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原発事故後の日本社会

■ETV特集 シリーズ「司馬遼太郎の遺産」 第3回 「この国の行く末~現代日本への遺言~」より「二十一世紀に生きる君たちへ」(1996年4月3日放送)より抜粋:山折哲雄×田中直毅(対談)

 

現代ビジネス/2019年5月16日:なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか(堀有伸・精神科医) より

戦後と原発事故後の日本社会

私は、全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行のためには、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識のあり方が確立されることが不可欠だったと考えます

 

精神分析の用語を使うならば、社会のメンバーのために、自我機能を適切に機能させるための仕組みが確立されていることが、民主主義的な社会を作るための前提です。しかし、戦後の日本では、そのような心理構造の奥深くに達すような改変が必要であることは多くの場合に理解されず、心理的な「他者との融合的な関わり方」を重視したままで、その融合的な場で「民主主義」や「基本的な人権」の題目が語られるという奇妙な事態が生じました。

 

語られる言葉は反権威のような内容でリベラル風の雰囲気であるものの、その内部運営のあり方は全く民主的ではなく、権威主義的だったりカリスマ的な指導者への心理的な融合を求めたりするような組織や集団が、戦後の日本には頻繁に出現しました。ただしこれは日本において深刻であるものの、いわゆる先進的な西欧の諸国でも認められる状況のようです。この事態への不満が、近年の世界的な潮流における保守派の勢力拡大の一因だと感じています。

 

「他者との融合的な関わり方」を求める傾向が強いことは、乳幼児的な「母子一体感」の境地が成人になっても色濃く残っていることを意味しています。私の考察が依拠しているクライン派の精神分析理論では、分離を試みることで二種類の乳幼児的な不安が刺激されることに耐えられなくなってしまうことを指摘しています。

 

一つは、妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安です。大雑把には、加害や復讐といったテーマを巡る被害感情や強い敵意や攻撃性が刺激されるような心理状態です。自力で生存する力を持たず、生存を全面的に母親的な存在に依存する乳幼児は、「母の不在」という事態に強烈な欲求不満を覚えます。そこで生じる強い母への怒りや攻撃性は、乳幼児の心を圧倒するほどに強まります。今度は、強まり過ぎた自分の敵対的な感情も、不安の原因となります。無意識的な空想では、「自分が誰かを攻撃する」のは容易に「自分が誰かに攻撃される」に反転します

 

これは、自分が抱えていた強い攻撃性を他者に投影できることを意味するので、少し気持ちは楽になる部分もあるのですが、今度は敵意を帯びた他者に囲まれて迫害されるのではないかという不安にさいなまれるようになります。原発事故後の日本社会はある側面で、無意識的なこの妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安が高まっていたとも言えます。そこでは、日本社会についての理想化とこきおろしの意識の分裂も生じました。

 

集団がこのような心理状態の中にある時に、そこに属するメンバーの緊張感と警戒心は高まり、交感神経優位の「戦うか逃げ出すか」といった行動の選択が優勢になります。放射線についての議論が感情的なものになっている時には、この妄想分裂ポジションへの心理的退行が起きていることが多いようです。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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