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ダーウィンの誤謬


私たち、怖い人間になってしまった。あの連中みたいに・・・・。

⇨ ベッキー「ユートピア」

 

 

ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則Ⅱ」祥伝社 より

トーマス・マルサス(1766~1834)は「食糧生産の増加は算術級数的だが、人口増加は幾何級数的である」と論じた。つまり、人口の増加に対し、食料の増加は常に不足するというわけである。こういう慢性的な食糧不足を緩和するために、飢えや貧困、悪や犯罪、疫病や飢饉、革命や戦争といった種々の過酷な社会状況が生じ、人口調整が行われる。つまり、生存競争という自然の法則によって勝者は勝ち、弱者は滅びる宿命にあるという学説を展開した。

 

マルサスは人間の食欲は常に食糧生産に追いつかないと指摘し、これは神の摂理であると主張した。神は人間を鍛えるために、果てしない需要と限られた食料を与えた、というのである。そのような厳しい神の摂理がなければ、人間はとうの昔に野蛮人に逆戻りしていただろう。空腹を避けるために、人間は能力を精一杯使って進歩してきたのだと、彼は考えたのである。

 

マルサスは、自然を性能の良い篩(ふるい)のようなものと見ていた。それに掛けられて、自然界では生産力のある勤勉で強いものが残り、脆弱で怠惰で不精なものはふるい落とされる。このすでに何となく人々が抱いていた考え方は、マルサスの具体的、論理的表現を得て社会に定着したのである。

 

当時人間社会でも「適者生存」こそ真理であると言いながら、ブルジョア階級は活発に経済活動を続けていた。彼らは、政府の経済介入には大反対であった。市場も社会も、放置しておけば自然によくなる。勤勉なものが栄え、そうでない者は脱落するのが自然なのだ、と楽観していたのである。

 

当時のブルジョア階級は、自由放任主義経済の本来的な優位を信じ、その信念のバックボーンとなる理論を求めていた。そこへ、マルサスが確固とした法則を与えたわけである

 

ダーウィンは、間髪を入れずマルサスの理論に飛びついた。のちにバートランド・ラッセルも指摘したように、ダーウィンは本質的には、自由放任主義経済と、マルサスの「人口論」動物・植物界を説明したのである。まず最初にダーウィンは、人間による育種と自然界での交尾の基本的な相違を確定した。人口育種の場合、望ましい特性を親から子へ伝えたいという畜産家の希望によって、オスとメスは選ばれる。

 

しかし自然界では、このような計画的な育種は行われず、交尾は、おおむね機会や状況を選ばずに偶発的に行われる。その結果、多種多様の子が生まれるが、これらの子孫に現れる特性には、全く何の計画性も見られない

 

だが、ダーウィンは、交配が行き当たりばったりに行われているにもかかわらず、「生き延びて子孫を残すもの」と「滅びるもの」との間には、何か法則があるのではないかと考えた。そして閃いたのは、「自然界では、環境に適応できる生き物だけが生存競争に勝ち、その子孫を増やしてゆく」という、進化論の基本概念であった。

 

だがこれは、マルサスの理論を生物界に応用したものにすぎない。実際、自由放任主義経済の当時のイギリス社会にあって、同様のことはすでに経済人の常識となっていた。つまりそれは、「新しい産業界を生き抜くことができるのは、適者だけであり、優勝劣敗の法則は厳然として働く」というものであり、ダーウィンの進化論も、こういった人間や社会観察に基づくものに外ならなかったのである。

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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