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無力さへの恐れ-2

 

■A・ローウェン「ナルシシズムという病」新曜社 -幼年期の屈辱と家族の権力闘争 より

もちろん体罰が子供に屈辱を与える唯一の方法であるわけではない。往々にして子供は、自分が無価値で、不適格で、馬鹿だと感じさせられるようなやり方でけなされる。しかし、そのような叱責はどんな有益な目的も果たすことができない。私の考えでは、それは親の優越性を証明することを志向しているのである。

 

子供が知っている筈だと思う問いに間違ったり、答えられなかったときに、子供を笑いものにしたり、馬鹿にしたりする親がいる。子供が泣いたときには、それは「嘘泣き」というもんだなどと、皮肉めいたことを言いながら、子供の感情を偽のものとして片づけてしまうことがある。

 

子供の人間性や個性に対する敬意を卑しめ叩き潰し破壊し否定してゆく方法のリストは、長いものである。そして多くの親は、このような態度にはどこにも悪いところはないと考えている。それは子供を育ててゆく上で正しいこととして、まかり通っているのである。もちろん、子供が病院に送られるような身体的虐待にまで堕落するときには、私たちはみなショックを受けるのであるが。

 

必然的にこんな疑問がわいてくる。どうして親はそんなふうにふるまうのだろうか?という疑問がそれである。子供は、力づくや罰によってよりも、理解とやさしさによって効果的に物事を学ぶ。また、もし罰することが必要であるなら、子供に屈辱を与えないような方法でやることができる。私が思う答えの一つは、

 

自分の親から受けたような扱いを、親が子供にやってしまっているのではないか?ということである。また、子供は親にとって、自分の欲求不満や*ルサンチマンを発見できる、最も手ごろで最も利用しやすい対象であるということも、認識されなければならない

 

世間的に自分が無力であると感じている親は、自分の子供に対して独裁的になることで、こうした感情を補償することができる。だがこのような答えがどれほど妥当であるとしても、すべてがそれで片付くとは思えない。過去の時代と比べて、ナルシシズム障害が増加する原因となっているのは何なのだろうか

 

*「ルサンチマン」怨恨、復讐を意味する語。ニーチェは、強者の君主道徳と対比して、弱者の奴隷道徳は強者に対するルサンチマンによるものだとした。また 、シェーラーは、革命を志向する社会主義運動はルサンチマンに根をもつと説いた。 ⇨ コトバンク

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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