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資本主義の神

司馬遼太郎「太郎の国の物語」自助論の世界(一部)


 

「生物学者はこんなことを考えている」よりhttp://feynmanino.watson.jp/7771_Lutheranism.html

ルター派とカルヴァン派は、ともにプロテスタントの一派です。どちらかと言うと、カルヴァン派のほうが、急進的です。ルター派は主に農民層に広がり、カルヴァン派は商人に広がります。なぜならカルヴァン派はそもそも、貯金や労働を善としていたからです。

 

カルヴァンは、はじめローマ・カトリックの聖職者だったものの、ルターの著書に影響を受け、1534年にカトリックの聖職を捨て、その結果カトリックに追われたため、スイスに逃れ、そこで宗教改革を押し進め、1536年に、プロテスタント初の体系的神学書「キリスト教網要」を著しています。

 

人がまじめに働くならば金をもうけても良く、また金を貸して利子を取るのも良い」、と説くのが、彼の教えで、それは、金もうけを「卑しい」と考えたローマ・カトリックとは、異なる考えでした。カルヴァンの職業観や金銭観は、その後の資本主義の成立期の、市民の倫理となりました

 

2014年2月5日ダイヤモンド・オンライン:お金儲けは善ですか?悪ですか?「資本主義」の原点、カルヴァンの教えとは?/茂木誠 より

カトリックは、「罪人も、教会に寄進をすれば救われる」と説きます。そしてルターは、「罪人も、悔い改めて神にすがれば救われる」と説きました。

 

それらに対しカルヴァンは、「罪人は、救われない。救われる人間は、はじめから罪を犯さない」と冷たく言い放つのです

 

罪とは、盗みや偽証、殺人ばかりではありません。富におぼれ、欲望に身を任せることも罪です。食欲や性欲、あらゆる欲望を断ち、日々の勤労に励み、質素に暮らす。この禁欲的な職業倫理を守ることで、カルヴァン派の人々は、「今日一日、罪を犯さずに済んだ」と安心できるのです

 

365日禁欲的に働いた結果、何が起こるかというと、財産がたまってしまいます。カトリックでは蓄財自体を罪としましたが、カルヴァンは勤労の結果としての蓄財は容認します。ただその財産で贅沢をするのは罪ですから、財産は消費ではなく、商品を仕入れたり、新たな店への投資に使ったりするのです。

 

こうして、富が富を生み出し、利潤を上げることを目的とする新しい価値観が生まれます。資本主義です。

 

資本主義の現在と中産階級の堕落

貧富の格差の拡大する社会は、病んでいる。少数の富裕者が蓄財に励み、貧困者はほとんど消費できない。「自由貿易」による国際間競争のため、企業はコスト、特に人件費を削減する。賃金の低下により消費が鈍化し、「消費の歯車」が停止して、資本主義は滅びる

⇨ ラビ・バトラ

 

下層中産階級にはその歴史を通じて、特徴的ないくつかの特性があった。すなわち、強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても感情についてもけちくさいこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。彼らの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。⇨ エーリッヒ・フロム

ルーテル派の人生観

君たちにはすべてを与えている、後は、自分達で判断して生きなさい。決して絶望することはない。⇨ 神さま「オー!ゴッド(Oh, God!)」

 

 

ルーテル2017宗教改革500年「ルター派でよかったと思いませんか」2016年3月30日/田島靖則 より

 

私が牧師の仕事をしていて、たびたび「ああ、ルーテル教会でよかった」と思う瞬間に出くわします。

 

私はカルヴァン派の神学教育も、バプテスト派の神学教育も受けてはいませんが、それぞれの教会の特徴を「空気」をとおして感覚的に知っているつもりです。

 

カルヴァン派やバプテスト派の倫理的土台は、極論すれば「禁欲主義」的です。マックス・ウェーバーが教えたように、その禁欲主義的倫理が資本を生み出し、資本主義の土台を据えたということなのでしょう。

 

私がルーテル教会と他教会との違いを論じるとき、いつも思い出すカナダ制作のテレビドラマがあります「赤毛のアン」で有名なプリンスエドワード島を舞台としたドラマ「アボンリーへの道」の中に、牧師の妻(The Minister’s Wife)と題された作品があります。

 

今から100年以上前のこと、スコットランド系の住民しかいない村には長老派(カルヴァン派)の教会が一つあります。村人全員の生活の中心と言って過言ではないその教会に、アジアでの宣教を経験した新しい牧師が赴任してきます。ユーモアのセンスにあふれたその牧師は、その村での初めての礼拝説教で「悪人が一人もいないこの村では、悪魔も商売あがったりです」とユーモアたっぷりの説教を展開しますが、会衆はみな眉間にしわを寄せて一人も笑ってはくれないのです。

 

