、共生的人間が自分のほうが宿主より優れていると感じることもあれば、劣っていると感じる場合もあり、さらに平等だと感じている場合もある。しかし、彼らは分離しては生きられない

 

この共生的結合は、母親と胎児の結合を想像すれば、最もよく理解できる。極端に退行した形態では、無意識の欲望は、実際に子宮へ戻ろうとする欲望である。往々にしてこの願望は、海で溺死したいという願望(または恐れ)とか、大地に飲み込まれてしまう恐怖のような、象徴的形態をとって表現される。それは完全に個としての存在を喪失し、再び自然と合一したいという欲望である。

 

その結果、この深い退行的欲望は生の願望と葛藤するようになってくる。子宮の中に存在することは、生を離れて存在することである

 

近親相姦的絆は、母の愛に対する願望よりも、母の破壊性に対する怖れよりも、フロイトが考えた「エディプス的絆」よりもはるかに強く、かつ根源的なものなのである

 

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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