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格差と差別、排除の原理

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」東京創元社 より

 

予定説はもっとも活き活きとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活した。すなわちそれは、人間の根本的な不平等という原理である。カルヴァンにとっては二種類の人間が存在する。すなわち、(絶対的権威によって)救われる人間と、(絶対的権威によって)永劫の罰に定められている人間である。この運命は彼らの生まれてくる以前に決定され、この世におけるどのような行為によっても、それを変化させることはできないというのであるから、人間の平等は根本的に否定される。

 

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不平等に造られているという原理は同時に、人間の間にはどのような連帯もないことを意味している。というのは、人間の連帯性にとって、もっとも強力な基盤となる一つの要素が否定されているからである。すなわち人間の運命の平等である。カルヴィニストはまったく素朴に、自分たちは選ばれた者であり、他のものはすべて神によって罰に決定された人間であると考えた

 

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この信仰が心理的には、他の人間に対する深い軽蔑と憎悪を表すことは明らかである。実際に彼らは、その同じ嫌悪を神に対しても抱いていた。近代思想は人間の平等をますます肯定するようにはなったが、カルヴィニストの原理は決して完全に黙してしまったわけではない。人間はその人種的背景によって、根本的に不平等であるという原理は合理化された同じ原理の確認である。心理学的意味は、まったく同一なのである。

 

ルターの教えと異なるもう一つの大切な点は、道徳的努力と道徳的重要性を、一層激しく強調する点である。個人が自らの行為その運命を変えることが可能というのではなく努力できるということそれ自体が、救われた人間に属する一つの証拠なのである。

 

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獲得しなければならない徳とは、謙譲と中庸、だれでも当然その分け前を与えられるという意味での正義、人間を神に結び付ける敬虔である。さらにカルヴィニズムが発展すると、道徳的生活と絶え間ない努力の強調がなされ、努力の結果としての成功が救済の印であるという考えが、重要視されるようになる。

 



結局予定論というのは、神さまの絶対主権、神さまがすべてを支配してらっしゃるという、この立場は擁護しているようでありますけれど、実際には、特権階級をつくって、神さまの愛と公平さを疑わせてしまうような、そういう理論のように思えてしまうんですね。そうしてこの、自分たちは選ばれたものである、自分たちは神さまに特別に愛された選民なんだ。こういう特権意識、選民意識というものが、実は、古代イスラエルを祭祀の国としての役割を見失わせた原因であったわけですね・・・・

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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