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鉄の女の涙

 

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

9のウィングを持つタイプ1

タイプ1(外向的思考型)の特性と9(内向的感覚型)の特性は、互いに補強し合う。この二つのタイプは、ともに環境から遊離する傾向がある。タイプ1は理想に関わるためであり、タイプ9は人々そのものよりも、人々を理想化した姿に関わるためである。

 

そのため、9のウィングを持つタイプ1は、他の人たちからある程度連絡を絶たれており、非人格的で、2のウィングを持つタイプ1よりも情緒的に冷静である。このサブタイプの代表例は、マーガレット・サッチャー、ラルフ・ネーダー、キャサリン・ヘップバーン、C・S・ルイス、ミスタースポック(スタートレック)。

 

このサブタイプが健全な場合、並外れて個人的感情を交えず穏健である。なぜなら、彼らは冷静に関わり続けることに、特別の関心を持っているからである。このサブタイプの人々は、宗教的・神秘的一面があり、自然、芸術、動物などに引き付けられる。彼らは理性的で、公正で、正義と真理に関心を持つ。

 

このサブタイプの健全な人々の中にさえ、人間的な温かさや感情表現はあまりない。しかし、彼らは、傑出した知性と原則に対する無私の献身によって、しばしばそれを補う。

 

このサブタイプの普通の人々は、タイプ1の高い身分に伴う義務感とタイプ9の保守主義が結びついて、貴族的エリート主義者、権力機構のなかで育てられた典型的な市立中学校性となる。階級特権公の責務の観念が、彼らには重要である。

 

彼らの理想は、自分の社会的背景に合致する目標か、対立する目標のどちらかに彼らを導く。このサブタイプの通常の人々は、抽象的な観念に関わるよりも、現実の個々の人々に関わることが目に見えて少ない。さらに、タイプ1の非人格性とタイプ9の遮断性が、その行為から私的なものを一切排除しようとしつつ、ほとんど完全に抽象的な立場から説教をする人を生む。彼らの感情は抑圧され、人間的な動機や人間性一般に対して、関心を持たない傾向さらに鈍感な傾向さえ持つ

 

このサブタイプの人の知能や才能は傑出しているが、精神世界は区分化されていて、関心領域と無関心領域、確信と無頓着、規律と放縦、一貫性と無節操などに二極化して現れる。


感情と矛盾からの遊離

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ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

9のウィングを持つタイプ1の不健全な人は、自分の感情と自己矛盾からは、ほとんど完全に解離している。彼らは自分の世界観に合わないものを見ようとしない。彼らは感情的にも知的な面でも打ち解けない傾向があり、頑固に執着する意見の背後に自分を遮断する

 

彼らの懲罰的な態度は、他の人たちに対する真の共感や一体感によって点検されないため、彼らは非常に厳しい人間になれる。9のウィングをもつ不健全なタイプ1は、極めて不寛容で独善的である。彼らはすぐに、他人の悪行とみえるもので頭がいっぱいになり、それを正す手段をとらなければならないと、衝動的強迫的になる。

 

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ところが一方、彼らは、自分の行動の中にある矛盾から、自分自身を解離させる。彼らは、彼らがためらうことなく人に与える苦難や性質や程度を理解しないので、人々に多大の害を与える

 

C・G・ユング「タイプ論」みすず書房より

外向的思考型の)推論は、客観的事実か普遍妥当な理念のどちらかを基準にして方向づけられる。

 

この公式に照らして、善と悪を識別し美と醜を決定する。公式に適うものはすべて正しく、矛盾するものはすべて正しくない。公式にかかわりを持たないものは、偶然と見なされる。彼が従うのと同じように周囲の人もこれに従えば幸福になれると考え、これに反するものは非理性的で反道徳的であるとされる

 

彼にとってそれは、客観的事実の純粋な表現であり、例外は許されない。というのは彼のなかでは、この公式に矛盾するものは不完全であり、取り除かれるべき欠陥と見なされるからである。

 

