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強者への愛と弱者への憎悪

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」東京創元社 より


力のないものに対するヒトラーの軽蔑は、彼自身が持っていると称するのと同じような政治的目的、すなわち国民的自由のための闘争を持つ人々について語るとき、特に明瞭になる。国民的自由に対するヒトラーの不真面目さは、おそらく無力な革命家に対する彼の嘲笑において露骨である。

 

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彼はインドの革命家たちについて書かれたもののなかで、無力なものに対する同じような軽蔑を示している。ほかの誰にも増して、国家的自由のスローガンを自分の目的に用いたその同じ人間が、力がないにもかかわらず、あえて強力なイギリス帝国を攻撃した革命家たちに対し、軽蔑以外の何ものも持っていない

 

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サド・マゾヒズム的性格に典型的な、強者に対する愛と無力者に対する憎悪は、ヒトラーや彼の追従者の多くの政治的行動を説明する。ヒトラーはワイマール共和国(第1次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国)を弱体であるがゆえに嫌悪し、工業や軍隊の指導者は力を有しているが故にこれを尊敬した。

 

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彼は確立した強い権力とは決して戦わず、彼が本質的に無力であると考えたグループとだけ戦った。ヒトラーあるいは、ムッソリーニの「革命」は現存する権力の庇護のもとに生起し、彼らのお気に入りの対象は自分たちを防衛できない人々であった。

 

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イギリスが強力であると感じられた間は、彼はイギリスを愛し賛美した。ミュンヘン会談の前後、イギリスの地位の脆弱さが認められたとき、彼の愛は憎悪と破壊に変わった。このように見れば「融和」はヒトラーのようなパーソナリティにとっては、必ずや友情ではなく嫌悪を引き起こす政策である




イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、「姦通の現場で捕らえられた女」を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いた者は全員、自分が罪を犯したことがあると知っているので、誰も女に石を投げることができず引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。 ⇨ (wikipedia:ヨハネによる福音書)

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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