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カルヴァンの亡霊

人生に暗示を見つけられなければ、人生に打たれる。⇨ ユング

 

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」東京創元社 より

救済か永劫の罰かは、人がこの世で善行を積んだか、悪行を犯したかの結果ではなく、人間が生まれてくる以前から神によって予定されている。神がなぜあるものを選び、他のものを罰するか、それは人間が探ってはならない秘密である。神は、ただ神の無限の力を示したかったから、そうしたのにすぎない。

 

カルヴァンの神は、神の正義と愛という観念を、できるかぎり保存しようと努めているにもかかわらず、愛も正義もまったく持ち合わせない専制君主の姿を呈している。予定説は心理的には二重の意味がある。

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予定説は個人の無力と無意味の感情を表現し、強めている。人間の意志と努力とが価値がないということを、これほど強く表現したものはない。人間の成し得ることは、なに一つ存在しない。人間は神の手の中にある無力な道具である。

 

この教義のもう一つの意味は、非合理的な懐疑を沈黙させる働きにあるが、予定説の教義は一見したところ、懐疑を沈めるよりも強めるように思える。個人は前にもまして、彼が誕生以前から永劫の罪に定められているか、救済に定められているかを、知りたいという疑惑にさいなまれるのではなかろうか。

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自分の運命がどのようなものかを、人間はどのようにして確信できるのであろうか?カルヴァンはこのような確信の具体的な証拠なにも教えなかったが、彼やその帰依者たちは、選ばれた人間であるという確信を実際に持っていた。このような確信を持っていれば、予定説の教義は、もっとも安定を持つものであった。

 

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一旦救われていることになれば、その救済の状態を危機に陥れるようなものは何もなかった。というのは人間の救済は、彼自身の行為によるものではなく、生まれる以前にすでに定められているからである。さらに、根本的な懐疑は絶対的な安定性の追求を導いた。

 

しかし、懐疑は依然として背後に残されたままなので、自分の属している宗教団体こそ、人類の中で神に選ばれた人々であるという、一層強められた狂信的な信念によって、(懐疑は)繰り返し沈められなければならなかった

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カルヴァンの予定説には、ここではっきりと指摘しておくべき一つの意味が含まれている。というのは、予定説はもっとも活き活きとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活したからである


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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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