FC2ブログ

音楽が死んだ日

 

TEMPLA てんぷら 2018年5月13日「まともな批評家が登場しないJ-POP界って正直、もう伸びしろがないよな」 より

 

本屋へ行ったら「スゴい日本」とか「外国から見た日本」とかバカのひとつ覚えのように自画自賛している書籍などにうんざりさせられたりしませんか?そんな本ばかりを売り出すから若者は本から離れるんじゃないかと思ったりもする。

 

なぜこうもうんざりさせられるのか?「自分を日本という共同体に置いて日本を褒めることしか自分への慰めにならない」そんな影が本屋へ行くと見えてしまって、最近では本屋へ行くといつもうんざりしてしまう。(中略)

 

そんなダサい「J」と名がつくJpopの場合、近年では「こんなに素晴らしいJpop」という論客が登場し始めている

 

J-popにまともな評論する論壇がないのも問題だ。音楽の批評には内側と外側の批評がある。音楽の外側の批評とはポップスミュージックの歴史のライトと、海外も含めた現在のカルチャー全体のライト、そして世相をふくめた社会全体のライトの3つのライトを照らすことが重要だ。つまりこの音楽が今の社会、文化、歴史においてどの位置にあるかということ

 

そして音楽の内側の批評とは「このコードのここがすごい」とか「コード進行が…」とか「この歌詞の物語が…」とか「このドラムのビートは…」とかが内側の批評になる。まぁ ただの知識のひけらかしだ。そしてJ-pop批評界に多いのが内側の批評家だ。音楽の外側の部分を無視し内側ばかりしか目をいかないから社会性の低い批評が多くなった。そんでJ-popは音楽的自画自賛へ繋がっていくのではないだろうか?(中略)

 

こうしたまともな批評家が登場しない、邦楽ポップス界の社会にとってどの位置にあるかをまともに批評できる評論家が出てこないあたりやはりJ-popというジャンルはもはや終わったジャンル。もう伸びしろのないジャンルなのである。批評の有無はそのジャンルの未来を左右する羅針盤みたいなもの

 

まともな批評家が出てこないと、いくら激アツで盛り上がりが熱盛状態でも、個体個の消費で終わってしまう。ただの消費するだけのカルチャーになってしまったJ-popの末路はまるでかつての「Jホラー」として担ぎ上げられ、当時の社会、文化、歴史のライトを無視した「日本のホラー映画はスゴい」しか評論されずに消費されていった日本ホラー映画界にも似ているのではないだろうか?

記事分類
地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
リンク
武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
BlogPeople
投票ボタン ☟
*
ブログ村投票
プロフィール

佐藤蓼丸

Author:佐藤蓼丸
オリジナルのブログを目指して鋭意更新中