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アニマとアニムス


 

ジョン・A・サンフォード「見えざる異性」創元社 より

アニマは男性の情緒のみならず、思考にも干渉する。アニマに取りつかれた男性は、自分の意見だけを主張して、事実に対する配慮も、関係性や理論に対する配慮も欠落してしまう。彼の議論は、いらだたし気で情緒的に色づけされた、不合理な意見の海の中に沈み、理性的な話し合いなど到底不可能な状態になり果てる。

 

ユングは自伝「思い出、夢、思想」のなかで、無意識を活性化する、いわゆる「能動的想像」の技法を用いたときに、この破壊的なが語りかけてくるのを聞いた。

 

これらの空想を書きとめながら、ふと自問した。「私は一体何をしているのか?これは科学とはまったく関係のないことだ。それなら、いったいこれは何なのか?」そのとき、私のなかで、ある声が聞こえた。「それは芸術です」と。私はびっくりした。いま自分が書きとめていることが芸術に関係あるなどと、ついぞ考えたことがなかったからだ。それは、私の患者で、才能ある女性の、精神病質者の声だった。彼女がいつのまにか、私の心の中で生きていたのだ。

 

私はこの声に対して、断固として主張した。私の空想は芸術とは何の関係もない、と。すると、心のなかに強い抵抗を感じたが、もう声は聞こえてこなかった。そこでさらに書き続けた。すると、再び声が襲いかかって来て「それは芸術です」と同じ主張を繰り返した。今度は私は、彼女を捕まえて言ってやった。「いいや!これは芸術なんかではない!反対に、これこそ自然なんだ」と。私はさらに論戦するつもりで身構えた。

 

私は、女性が内側から干渉してきたことに大いに興味をそそられた。それになぜ、その声を女性のものと考えたのだろうか。後になって私は、男性の無意識のなかでは、内なる女性が一つの典型的な、元型的役割をしているのに気づくようになった。その内なる女性を、私は「アニマ」と呼んだ。

 

最初に私の関心を強く引いたのは、アニマのこの否定的な側面だった。私は彼女に少なからぬ畏怖を覚えた。まるで部屋の中に目に見えない存在を感じ取るかのようだった。アニマの言葉には狡猾さに満ち満ちているように思えた。もし私が、無意識からのこれらの空想を芸術と考えていたら、それは、ちょうど映画を見ているときのように、映像として知覚するだけで、それ以上に何かを確信させる力はもたなかっただろう。そして、アニマは容易に私にこんなふうに信じ込ませたかもしれないのだ。

 

私は理解されない芸術家であり、私のいわゆる芸術家的本性が、私に現実を無視する権利を与えてくれているのだ、と。もし私がアニマの声に従っていたら、アニマは多分あるとき再びこう言ったに違いない。「あなたがやっているそのくだらないこと、それが本当の芸術と言えるでしょうか?芸術とはまったく別のものです」と。このようにして、無意識の代弁者であるアニマの暗示は、男を完全に破壊することもできるのだ

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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