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共同体の崩壊と個人主義

 

ロバート・N・ベラー「心の習慣・アメリカ個人主義のゆくえ」みすず書房 より

ニューイングランドでは、牧師は公務員であり、町全体で選出される職だった。公認宗教としての会衆派教会は、依然として共同体生活をまとめあげる制度として機能し続けた。毎年の選挙の日には、牧師が説教を行った。

 

ニューイングランドの「共同体主義」と呼びならわされてきたものは、秩序と調和と権威への服従に価値を置くものだった。そしてこれらの価値は「お堅い牧師さま」の姿に体現されていた。こういった牧師は「公共文化の保管人かつ調達係であり、私生活上の価値とそれを支える礼儀作法の強制者」であった。

 

ニューイングランド植民地の宗教が公共的で統一的なものだったとすれば、今日のアメリカの宗教はまったく対照的に私的で多様なものである。事実、私たちがインタビューしたある一人の女性などは、自分の宗教に自分の名前を付けていた

 

シーラ・ラーソンはセラピーをたっぷり経験した若い看護師だが、自らの信仰を「シーライズム」と呼んでいる。シーライズムを定義するものは「汝自身を愛せ、汝自身に優しくあれ、ええとそれから、汝ら互いに気遣いあうべし、かな。神はみんなが気遣いあって生きることを望んでいると思うんです」。

 

今日のアメリカ人の宗教生活にとって「シーライズム」のような考え方がまったく違和感ない表現と言えるのはなぜか、そしてこのことは今日の合衆国における宗教の役割について何を語っているのか、少し考えてみなければならない

 

17世紀におけるシーラ・ラーソンの先駆者、アン・ハチンソンがマサチューセッツ湾植民地から追放されなければならなかった状況から、逆にアン・ハチンソンがほとんど当たり前という今日まで、いったいどういう歴史の経緯があったのだろうか。

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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