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悪の凡庸さ

エーリッヒ・フロム「生きるということ」1977年第一刷発行/紀伊国屋書店

アイヒマンは官僚の極端な一例であった。アイヒマンが数十万のユダヤ人を殺したのは、彼らを憎んだからではなかった。彼は誰も憎まず誰も愛さなかった。アイヒマンは「義務を果たした」のだ。彼はユダヤ人を殺したとき、義務に忠実であった。彼はただユダヤ人のドイツ国外追放の促進のみを命じられたときにも、同じように義務に忠実であった。彼にとって大切なことは、ただ規則を守ることだけであった。彼は規則に背いたときにのみ、罪悪感を覚えた

メニンロード

彼の陳述によれば、彼が罪悪感を覚えたのは二つの点だけであった。すなわち、子供のころずる休みをしたことと、空襲のときに避難命令に背いたことだった。

このことはアイヒマンやほかの多くの官僚にサディズムの要素、すなわちほかの生き物を支配する満足感がなかったことを、含意しているわけではない。しかしこのサディズムの傾向は、官僚の持つ一義的要素である人間的反応の欠如と規制の崇拝に比べると、二義的であるにすぎない。

私はすべての官僚がアイヒマンであるとは言っていない。第一に、官僚制の中に地位を占める人間の多くは、性格学的な意味では官僚ではない。第二に、多くの場合、官僚的態度がその人物のすべてを支配し、彼もしくは彼女の人間的な面を殺してしまうまでには、至っていない。しかし官僚の中には多くのアイヒマンがいる

針金

そしてただ一つの違いは、彼らが数千人の人々を殺さなくてもよかったということである。しかし、病院の管理者が、規則では医者が患者を送り込むことになっているからといって、危篤の病人を拒んだとすれば、その管理者の行為はアイヒマンのしたこととまったく変わらない。また官僚制の規則を破るくらいなら、保護すべき人を飢え死にさせようと決心する福祉相談員も同じである

官僚的態度は管理者にのみ存在するものではない。それは医者、看護士、教師、大学教授、妻との関係における多くの夫、また子供との関係における多くの親にも存在する。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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