牧師夫人は、カラフルで明るい色彩の服や帽子を好んで身につけますが、これも長老派的な質素倹約の精神とは合わないということで、教会の役員会(長老会)で問題とされてしまいます。そこで牧師が語ったセリフが興味深かったのです。「かのマルティン・ルターも『笑いは神のもっとも素晴らしい賜物だ。悪魔は人々の笑いに耐えられない』と語っている」と牧師が発言すると、役員の代表格とおぼしき人物が一言「わしらはルター派じゃない!」と宣言する場面です。これほど鮮やかで興味深い教派比較はなかなかありません。

 

私が所有している簡易版の「卓上語録」に内容が大変似通っているルターの発言を見つけることができました。「音楽について」と題された文章は、以下のような内容です。「音楽は、神のもっともすばらしい賜物の一つである。悪魔はたいへん音楽がきらいなので、これで多くの誘惑や悪い考えが追い払われる。悪魔は音楽が耐えられないのだ」。

 

そして、キリスト教徒がこの人生を感謝して生活を楽しむことについて、「卓上語録」のルターとビールの項では次のように述べられています。「私が思うに、フィリップが天文学を論ずるのは、私が重い考えをいだいているときに強いビールをひとのみするようなぐあいである」。

 

ルーテル教会の主流にある考えは、神からいただいたこの人生を輝かせ、楽しむことにあると私は感じています。ルターの盟友メランヒトンは、天体観測を趣味としていたようです。ルターは、ビールとワインをこよなく愛する典型的なドイツ人。

 

そして私は、アルコール類は一切飲めない下戸ですが、趣味を楽しむことを怠ったことは一度もないルーテル教会の牧師です。私のこの放言を、ルターは笑って見ているような気がするのですが、いかがでしょうか

 

私は説教したい、私は話したい、私は書きたい。しかし私は誰にも強要はしたくない。なぜならば、信仰は自由意志であってほしいし、妨げられることなく受け入れられてほしいからだ

人生は美しく栄光あれ!人生はあらゆるものを持っているので、貧困には決して苦しまない。人生は罪や死や地獄より強い。しかし同時に、人生には全的に他人に役立ち、善と心遣いでいっぱいだ。⇨ マルティン・ルター 「ジャック・ブロス:世界宗教・神秘思想百科」JICC出版局 より

カルヴァン主義者の欺瞞

 

オーウェン・ジョーンズ「チャヴ・弱者を敵視する社会」■不平等の何が悪い?海と月社 より 

私は、学者のリチャード・ウィルキンソンとケイト・ピケットが共著所「平等社会」でおこなった画期的な調査について話した。この本は、反論の余地のない統計によって、不平等が進んだ社会は犯罪や疾病などの社会問題をより多く抱えていることを示している。言い換えれば、平等であればあるほど幸福な社会ということだ。

 

だがディビット・デイビスは、これを「くだらない」と言下に退けた。「実にくだらない・・・・流行に乗った愚かな考えだと思う。そういうことを書いて本を売るのは簡単だが、説得力はない」

 

政治歴史家のロス・マッキビンの意見によると、保守党は「不平等なものを守るために存在する。いつだってそうだった。保守的な党というのはどこも同じで、不平等と社会的特権を守るようにできている

 

ディビスのコメントは、このロスの分析を裏付ける。ただし、ディビスは事実上、不平等を「いいこと」として称賛しているぶん、さらに進んでいると言っていい。保守党による労働者階級の敵視は、この観点からとらえなければならない。

 

公平性という点で言えば、著しく不平等な富の配分を正当化するのはむずかしい。しかし、もし頂点にいる人たちが起業家的な才能ゆえに今の地位にいて、底辺の人たちが欠陥だらけだから相応の報いを受けているのだとしたら

 

イギリス人労働者に対するディビスの態度はまさにこれ、人生における運不運はその人の個人的資質で決まるという考えから来ている

 

その議論の要諦は、イギリスの労働者が外国人ほど勤勉に働かないということだ。それがある程度、失業などの問題を説明していると彼らは言う

 

労働者階級の人を批判するのは、保守党主導の政府にとって政治的に都合がいい。労働者階級にとりわけ不利な経費節減を断行したいからだ。2010年の総選挙後、学校の無料給食や若年層の失業手当を含めて、さっそくいくつかが実際に削られた

 

最初の予算では、過去1世紀で最大の公共サービス削減が決まり、1980年代初期の保守党政権時代と同じように、低収入の人々に最も過酷な付加価値税が上げられた。大臣たちは「進歩的な内閣」で奉仕すると言っていたが、経済学者の推定では、最貧層は最富裕層の六倍の打撃を受けるということだった。

 

北部の都市が南部の都市と比べて、なぜ何百万ポンドも予算を削られるのかと問われたとき、財務次官だった保守党のボブ・ニールは、臆面もなくこう答えた。「最もそれを必要としている人々が、最終的にツケを支払わなければなりません」。

最強副大統領「バイス」

ぼくらが天界に戻れば戦争になる。戦争は必ず犠牲者を生む。⇨ ルシファー・モーニングスター「ルシファー」


 

