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ルーテル派の人生観

君たちにはすべてを与えている、後は、自分達で判断して生きなさい。決して絶望することはない。⇨ 神さま「オー!ゴッド(Oh, God!)」

 

 

ルーテル2017宗教改革500年「ルター派でよかったと思いませんか」2016年3月30日/田島靖則 より

 

私が牧師の仕事をしていて、たびたび「ああ、ルーテル教会でよかった」と思う瞬間に出くわします。

 

私はカルヴァン派の神学教育も、バプテスト派の神学教育も受けてはいませんが、それぞれの教会の特徴を「空気」をとおして感覚的に知っているつもりです。

 

カルヴァン派やバプテスト派の倫理的土台は、極論すれば「禁欲主義」的です。マックス・ウェーバーが教えたように、その禁欲主義的倫理が資本を生み出し、資本主義の土台を据えたということなのでしょう。

 

私がルーテル教会と他教会との違いを論じるとき、いつも思い出すカナダ制作のテレビドラマがあります「赤毛のアン」で有名なプリンスエドワード島を舞台としたドラマ「アボンリーへの道」の中に、牧師の妻(The Minister’s Wife)と題された作品があります。

 

今から100年以上前のこと、スコットランド系の住民しかいない村には長老派(カルヴァン派)の教会が一つあります。村人全員の生活の中心と言って過言ではないその教会に、アジアでの宣教を経験した新しい牧師が赴任してきます。ユーモアのセンスにあふれたその牧師は、その村での初めての礼拝説教で「悪人が一人もいないこの村では、悪魔も商売あがったりです」とユーモアたっぷりの説教を展開しますが、会衆はみな眉間にしわを寄せて一人も笑ってはくれないのです。

 

牧師夫人は、カラフルで明るい色彩の服や帽子を好んで身につけますが、これも長老派的な質素倹約の精神とは合わないということで、教会の役員会(長老会)で問題とされてしまいます。そこで牧師が語ったセリフが興味深かったのです。「かのマルティン・ルターも『笑いは神のもっとも素晴らしい賜物だ。悪魔は人々の笑いに耐えられない』と語っている」と牧師が発言すると、役員の代表格とおぼしき人物が一言「わしらはルター派じゃない!」と宣言する場面です。これほど鮮やかで興味深い教派比較はなかなかありません。

 

私が所有している簡易版の「卓上語録」に内容が大変似通っているルターの発言を見つけることができました。「音楽について」と題された文章は、以下のような内容です。「音楽は、神のもっともすばらしい賜物の一つである。悪魔はたいへん音楽がきらいなので、これで多くの誘惑や悪い考えが追い払われる。悪魔は音楽が耐えられないのだ」。

 

そして、キリスト教徒がこの人生を感謝して生活を楽しむことについて、「卓上語録」のルターとビールの項では次のように述べられています。「私が思うに、フィリップが天文学を論ずるのは、私が重い考えをいだいているときに強いビールをひとのみするようなぐあいである」。

 

ルーテル教会の主流にある考えは、神からいただいたこの人生を輝かせ、楽しむことにあると私は感じています。ルターの盟友メランヒトンは、天体観測を趣味としていたようです。ルターは、ビールとワインをこよなく愛する典型的なドイツ人。

 

そして私は、アルコール類は一切飲めない下戸ですが、趣味を楽しむことを怠ったことは一度もないルーテル教会の牧師です。私のこの放言を、ルターは笑って見ているような気がするのですが、いかがでしょうか

 

私は説教したい、私は話したい、私は書きたい。しかし私は誰にも強要はしたくない。なぜならば、信仰は自由意志であってほしいし、妨げられることなく受け入れられてほしいからだ

人生は美しく栄光あれ!人生はあらゆるものを持っているので、貧困には決して苦しまない。人生は罪や死や地獄より強い。しかし同時に、人生には全的に他人に役立ち、善と心遣いでいっぱいだ。⇨ マルティン・ルター 「ジャック・ブロス:世界宗教・神秘思想百科」JICC出版局 より

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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