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思考停止の理由

■ETV特集 シリーズ「司馬遼太郎の遺産」 第1回 「歴史からの視線~日本人は何ものか~」(1996年4月1日放送 44分)より抜粋


 

■現代ビジネス/2019年5月16日:なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか(堀有伸・精神科医) より

 

本来ならば、ここで原発についての現実的な議論に進みたいところです。しかし私にはそこを科学的に論じるための専門的な知識や経験はありません。

 

その代わりに、他の部分では妥当性のある行動を取ることもできる日本人が、なぜここで全くの思考停止に陥ってしまうのかを、深層心理にまでさかのぼって考察したいと思います。そうするのは、自分の持てる能力を用いて、日本社会が危機的な状況を乗り越えることに貢献したいと願っているからです。

 

原子力発電は国策として行われてきました。そして、日本人にとっての「国」、つまり日本をめぐる表象群は、他国以上に強烈な無意識のコンプレックスを形成しています。国策の是非を論じることは、このコンプレックスが刺激されることであり、その際には意識的な統制を失った言動が現れやすくなります。

 

それを避けるために、なるべくこの主題に触れないようにして自分の心を守ろうとする反応が出現することも、珍しくはありません。この無意識のコンプレックスに私は「日本的ナルシシズム」と名前をつけ、考察を積み重ねてきました。その根本は、重要な他者への「融合的な関わり方」です。

 

日本の組織では、独立した個人が、それぞれの個性基本的人権尊重しながら構築していく関係性が組織運営の基盤にはなっていません でした。その代わりに、組織への心理的な融合が強く求められたのです。

 

組織への批判的な発言を行うことは、組織の活動に「水を差す」行為であると忌避されます。明確に言葉で表現されたルールや契約はその価値を軽んじられやすく、その代わりに、全体の空気や相手の意向を忖度して行動する技術の洗練が求められるようになっていきます。

 

そしてやがて、組織内部の感情的な一体感を、理論的な考察よりも重視する人間でなければ、組織における重要な地位を与えられないようになります。このようにして、ほとんどの日本の重要な組織が外部の世界の変化に対応できなくなり、多くのものが失われたのが平成の日本社会だったのかもしれません

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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