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「社会生物学」の虚実性


疑うのは、いいことだ。⇨ ピエトロ「ユートピア」


 

フリチョフ・カプラ「新・ターニングポイント」工学社 より

ダーウィンは地質学者として出発したが、ガラパゴス島探検の折に生物学に興味をそそられるようになった。というのも、その島で、とてつもなく多様かつ豊富な動物相を目のあたりにしたからである。

 

ガラパゴス島での観察に触発されて、ダーウィンは地理的な孤立状態が種の形成に及ぼす影響に思いを巡らせ、あげくのはてに、独自の進化論を形成するに至った。他にダーウィンの思想に影響を与えたのは、地質学者チャールズ・ライエルの進化の観念と、経済学者トーマス・マルサスの生存競争の観念だった。

 

これらの観察や研究から、ダーウィンが理論の根底にすえることになるふたつの概念が浮かび上がった。のちに突然変異と呼ばれることになる偶然の変化という概念と、「適者生存」を通して働く自然選択の観念である

 

ダーウィンは1859年に記念碑的な著作「種の起源」においておのれの進化論を出版し、12年後の「人間の由来」でそれを完成した。後者では、ひとつの種から他の種へ進化する変容の概念が人間にまで拡張されている。ダーウィンは、そこで、理論の革命的な性格にもかかわらず、人間の特徴に関する彼の考えが当時の家父長的な偏見を色濃く映し出していることを、図らずも示すはめになった。典型的な男性を、勇敢で逞しく頭が良いとみなす一方、典型的な女性は受け身的で身体が弱く、脳が不完全であるとみなしたのである。

 

ダーウィン理論の発表から数年後、グレゴール・メンデルは有名なエンドウ豆の実験により「遺伝の単位」の存在を明らかにするが、同時代の科学者からは無視される。しかし、20世紀に初頭にこの発見は見直され、進化論の確立に決定的な役割を果たしたばかりか、まったく新しい研究分野を切り拓く。すなわち、遺伝子の化学的、物理的性質の調査に主眼を置く遺伝研究の分野である。

 

遺伝学は生物研究のなかでも活発な分野となり、生命体に対するデカルト的アプローチを強化した。遺伝学者はついに「遺伝の原子」を射止めたと信じ込み、各遺伝子をそれぞれの遺伝特徴に対応させるといった仕方で、生命体の生物学的特徴を、その基本要素である遺伝子によって説明することに突き進んだ

 

遺伝学における還元主義的アプローチのもう一つの過ちは、有機体の特質が、遺伝子の構成のみによって決定されるという信念である。こういった「遺伝子決定論」は、生命体を直線的な因果の鎖によって支配された機械とみなす結果なのである。

 

このような考えは有機体がマルチレベルのシステムであること、つまり、遺伝子は染色体の中に埋め込まれており、染色体は細胞核の内部で働き、細胞は組織の中に組み込まれている、といったような事実をないがしろにする。実は、これらのすべてのレベルが、有機体の発達に影響を及ぼしつつ多彩な「遺伝的青写真」を生み出す相互作用に関与しているのだ

 

同様な議論が、一つの種の進化にも当てはまる。偶然の変化と自然選択というダーウィン的な概念は、複雑な現象の単なる二つの側面に過ぎず、包括的あるいは体系的な枠組みの中でこそ、より良く理解しうる。つい最近、遺伝子決定論の虚実性が「社会生物学」という、広く物議をかもした理論を生み出すことになった。

 

その理論では、すべての社会活動が遺伝子の構造によってあらかじめ決定されたものとみなされる。こういった考えは科学的に不健全であるばかりか、極めて危険である

 

というのも、人間の違いを遺伝的にあらかじめプログラムされた不変なものと解釈することにより、人種主義や性差別の偽科学的な正当化を推し進めることになりかねないからだ。

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