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ルサンチマンの民主主義

講座・差別の社会学2「日本社会の差別構造」弘文堂:共生へのユートピアとその挫折(学校改革運動の「近代」と「反近代」佐藤学より

 

下中の「革新性」は、天皇制イデオロギーによる共生ユートピアの所産ではなかったか。「革新性」を高く評価される「教育改革の四綱領(1920年)」にしても、「明治天皇の御聖旨(五箇条の御誓文)」を基礎とするとされているし、「人民一班」の教育という超近代のユートピアも「太政官布告」という天皇制の装置において提唱されているのだ

 

教育を受くる権利<学習権>は、人間権利の一部なり」と述べた下中のユートピアも、五箇条の御誓文を前提として提唱されたのである。この特徴は、下中の反近代・反資本主義の思想とも対応している。下中において反近代は反西洋を意味していた

 

彼は「近代文明に毒せられた人々」は労働を蔑視し倫理を見失っていると主張し「文明開化は俺達には他国人だ」「俺達には、あの魔術のような素晴らしい近代産業の大組織は全く無用なのだ」と言う。「百般の労働の中、最も純真な生産労働である農業そのもの」と表現されたように「無産者」とは資産のない農民を意味し、生産労働は農業労働を中心に考えられていた。この反近代、反資本主義の教育を下中は「万人労働の教育」という脱学校論において表現したのである。

 

下中の「万人労働の教育」という「教育ユトピア」は、経済的な富や文化財の所有における絶対的平等を求める思潮を基調としていた。そのユートピアの原型を下中は、農民であり立ち杭焼きの陶工であり寺子屋の先生でもあった、亡き父の生活に見出している。下中の父は「野外で陶器に釉薬を施したり、畑を見回ったり、田の水を見に行ったり」して「滅多に子供の傍らにいなかった」と言う。兄弟子が年少の子を教えていたのであり、教師は生産に従事していたのである。

 

近代の学校が分割した労働と教育が混然と一体化した前近代の学校が、「教育ユトピア」の原型であった。この寺子屋風の小学校における「万人労働の教育」は「農村中学」と「農村自由大学」にも継承されるものとして構想されている。

 

絶対的平等を主張する下中の「生存権」と「学習権」の主張が近代の人権思想とは質的に異なる点にも留意しておきたい。まず第一に、彼の「生存権」と「学習権」は人権の拡大ではなく、むしろ縮小、すなわち「無産者(農業者)」による「無産者以外の人々」の抑制と統制を正当化する論理へと帰結している。

 

他の人間が飢えているときに、他の人間が飢えないでいる権利はない」「貧乏をするならば、誰もが貧乏をするべきだ」というのが、下中の「生存権の論理」であり、「道理」であった。この「ルサンチマン民主主義」とも呼ぶべき絶対的平等の「論理」と「道理」によって、彼のアナキズムは農本主義へと連なり、国家社会主義(ファシズム)を導いたのである。

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内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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