困窮者に対する寛容が、公式の重要な要素とされる場合、対策としての救護施設・病院・監獄・居留地が考えられるが、実行されるためには、正義、真理、温情主義という動機では不十分で、隣人愛というような、感情に基づく価値基準も必要なのである

 

公式が十分な幅を持つ場合、このタイプは改革者として不正を糾弾し、重大な変革を訴えるものになる。ところが、公式が狭いものとなるにつれ、このタイプは小言屋、屁理屈屋、独りよがりのうるさ型となり、自分や周囲の人を一つの枠に押し込める。そして、このタイプの大部分はこの二つの両極端の間で絶えず揺れ動いている


彼が最も良い影響を及ぼすのは彼の活動範囲の周辺部であり、逆に彼の中心に近づくほどに、公式に合わない生命は衰弱してゆく。彼の公式のもたらす悲惨な結果を味わう羽目になるのは身内の人々であり、もっとも苦しむのは彼自身である

 

というのは生(生命、人生)とその可能性をそっくりそのまま包摂し、的確に表現しうるような知的公式はあったためしがないし、これからもあるわけがない。したがって、このような「公式」にとらわれると思考以外の重要な生の形式や活動が阻止され排除されてしまうからである。具体的には、審美的活動、芸術的感覚、友情の涵養などであり、宗教的体験や情熱といった非合理的と見なされるものは、抹殺され完全に無意識化される

客観性という神話

ニュースを見すぎて夜更かしするなよ。見たものが真実とは限らない。⇨ マイク・リッター「サバイバー・宿命の大統領」


彼は筋金入りの錬金術師だった。彼の錬金術としての目的は、賢者の石の発見とエリクシルの発見だった。賢者の石とは、卑金属を金に変えることのできる物質であり、

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錬金術関連の著述の多くは火災により焼失している。残った資料の大半を購入したのは、かの経済学者ケインズである。そのケインズをして「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」といわしめた。⇨ 国際社会経済研究所:2014年(コラム) デカルトは数学者?ニュートンはオカルト研究家? より


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ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。 ⇨ Wikipedia より


外向型の影

外向型はつねに、自らを客体に委ね、主体を客体に同化させようとする。その結果「外向的な構え」が度を超すと、主観的要因が有害な抑圧を受けることになる。意識の外交的構えに対する無意識の補償は、逆に主観的要素を特別に強調することになる。すなわち外向型の無意識の中には極端な自己中心性が指摘されるはずである。


客体や客観的事実に意識のエネルギーを傾注すると、自らの意見・希望・欲求などの主体的な心の動きの多くが無理やり抑圧され、本来これらにも注がれるはずのエネルギーが奪われる


そのため客体に完全に同化すれば、抑圧された少数者の抗議を受ける。客観的事実だけに同化すると、主観的な心を意識化することが妨げられ、それは抑圧の度合いに比例して退行的な性格を帯びることになる。


主観的な心に注がれるべきエネルギーの多くは、客観的事実に同化するために使われ、どうしても取り上げられないエネルギーだけが残される。この残存エネルギーはそれでもなお侮りがたい威力をもっており、これは「根源的本能」と名づけるしかないものである


いかなる抑圧された傾向にも、たとえエネルギーを奪われたために無意識化しているとはいえ、本能の強さに見合った相当量のエネルギーが残されており、外向的な構えが徹底すればするほど、時には幼児性をはるかに超えた、無軌道ともいえる自己中心性を特徴とする

⇨ ユング「タイプ論」みすず書房 より

新教徒の頑迷な迷信家


水村光男「この一冊で世界の歴史がわかる」国の興亡、民族の盛衰-その時、歴史はどう動いたか?/三笠書房 より


魔女とはサタンと結託して自分の目的を遂げようとする者の意味で、必ずしも女性に限定されない。(witch=女性の魔女、男性の場合はmale witch=wizard  )妖術や呪術を用いる魔女や魔法使いの歴史は古く、どの文化層にも登場する。聖書ではサタンはともかく魔女については問題視されていない


