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サド・マゾヒズム的性格

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」東京創元社 より


サディズムの側面には、マゾヒズムの側面が存在する。無力な存在を支配する力を得たいという欲望と並んで、圧倒的に強い力に服従し、自己を絶滅させたいという欲望が存在する。ナチのイデオロギーや実際のこのマゾヒズム的側面は、大衆を見ると最も明白である。

 

大衆は繰り返し繰り返し、個人は取るに足らず、問題にならないと聞かされる。個人はこの自己の無意味さを承認し、自己をより高い力の中に解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することに誇りを感じなければならない。ヒトラーは理想主義の定義の中で、この考えを明白に表現している。すなわち、「理想主義だけが、人々に力と強さの特権を自発的に承認するようにさせ、そして人々を全宇宙を形成するかのような秩序の中の一片の塵にさせる」

 

 

個人を犠牲にし、個人を一片の塵、一個の原子に貶めることは、ヒトラーによれば、「人間の個人的な意見や利益や幸福を放棄する」政治的組織の本質である。ヒトラーは「非自己的なこと」を称賛し「人々は自らの幸福を追求することにおいて、ますます天国から地獄へ墜落する」と教える。

 

自己を主張しないように、個人を教育することが教育の目的である。すでに学童は、「正当に叱責されたときに沈黙するだけでなく、必要な場合には不正をも黙って耐えることを学ばなければならない」。

 

ヒトラーは彼の自己否定と犠牲の哲学が、どのような幸福も許されないような経済状態にある人たちにとって、おあつらえ向きにできているということを、はっきり理解している。彼はあらゆる個人に、個人的幸福を可能にするような社会的秩序を実現することを欲していない。彼は大衆に彼の自己滅却の福音を信じさせるために、大衆の窮乏を利用しようとしている。彼は極めて素直に「あまりに貧乏であるために、自分たちの個人的生活が、世界の最高の運命となることのできないような人たちの大軍を、我々は味方にする・・・・」。

 

この自己犠牲の説教全体は、一つの明白な目的を持っている。すなわち、指導者や「エリート」の側の権力欲が実現されるならば、大衆は自己を放棄し服従しなければならないのである。彼にとっては、服従すべき優越した力は神、運命、必然、歴史、自然である。実際これらの言葉は、彼にとってはほぼすべて同じ意味、すなわち圧倒的に強い力の象徴という意味を持っている。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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