東洋経済オンライン:映画「バイス」は社会派なのに笑える異色作だ・「影の大統領」チェイニー副大統領の裏側描く/壬生智裕(映画ライター)より抜粋

ブッシュ大統領の影に隠れたチェイニーという人物とは何者なのか。案外知らない人も多かったように思う。マッケイ監督もそのひとりで、偶然手にした本がチェイニーに関するものだったという。それを読んだときに、目標達成のための政治的手腕などの数々を知り、驚きを隠せなかったことを告白する。

 

映画の主人公に抜擢されたチェイニーが、存在感を示したのは2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロ事件で、ブッシュ大統領を差し置いて、率先して危機管理にあたったことだろう。緊急事態におけるテロとの戦いという名の下に、盗聴や拷問もやむをえずと容認した。さらに、後に物議をかもすこととなるイラク戦争を推し進め、「影の大統領」として暗躍する。

 

この物語は単なるモノマネショーで終わっていないところが面白いところだ。そのキーパーソンとなるのが、リン・チェイニーだ。リンはディックという夫を通じて、自身の野心を追求しようとする。スピーチが苦手な夫とは対照的に、聴衆の心を一気につかみ、人々を鼓舞し続けるリンは、夫の出世の原動力となった。

 

チェイニーがいかにして大統領にも匹敵するような権力を握り、世界を混乱に陥れたのか。「世界を守るためにアメリカは強くなくてはならない」という信念のもとに、時には法律をねじ曲げてでも目的を遂行させようとする。世界情勢は混乱を極め、今でも平和への道筋はまだ見えていない状況だ。そんな中で本作を作るにあたり、マッケイ監督は、チェイニーの許可はとっていないと語る

 

Wikipedia:ディック・チェイニーより

アメリカの政治家、実業家。下院議員、国防長官、副大統領を歴任した。ウェールズ系アメリカ人でメソジスト。趣味は狩猟と釣り。

 

アメリカのハリバートン社の経営にも1995年-2000年までCEOとして参加していた。ハリバートンは世界最大の石油掘削機の販売会社であり、イラク戦争後のイラクの復興支援事業や、アメリカ軍関連の各種サービスも提供していることから、湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得た。なおチェイニーは、この会社の最大の個人株主でもある。

 

Wikipedia:メソジストより

メソジスト教団は、現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団である。 新大陸アメリカに宣教され、まだ開拓時代の西部へと急速に広がっていく過程において、その性質をかなり変貌させていく。教派の通称にもなっていた メソッド(謹厳な生活方式)は二の次にされ、ウェスレーの説いた教義のある部分と大衆運動という側面が強調されていった。

 

すなわち、救いは罪の自覚とともにすでにあるものとして体験されるというスピリチュアルな喜びと、その喜びに基づいて、この現世において神の国を実現しようという強烈な社会変革意欲であった。開拓時代に宣教に当たった説教者たちの多くは、専門教育こそ充分に受けてはいないが、熱烈な信仰心をもち、社会事業へのバイタリティにあふれた人たちであった。ジョージ・W・ブッシュ元大統領夫妻も熱心な信者である。

巡礼者の始祖

 

木村光男「この一冊で世界の歴史がわかる!」三笠書房 より

巡礼者の始祖

1620年9月、プリマス港を出たメイフラワー号(180トン)は、65日間の航海で現在のマサチューセッツ州コッド岬に到着。老若男女102名、いずれもカルヴァン派国教に対して不服従で、移動を繰り返したため「巡礼者の始祖(ピルグリム・ファーザーズ)」と呼ばれる。

 

彼らは上陸に際して、「メイフラワー契約」に署名し、新しい社会の建設にあたって人々の同意による政府を目指すことを誓った。当時、スペインやフランスの移民には貧しい者も多かったが、イギリス移民の場合、知的にも経済的にも中産階級が主力であったので、伝統や習慣にとらわれないもう一つの自由なイギリスが、大西洋の彼方に生まれたともいえる

 

ロバート・N・ベラー「心の習慣・アメリカ個人主義のゆくえ」みすず書房 より

アメリカ史における宗教

植民者にとってアメリカは、初めから宗教的な意味を持っていた。宗教改革、新大陸発見、植民化という展開が、植民者にとって大変意味の深いもののように感じられた。彼らにとって植民とは、キリスト教的生活の実験の場であり、天から与えられた使命だったのだ

 

初期の植民者の多くは、イギリスの迫害を逃れてやってきた者たちだった。彼らは英国の公認宗教を嫌ってはいたが、求めていたのは宗教の自由ではなく、彼ら自身の公認宗教を持つことだった。彼らが求めていたのは、宗教的多様性ではなく、宗教的統一だったのである。

 

いつの時代にも、アメリカが「約束の地」であったのは、ここに来れば自由に宗教を実践できると信じられていたからだ。しかし、西洋において宗教が公的秩序の一部をなしてきた歴史は長く、新大陸の植民者も簡単に公認宗教の理念を手放すことができなかったのである

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
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