だが1300年を境に異端審問が強化され、事態は一変する。いわゆる魔女裁判によりベーメンの教会革新運動提唱者のヤン・フスや百年戦争末期の英雄ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのは、その典型である。


しかし意外なことに、魔女狩り旋風が吹き荒れたのは、後期ルネッサンスと宗教改革運動の時期なのである。異端審問を始めたのは旧教徒(カトリック)だが、旧教徒よりもさらに頑迷な迷信家だったのは新教徒(プロテスタント)であり、彼らが魔女裁判をいっそう盛大なものにした。


たとえば、宗教改革の出発点ドイツは、最も苛烈な魔女裁判の本場であり、それが苛烈になったのは宗教改革以後のこと。それも新教徒の手によってであった。ルターもカルヴァンもツヴィングリも、大真面目に魔女の実存を信じていた


ヨーロッパで魔女狩りが姿を消す18世紀後半(新大陸では1692年の「セーレムの魔女事件」を最後に消滅)までに処刑された総数は諸説あるが、ヨーロッパだけで30万とも、900万とも言われている。


ヒューマニズムと合理精神が叫ばれたルネサンス、良心の自由を強調した宗教改革の時代に、残虐と迷信に彩られた魔女狩りの嵐が吹き荒れたしかもこの旋風をあおったのは、教皇・高位聖職者・国王・貴族・当代一流の学者・裁判官など「超一流」の人々だった。そしてこれほど組織的に魔女狩りを行ったところは、この時期のキリスト教国以外にはないのである


人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない」⇨ ブレーズ・パスカル

ジャクソニアン・デモクラシー


水村光男「この一冊で世界の歴史がわかる」国の興亡、民族の盛衰-その時、歴史はどう動いたか?/三笠書房 より


1848年、カリフォルニアでゴールドラッシュがおこると、西漸運動が一気に高まる。このような西方への進出と、領土の拡大を正当化する考え方はマニフェスト・ディスティニー(明白な天命)と呼ばれる。つまり、西方へ膨張することは、神に与えられた使命であるとして合理化されたのである。


これは実に身勝手な考え方であり、先住民であるインディアン諸族は、開拓者に追われ、その人口が激減したのである。


1785年の土地法によって、1平方マイル(東京ディズニーランドの約5倍)を、1エーカー(東京ドーム1個分)1ドルで共同購入することができると定めた(1862年のホームステッド法では1区画160エーカーを無償で払い下げた)ので、新しい開拓地で自営農民が増加し、工業面でも西部は東部の産業のための原料供給地と消費地としての役割を果たした。


新しい開拓地では、旧社会の伝統や慣習の支配が弱まり、自由主義と個人主義が発達した。


1828年、サウスカロライナ州の貧しい開拓農民出身で、米英戦争の英雄アンドリュー・ジャクソンが大統領選挙に勝利。西部出身で最初の大統領である。典型的な西部人で直情径行、野性的な人物であるジャクソンが、西部農民そのままの姿でワシントンに現れ、北東部のエリートたちはショックを受ける


彼は閣僚のほかに、ジャーナリストを中心に「ブレーントラスト」を集めて意見を聞いたので、「台所内閣」と批判されたが、実際には民衆の声が政治によく反映された


また、平凡な人物にも官僚はつとまるし、官僚が長くとどまると腐敗するという考え方から、前大統領に任命された官僚のほとんどを解職して入れ替えた。これが党人任用制(スポイルズ・システム、猟官制)であり、庶民の政治参加の機会を増やすことになる。


一方、この頃から国内に三つの地域が形成され利害が対立するようになる。すなわち、商工業の東北部奴隷労働に依存する南部独立自営農民の西部である。

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地球ネコ
内村鑑三の言葉
日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。
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武者小路実篤の言葉
何のためにあなたたちは、生きているのですか。国のためですか、家のためですか。親のためですか、夫のためですか、子のためですか。自己のためですか、愛するもののためですか。愛するものを、持っておいでですか。
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佐藤蓼丸

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