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ナチズムとダーウィニズム

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」東京創元社 より


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権力欲は自然の法則にもとづいているという合理化は、たんなる合理化以上のものである。すなわちそれは、自分の外にある力に服従しようとする欲望から発している。ヒトラーは「種族保存の法則」うちに「人間社会形成の第一原因」を見る。

 

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この自己保存の法則は、弱肉強食の戦いと、経済における適者生存のルールに利用された。自己保存の本能と他人に対する支配力の同一視は、「人類の最初の文化は、たしかに、家畜よりも、劣った人間の使役に依存していた」という、ヒトラーの推定のうちに表現されている。

 

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彼は自分のサディズムを「すべての知恵の残酷な女王」である自然に投影している。そしてこの自然の保存法則は「必然の鉄則及びこの世界において、最良最強なものが勝利の権利を持つ、ということと結びつけられているのである」。

 

確かにダーウィンの理論そのものは、サド・マゾヒズム的性格の感情の表現ではなかった。反対に、多くの支持者にとっては、人間がより高い文化の段階へ進化するという希望に訴えたのである。しかしヒトラーにとっては、自分自身のサディズムの表現であり、正当化でもあった。

 

彼のサディズムに対する最後の合理化、すなわち他人の攻撃に対する防御としての正当化は、ヒトラーの書物のなかに、様々表現されている。彼とドイツ国民は常に罪なき者であり、敵はサディズム的な野蛮人である。これについての多くのプロパガンダは、入念な意識的な嘘からできている。しかし部分的には偏執狂的非難が持っている感情的「真摯さ」をともなっている。

 

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これらの非難は、自分自身のサディズムや破壊性を見破られることを防ぐ機能を、常に持っている。それは、サディズム的意図を持つのはお前であり、したがって私は潔白であるという方程式に従って行われる。ヒトラーにあっては、この防御のメカニズムはきわめて非合理的である。というのは彼は極めて素直に、自分の目的であると認めているのと同じことを、敵が行えば非難するのであるから。

 

ナチの抑圧的行為はひとつとして、他者の圧迫に対する防衛であると説明されないものはなかった。これらの非難は単なるごまかしに過ぎなかったが、それらは一定の宣伝価値を持ち、民族の一部、特にその性格構造によって、偏執狂的非難を受け入れやすい下層中産階級は、それらのプロパガンダを信じていた。


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